目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

第13話 張られた罠

 小鳥の囀りが聞こえる。すずめかその類の鳥だった。身体の異変とともに目を覚ますとアレンは、右腕に妙な重さを感じて顔を上げた。


 エミリアがアレンの右腕を抱いて枕代わりにしていた。まだ本人も気づいていないのか、幸せそうな寝息を立てて夢の世界の中にいる。明るい太陽の光の下、間近で見る顔かたちはやはり整っており、赤味が差す頬は以前読んだ本に出てきた女神を連想させた。


(俺のスキルを使うと言っていたが、いったい何をどうしようというのか? 正義感は暴走するほど強いが、肝心の策略が果たしてあるのか)


 じっとアレンがまだ幼さの抜けきらない顔を見ていると、エミリアの整った瞼が上がった。目と目が合う。思わず、アレンは視線を外してしまった。


「なに? えっ? 私──いや、違うからね! たまたま偶然よ! 寝ているときって意識ないんだから何をしてるかわからないじゃない!」


「……そうだな。寝ているときと意識ないは、この場合ほぼ同じ意味だと思うが」


「うるさい!」


 肩を軽く叩くと、慌てたようにエミリアは立ち上がり佇まいを直す。アレンも胸に手を当ててそっと息を吐くと立ち上がり、小屋の扉を開けた。眩しいほど真っ白な外の光が差し込んでくる。


(まさかの動悸がする。心は大人でも身体は18歳のままってことか? 何にせよ──)


「行こうか、ブラックマーケットに」



 元いた世界に換算すると、闘技場から徒歩30分ほどの場所にブラックマーケットはある。買い物に来るのはスラム街の住人が大半を占めるが、中には平民やそれから貴族も訳ありで正体を秘匿して訪れることもあった。


 アレンとエミリアはギルド員の姿に警戒しながら、左右を高い赤煉瓦の塀に囲まれた砂利道をマーケットの入口まで進んでいた。


「キョロキョロしてどうしたの?」


「いや、本で読んだ通りだなと思って」


 アンフィテアトルムの街並みはどこも塀に囲まれていた。外から敵が攻め込んできたときに簡単に侵入を許さないために入り組んだ複雑な構造にしているらしく、大人の背よりも高い塀に囲まれた道は、馬車1台が通れるかどうかといったところでまるで迷路のようだった。


「本って……やっぱり闘技場の外の記憶はないの?」


「ない。両親の顔すら覚えていない。むしろ、前世の記憶の方が鮮明なくらいだ。エミリアはどうなんだ? 記憶があるのはいつからとか」


「私?」


 エミリアは歩きながら天を見上げた。今日も青空が広がっており、歩くだけでも少し汗ばむ暑さだった。アンフィテアトルムの夏は、いつも暑い。とはいえ、湿度は低くカラッとした天気で時折吹く風は心地よかった。


「私は、気付いたら奴隷を運ぶ馬車に乗せられていた。女の子たちばっかりだったわ。いろんなお店の前で何度も止まって。その度に一人ひとり降ろされて無理矢理連れてかれていた。混乱していたから何もできなかったけど、今の私なら全員とまではいかないけど何人かは救えていたかもしれない」


「そうか」


 アレンが一言、冷たく聞こえるような返事で済ませたのは、エミリアが暗に言いたいことが理解できたからだ。女の奴隷の行き先はほぼ決まっている。その先は決して明るい未来は開けないだろう。


 カーブになっている道に差し掛かったところでアレンは足を止めた。


「? 何? どうし──」


「静かに。ギルド員だ。それも複数いる」 


 スキル『盤上の目』を発動させる。地形はマス目状に仕切られて見えない位置のユニットにも赤色が灯った。敵の数は──。


「10人ほどだな」


 聞こえないように小さい声で人数を伝えると、エミリアは口を押さえながらも驚きの声を上げた。


「そんなに? 倒せないよ!」


 緩やかな坂の一本道だ。前に進めば鉢合わせしてすぐさま戦闘に入る。それに魔法か弓矢か遠距離攻撃を持つユニットが半数を占めているため、アレンたちの姿がバレたところで一斉に攻撃を浴びる可能性もあった。10人もいれば不意打ちもまるで意味をなさない。


「攻撃範囲が通常よりも広い」


「……どういうこと?」


「坂になっているからだろう。坂上から坂下へは矢がよく飛ぶ。もっともこちらに遠距離攻撃に対応するすべはないが」


「はっ?」


(闘技場以外で使うのは初めてだが、本当にゲームのようなスキルだな。高低差による攻撃範囲の変更とか……緑色のユニットといい。だからこそ、シミュレーションゲームのようにしっかりと戦力がいなければ勝てない仕様になっているが)


「ど、どうするのよ?」


 アレンは上目遣いのエミリアの顔を見て微笑んだ。


「俺のスキル、エミリア──あんたが使うんじゃなかったのか?」


「それは……! もっと大きい話っていうか、方向性の問題というか……実際の戦いで使えるわけないじゃない!」


「わかってるよ。冗談はさておき、とにかく切り抜けるしかなさそうだ」


 エミリアは細長い首を傾げた。


「今のが冗談……?」


 その呟きはアレンの耳には入っていなかった。


(さて、どうするか……)


 ちらっと見た限りでは敵は甲冑で身を固めた戦闘経験豊富なギルド員。丁寧にフルフェイスで顔まで覆っており、アレンのナイフ一本ではまずもって太刀打ちできそうもなかった。エミリアも武器はなく、仮にあったとしても今の時点では戦力になり得ない。


 アレンの瞳に濃赤のユニットが映っている。直接姿は見えないが、この戦いにおけるボスユニット。おそらくはギルド員を束ねる隊長のような存在だろう。


(完全に張っている。いや、それもそうか)


 集団はどこかへ行く様子がなかった。ウロウロと動き回っているが、道を塞いでおり往来する通行人を見逃さないようにしている。つまりは検問だった。


「あ〜暇っすね〜本当にまだこの辺りにいるんですか?」


 呑気な会話が聞こえてきた。退屈したギルド員が雑談を始めているのだろう。


「街の方に逃げた情報はないからね。着の身着のまま逃げたんだから、普通はブラックマーケットに潜り込むでしょ?」


 「うわっ」と小さく声を発したのはエミリアだ。


「私たちの行動、完全に読まれてるわね」


 アレンは頷くと観察を続ける。闘技場の方が無秩序ではあるがまだルールはあった。一歩外に出るともうそこはルール無用の世界。少数の弱者は大多数の強者によって簡単に追い込まれてしまう。


「でも、他に行く当てなんてないんだもの。ブラックマーケットに行けば少しの間でも匿ってくれると思ったんだけど……」


「……待て。ブラックマーケットはもう近くなのか?」


「え? うん、ここを抜けて坂道を真っ直ぐ進めば見えてくる、と思うんだけど。私、そこで捕まって闘技場まで連れてこられたから」


 アレンは真夏の太陽に向かって顔を上げた。眩しさに眉をひそませながらもスキルの範囲をさらに拡大する。色のついていない大勢のユニットが距離にして1、2キロ先にひしめき合っていた。中にはギルド員と思われる赤色のユニットも点在しているが。


(なるほど、マーケットの近くまでは来ていたわけだ。──と、すると)


「これは完全に賭けだが、やってくれるか?」

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?