その動画を見ながらモニターを叩き壊さずにいられるのは、自制心が身に付いたからか、それとも慣れたからか。
ピカりはディと
その微笑みは激しすぎる怒りがある一定ラインを超えた時に浮かんできたものであり、最近はずっと、この菩薩のような笑顔を浮かべている。
「……
「どうなさいました、ピカり様?」
「あんたはあたしを利用してるんでしょ? あんたを殺そうとするあいつらに、あたしをけしかけて排除しなくていいの?」
「はて? 私は私の目的を『彼らの排除』と申し上げたことがあったでしょうか?」
「……違うのかよ」
「とんでもない。私の目的は『世界を完全にすること』です。あなたにはそのための大きな乱数としての働きを期待するのみであり──ディ様もまた、私がこの世界に招いた、『大きな乱数』なのですよ」
「はぁ!?」
そこでピカりは席から立ち上がり、背後を振り返った。
視線の先には黒い神がいる。
名無しの神──ピカりを救い、利用する神。力を与える神。
ピカりは自分の意思でこの神の手を取った。そして、自分を駒として利用しようとするこの神を、逆に利用してやろうと決めて、ここまで『利用』を続けてきた。
「つまり、あいつらが──あいつらにあたしがコラボ出来ないまま、接触出来ないまま、ここまで来たの、あんたのせいってこと!?」
「いえ。私はそこに関しては何もしていません。ただ単にスケジュール調整の問題ですよ。人間の領分です」
「あらゆる方法で接触しようとしてんのに出来ない! 出来ないまんま──あいつらの登録者数が500万になった! これじゃあ、ダンジョンでハメ殺すのが難しくなる! 世間が『悪』をどっちにするか迷うだろ!?」
「でも、あなたの登録者数も550万に上がっているようですが」
「あいつらは半年で7人から500万人になったの! あたしは二年ぐらい400万で停滞して、じりじり450万になって、あいつらと攻略階層を競い合って550万! ──勢いが違うんだよ!」
世間は勢いを見る。
誰かに味方をするというのは、ようするにその誰かに『乗っかる』ことだ。
ピカりは世界有数の超大物配信者。だけれどその勢いはしばらく停滞していた。
ところがディたちのチャンネルは登録者数一桁から半年でここまで到達したばかり。勢いがある。
人が乗っかりたがるものは、安定したものよりも勢いがあるものだ。
また、『長らく高い位置で安定していたもの』を『下から来た勢いのあるもの』が追い抜く展開が好きだ。追い抜いた時に『お前たちはやると思っていた』と腕を組んでうなずくのが好きだ。
そして長らく潰せずに放置せざるを得なかったせいで、ピカりは今、『勢いのある新人にうち倒されるもの』にカテゴライズされつつある。
ディたちに対抗してダンジョン攻略階層を伸ばしていたせいでもある。攻略階層を伸ばす、(ほぼ)ソロでの攻略、容姿に優れた若い女、という点が奈々子と被っており、世間は奈々子とピカりをライバルと見始めてしまったのだ。
楽曲提供などをきっかけにコラボ提案を持ち掛けたのだが、なぜか相手のスケジュールがうまい具合にパンパンで、それも、ピカりも『いいから別なやつとのコラボどかしてあたしとのコラボ入れろ』という要求がしにくい相手とのコラボが多かった。
世間にいる全部の配信者のスケジュールを観察して、ピカりが暇なところに決まって大物とのコラボを入れるような調整が可能な超有能マネージャーがついているとしか思えない。
もしくはあの執事がなんらかの能力でそういう調整をしているのだろう。
「これじゃあ、確実に勝てない! あたしがあいつらと戦いになったら、あいつらに味方する連中が出て来る! どっちが『悪』になるか読めない状況になった!」
ピカりの叫びに、名無しの神は穏やかに微笑み……
首を傾げた。
「何か、問題が?」
「問題に決まってんだろ!!!」
「あなたの言葉を解釈するに、それは、『互角の状況でぶつかり合うしかない』という話、ですよね」
「そうだよ!」
「いいではありませんか」
「………………」
「二つの大きな乱数が、互角の条件でぶつかり合う。すると、不完全な神に設計されているせいで、不完全なこの世界が、一瞬だけでも完全になる──完全とするには、大きな乱数が生じさせる、大きなランダム要素が重要です。ようするに、『読めない』ことが重要なのですよ」
「……」
「これまで、あなたと戦えば、彼らは社会的、戦力的にただ殺される者だった。しかし、今は『読めない』。……非常にいいことだと思います」
ピカりは思い出す。
……これまで、ずっとずっと、この神はピカりにとって有用だった。
邪魔することはなかった。だが……
この神は味方ではない。
こうしてプライベートな面を見せられる相手というのが、この神以外にいないから心が勘違いしてしまった。
改めて、意識する。
(──あたしには、味方なんかいない。……ううん。この世界には『味方』なんか、どこにもいない。誰にも、いない)
SNSのフォロワー数は、自分に向いている銃口の数だ。
チャンネル登録者数は、炎上した時にくべられる薪の数だ。
ダンジョン配信は祭りでしかない。
面白いもの、珍しいものを陳列し、興味を惹く縁日の屋台。
ピカりはその中で多くの人が注目する屋台でしかない。
だから、配信者はネタを切らしてはならない。
何もしない、何もない配信者に味方はいない。ネタを提供し続けることこそが存在証明であり、『ネタを抜きにして、そこにいる人間』に味方をし、困った時に支えてくれて、絶対に漏らさず秘密を一緒に抱えてくれる者なんか、いない。
それは『悪意』ではない。
『当然』であり、あるいは『善意』によって──人々は配信者を消費する。あるいは、擁護のつもりで後ろから撃つ。馬鹿がへたくそな善意を発揮して、自分が善人であることに耽溺しながら、後ろから撃ってくるのだ。
ピカりは、笑顔をまとった。
「じゃあさ、ジョン、もう一個、チートちょうだい?」
「ふむ」
そこで名無しの神は何かを考え始めた。
視線はモニターに向いている。……ディと奈々子の配信が流れるモニター。
しばし、ながめ……
「いいでしょう。ただ、忠告はしておきます。長くはもちません。もう、あなたの器はすでに、限界以上の力が注ぎ込まれています。これまでは『壊れるかもしれない』でした。これ以上は、『確実に壊れる』」
「いいよ別に。……あのねえカミサマ、人間にはね、全部を差し出してでも挑戦しなきゃいけない時ってのがあんの。……あんたと出会った時と、それから、今。それがあたしの、命の懸けどころ」
「しかし、もうあなたを救う神はいないでしょう」
「ハンッ」
ピカりは嘲るように、見下すように笑い、
「お前があたしを救ったつもりでいるのかよ。最初からいねえんだよ、誰かを救う神様なんてのは」
名無しの神は、一瞬、驚き、そして、笑う。
「……そうでしたね。素晴らしいことです。あなたは……私が力を注ぐに足る『乱数』だ」
「そりゃどうも」
「力を渡しましょう。あなたに期待します」
この神が特定個人に期待をかけることなど、ありえなかった。
ありえないほどの恩寵──
ピカりはそれを、鼻で笑う。
「『便利な道具として利用します』の間違いだろ」
少なくとも、自分はそういう気持ちでいる。
邪神は笑っていた。何も言わずに、笑っていた。