「何だ?」
「そっちこそ何よ。壁の方を向いて寝るって言ってたでしょ」
「……もう寝てると思ってな。それにまさかそっちが俺の方を見てると思わないだろう」
(さっきまで泣いていたしな)
「う、うるさいわね。なかなか寝れないのよ」
外に声が漏れないように小声で言い合う。アレンがまた息を吐いて壁の方を向こうとすると、「待って」とエミリアが呼び止めた。
「何だ? 無駄なおしゃべりに付き合うつもりはない。これからのことを考えて体力は温存しておいた方がいいからな」
「無駄じゃないわ、大切なこと。私の目を見て答えて」
なるべくまじまじとは見たくない瞳だった。忘れかけていた過去の記憶が勝手に思い出される。無惨な死を受けて、今世ではせめてグリングの言う通りにしぶとくともどんな形であれ最後の最後まで生き逃げようと決意したことも。
アレンは目を見つめた。完全な暗闇においてもなお、目の輝きははっきりとわかる。
「アレン、あなたは【
「……あ?」
アレンの胸がトクンと跳ねた。平静を装って疑問形で返すも、大きな瞳を目の前にして視線が泳いでしまう。
「やっぱり誤魔化した。どう考えたっておかしいのよ。見た目私と同じくらいなのに落ち着きすぎだし、いろんな手際もいい。それに闘技場での戦い。あの状況であなただけ闘技場の端の安全な場所に逃げられるのはおかしくない? 前世持ちは、他の人が身につけられない特別なスキルを持ってるって聞くわ。いわゆる、ユニークスキルをね」
アレンもそのことは知っていた。以前読んだ『スキル全集』という本に紹介されていたからだ。通常の方法ではどう頑張っても習得することができないスキル──世界中の学者や国、ギルドが調べた結果、そのスキルを使えるのは前世の記憶がある者、つまりありていにいえば転生者のみであることが突き止められた。
どれもが強力で一人いるだけで戦況が変わると言われることから、転生者のスキルは他のスキルと区別してユニークスキルと呼ばれるようになる。
アレンは何も言わず首肯した。エミリアがさらにぐっと顔を近づける。息遣いが聞こえてきそうなほどに近い。
「どうして黙ってたの? いいえ、それよりなんで闘技場なんかにいたの? 前世持ちはギルドでも破格の待遇で迎え入れられるって聞いているわ! ここが嫌ならどこか他の国でも──どこの国でも
ソブリンは、ギルドのトップの意。国とは言っても、今の世界秩序は小さな都市国家が小競り合っている状況に過ぎない。ギルドは国と密接に関わり、法にも軍事にも経済にも大きな影響を及ぼしている。そのトップともなれば権力は国王にも匹敵すると言われている。
「それが嫌なんだよ。
──もう二度とな。
「無駄なんかじゃないわ」
エミリアは肘をついて上体を起こした。長い髪がアレンの鼻先にかかる。
「力があれば敵を制することだってできる。戦争も終わらせることができる。そりゃあ悪用すればダメだろうけど、平和のための力は、たとえ犠牲になろうとも無駄じゃない!」
……似ている、とアレンは思ってしまった。嫌なくらいに似ている。どんな劣悪な状況下であろうと、どんなに命の危機が迫ろうとも、正義を信じ平和を願ったミリナに、エミリアはよく似ていた。
(よく言っていたな。勉強して医者になるんだと。敵味方関係なく誰の命でも救う医者になるんだと)
「だけどな、現実には何も変わらないんだ」
アレンはエミリアの顔を見ていられなくて仰向けになると暗い天井を見上げた。
「それでもいいわ」
エミリアの細長い手がアレンの方へ伸びて胸倉を軽く掴む。
「何をする──」
畳み掛けるようにエミリアは言った。
「私があなたの力を使って平和をつくる。奴隷なんてない国をつくる。差別も、生まれながらの格差もない国をつくる」
青いはずのエミリアの瞳が、炎のように赤く燃えているようにアレンには見えた。
「教えなさい。どんなスキルなのか。どうやって助かったのか。じゃないとこのまま首絞めるから」
そのまま首に上がってきた手を取ると、アレンは簡単にエミリアの手を捻りその顔を歪ませた。
「いった! 何すんのよ!」
手をぱっと離すと微笑む。
「非力な俺よりもさらに力がないくせに首を絞められるわけないだろ」
スキルがなければ全く弱いながらも10年以上は戦ってきたのだ。
「でも、聞かなそうだから話してやるよ。言っておくがスキルについて話すのはエミリアが初めてだ。お前が信頼できると思って話す。絶対に漏らすなよ」
「も、もちろんよ」
なぜか座って姿勢を正すエミリアに「寝ろ」と言って、アレンは『盤上の目』について説明した。どういう経緯で身につけたのか、何ができるのか、どう生き逃げてきたのか、ついでに過去世についても。
一度息をつく。夜はさらに深まりより一層静寂に包まれる。エミリアはアレンが話をしている最中もじっとアレンの瞳を見つめて離さなかった。
「それで、どうやって闘技場を脱出できたの?」
「そのことについてなんだが、不明な点がある。観客席に緑色のユニットが現れたんだ」
「緑色のユニット? でも、ユニットは青色が味方で赤色が敵なんじゃ……」
「そうだ。だが、緑色のユニットが現れた。そして、そのユニットはエミリアに唇を近づけたときに青色に変わった。つまり、突然味方になったということだ」
エミリアは暗闇でもわかるくらい顔を赤く染めると、また乱暴にアレンの胸元を掴み頭を激しく揺らした。
「つまり、じゃないわよ! 忘れなさいそんな記憶!」
「揺らすな。事実なんだから仕方ないだろ」
「私にとっては消したい記憶よ! あれがアレンだったからまだよかったけど! 反吐が出るくらい気持ち悪いわ!」
「確かにそうだ。が、事実は消せない。もう思い出させないから落ち着いてほしい。今、問題なのはその観客席のユニットが氷の魔法を起こしたということだ。あれはそう──リージョン魔法を」
「……観客が? ……どうして?」
緩んだエミリアの手を離す。エミリアの目線は考え込むように暗闇の虚空を泳いでいた。
「俺達を助けようとしたことは間違いない。ただの憶測だが、緑色のユニットは敵にも味方にも属さない中立のユニット。それが青色に変わったんだ。試合中の何かをきっかけとして助けようと思ったんだろう。その理由まではわからないが」
(ヴィポの片目を潰したあのときも、観客席には緑色のユニットがいた。もしかすると──)
「どうしたの怖い顔して? 何かあるんだったら言っておいた方がいいわよ。私はこれからアレンの力を使うんだから、もし隠し事をしていたら許さない」
エミリアの口端が上がり、悪戯っぽい笑顔を見せた。アレンは思わずエミリアの脳天に空手チョップを喰らわせる。
「痛った!! 急に何すんのよ!」
「何か無性に腹が立っただけだ。隠し事はない。これ以上話すこともない。寝るぞ」
「あ、ちょ! まだ話終わってない!!」
「終わりだ終わり! 雑談なら明日でも明後日でもいつでもできるだろ」
アレンは反対を向いて強制的に話を終わらせた。体の内側から沸き上がるような妙な高揚感を無視しながら目を閉じる。
誰かと長く話すのが久しぶりだったからか、闘技場から逃げた一連の疲れからか眠気は急に訪れ意識は暗闇の底に沈んでいった。