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第110話 ピカりと呼ばれる女

 ピカりは最初から成功していた配信者であるが、最初から成功していた探索者ではない。

 無茶をして死にかけたことがある。


 新人の多くが陥る、よくある失敗だ。


 ダンジョン探索を始めたてのピカりには、自分をどうプロデュースすればいいかというヴィジョンが見えていた。

 そして、そのために必要なものもわかっていた。


 実力だ。


 実力は地道な努力でしか身に付かない。特にこの世界はそういうふうに出来ている。

 努力すれば努力しただけ強くなる──もちろん、センスだの、目の良さだの、あるいはそれこそ賜物ギフトだの、そういうものが重要になることはある。賜物次第では、それそのものが強烈なフックになり、視聴者を誘引することもある。

 動画コンセプトも大事だ。また、細かい演出も馬鹿に出来ないし、BGM選びのセンス、サムネ……細かいことを言い出したらキリがない。


 ピカりは自分がダンジョン探索界隈でひとかどの人物になる姿がはっきりと見えていた。

 何をすればいいかも、はっきりと、細かく、理解していた。


 その上で最も重要なのが『実力』というのもわかっていたし、その実力は身に付けるための制限時間がある──ようするに、若いうちに実力ある配信者にならないと、自分という生き物のルックスを十全に活かすことが出来ないと理解していた。


 だから、焦っていた。


 ……そして、焦って強くなろうとする探索者が陥る失敗──『無茶な階層に挑戦して死ぬ』という目に遭いそうになっていたのだった。


「あたしは……こんなところで終われない……!」


 この世には見返したいものがあまりにも多かった。

 父親がわからない子というだけで馬鹿にしてくる馬鹿ども。

『女の子なんだから』という理由にもなっていない理由で行動を縛ろうとする母親。

 どんな成果を挙げても不正を疑われるのは、家が貧乏だからだった。家が貧乏なのは、母子家庭だからだった。何より、母親が愚かで古い価値観しか持ち合わせていない無能だからだった。

 この世には敵しかいない。

 味方などいない世界──


 ならば、全部、利用してやる。

 利用して、搾取して、踏みつけてやる。


 それが出来る才能が自分にはあり、やり方はわかっていた。

 でも、どこかで無茶をしなければならなかった。それが今だった。


 今、無茶をして──


 無茶をしたなりの結果を迎えようとしていた。


 でも、


「納得、出来るかァ! 運命! 神! もしも本当にいるなら、人生で一回ぐらい、あたしのために姿を見せてみろ! 今! 救いを求めている今! お前たちがおためごかしじゃないなら! 出て来て、顔を見せろ!」


 彼女は神のもたらすものを、不運と呪いしか知らなかった。

 自分に不運をもたらす連中は、決まって神様から『いいこと』をもらっているらしい。


 なら、自分にも一回ぐらい。


 親を選べなかった。家庭を選べなかった。そしたら全部選べなかった。環境を整える力もない。その力を得ようとあがいたけれど、世間は彼女の個性を見ない。見るのは彼女の属性だけだ。

 片親の子。母子家庭の子。貧乏な家の子。

 これがいかに愛想よくしても、愛想なんか子供には通じない。

 いかに誠実にしても、誠実なんか大人には通じない。


 世間の認める『悪者』。

 あいつはどれほど卑怯にしてもいい。


 いくら叩いてもいい悪。


 彼女の人生はそうして始まり、そうして終わろうとしている。


 ……けれど。

 その彼女の元に『神』が降り立ったのは、彼女のそういう意思に応えたとか、彼女の苦境に胸打たれたとか、吉凶のバランスをとるために吉を授けようとしたとか、そういうことではなかった。


 その神は人類すべてを等しく高潔で善いモノと考えている。


 だから、彼が誰かを助けるのは、『たまたま、指先にいたから』だ。


「お呼びにあずかり、参上しましたよ」


 彼女の目の前に現れたのは、艶のある笑顔を浮かべる、黒髪の男だった。

 美しい。だが、それ以上にうさんくさい。


 彼女はまず、鼻で笑った。……今にも死にそうな、血反吐を吐き、胴体の右半分が欠けた状態でそれでも『生』にしがみつく彼女は、こうして差し伸べられた救いの手を、


「うさんくさ」


 疑い、嗤ったのだ。


 ……この黒い神が人間個人を判別することは極めて稀である。

 だが、この態度は神の心に触れた。この瞬間から彼女は、神にとって姿形を記憶するに値する、『特別な一つ』になったのだ。


「私はあなたを憐れまない」


 神は指を一本立てた。

 血反吐を吐き、呼吸にもなっていない呼吸をする彼女は、神をにらみ返していた。


「私はあなたを救わない」


 神はさらに指を一本立てた。

 彼女はただ、神をにらみつけている。すべての不幸の原因がそこにいるというように。


「私はあなたを陥れる」


 神はさらに一本の指を立てる。

 この時、ようやく彼女は笑った。


「で、何しに来たの、アンタ」


 彼女の吐き出せる酸素の量から考えて、それが末期の言葉だった。

 これ以降発声するだけの空気いのちを彼女は残していない。


 だから最後まで、彼女は救いを求めなかったことになる。


 神は、答えた。


「あなたを利用しようと思います。願わぬ者よ、あなたは私の駒として息を吹き返しなさい」


 最後だったはずの空気を吐き出した肺に、空気いのちが満ちていく。

 欠けて消え失せていた臓器が、先ほどまであったことを無視して再び稼働を始めた。


 彼女は鼻で笑う。


「最悪」


 立ち上がり、


「でも、『神』とか『運命』って、そういうヤツだよね。連中は救いなんかもたらさない。ただ、箱庭に人を閉じ込めて、弱いヤツが、徒党を組んだ強い連中に嬲られるのを見て楽しんでる異常者どものくせしてさ」

「……」

「信じるよ、アンタは神。で、あたしは──」


 彼女は笑う。

 それは、とびっきりの、余所行きの──嘘の、笑顔。


「──馬鹿な連中から『神』と呼ばれる何かになる」


 彼女は倒れている自分に差し伸べられた手は取らなかった。

 だが、立ち上がって、握手には応じた。


 神とその駒は、対等かのように手を握り合う。

 これが、現在『ピカり』という名前で活動する配信者と、名無しの神との出会いであった。



『ピカり』は躍進を開始した。

 初めての動画から念入りに練られたプランを実行し、すぐさまトップの配信者の一人となる。


 そうして稼いだスパチャを使ってより難易度の高い場所を攻略していく。

 もちろん、ただ強さを見せつけるだけではない。……母親の言動で知っていた。この世界はまだまだ、『男』と『女』でロールを分けたがるクズが多い。であるならば、力いっぱい『女の子』をしてやろう。今の年齢でこの容姿なら、ちょっとでも『女の子』をしてやれば、手を叩いて喜ぶゴミどもが大量にいるのをピカりはよく知っていた。


 少し抜けてて、軽そうで。

 子猫みたいに高い声で、にっこり笑って、鼻にかけた甘い声で脳を溶かす。

 服装は清楚に。でも画角は淫靡に。

 活躍はほどほど。でも『見る人が見ればわかる。これは、すごい記録だ』とコアな連中を喜ばせる数字を出そう。


 愛想を振りまけ。それは武器だから。


 コラボ相手は踏み台だ。うまく乗って駆け上がる。


 実力は大事。五番目ぐらいに。そんなこよりうまく流行に乗っかるのが一番。流行に乗っかって、他の配信者もやってるようなことをやらないと、馬鹿どもは『個性』を判別出来ない。よく似た中から間違いを探すのが大好きな連中は、自分が間違いに気付いているのか、気付かされているのかも知らない、救いようのないアホばかり。


 炎上はチャンスだ。善悪を翻すことが出来る。

 ケンカ上等。ただし、『悪』に見られない範囲で。一度『悪』にされれば、どこまでも『悪』にされるのは人生でとっくに学んでる。悪にされたが最後、呼吸さえも悪事扱い。そういう経験は学校でさんざんした。


 競合他者は徹底的に潰せ。ただし、潰したことがバレないように。

 動画のコンセプトを被せるのは人気コンセプトならみんなやってるからバレない。コラボを誘おう。仲良しになろう。そうして愚痴を聞いてあげる。うんうん、わかるよ。つらいよね。でも、話す相手を間違えちゃったね。共感を示せば味方が出来るのを知っている。だから共感しているフリはずいぶんうまくなっていた。


 有名配信者に叩いてホコリが出ないようなヤツは一人もいない。

 というかあからさまにヤバいことをやっている人だっている。でも、誰も突っ込まない。なんでって、その人が有名だから。有名で、好まれてると、勝手に裏に『しょうがない事情』が妄想される。逆に嫌われてると、なんの根拠もないのに『でも、こっちが悪いんでしょ』と言われる。芸能人が一般人を襲ったニュースで、芸能人が擁護されて被害者がむしろ責められる構図だ。真実はどっちだろう? 知らない。興味ない。誰も。責めてる人も擁護してる人も、『責めたい悪』と『擁護したい正義』を頭の中で生み出すのに忙しいみたい。お疲れ様でーす★


 駆け上るのは予想通り難しくなかった。


 実力は大事。五番目ぐらいに。でも、それはすべてを支える土台だ。一番から四番まで、五番がなければ出来はしない。

 だからピカりは実力を大事にした。配信以外でもひたすらダンジョンに潜った。


 ダンジョンは素直だ。

 人にあらかじめ『善悪』というフィルターをかけない。ただ成すべきことを成すだけで、それを極めてフラットに判断してくれる。


 盤石になった。

 でもまだ『同格』も『上』もいる。


 足りない。世界一はまだ遠い。この世界の全部がクソみたいなゴミで馬鹿ばっかりというのはもうわかりきってる。この連中を全部下敷きにしたい。まだ足りない。


 まだ足りない、けど、いつか、届く。

『賞味期限』が来るまでに──届く。


 でも、『それ』を見た。


 ルックス、よし。

 素人感が天然。性格が悪そうなのに、守ってあげたくなる弱弱しさもよし。


 カップル配信者?

 舐めてんじゃん。でもうまい。弱弱しい天然イキり雑魚が粗を作って注目を引いて、仕事人のもう片方が実務を全部やって玄人うならせる。

 物語がある。成長が見える。そして言葉ではうまく説明出来ない『推したさ』がある。


 久々に、特大の危機だと思った。


 こういうのが、善悪を翻す。


 だから、潰すことにした。


 かくしてピカりは猫屋敷ねこやしき奈々子ななことディに目をつける。

 ……彼らが自分に憑いている名無しの神ジョンと敵対しているかなんて、どうでもいい。

 そもそも彼らを発見したのはピカりで、発見して口に出した質問に、ジョンは答えただけ。


 だからこれは、彼女自身の意思だ。


 潰そう。

 自分のために。


 これは神も神殺しも関係ない、ピカり個人の願いだった。

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