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眼前に迫る剣閃に前髪が斬られる。すんでのところで避けたのはスキルのおかげでも10年培ってきた経験のおかげでもない、単なる運だ。
「相手はすでに闘技場から逃げ出した罪人だ! 腕や足の一本や二本なくなったって問題ない! 躊躇なく叩け!!」
「はい!」「了解です、隊長!!」
大振りの剣を構えた2人のギルド員がアレンを挟むように移動する。同時に攻撃モーションに入ると上段から青白い刃が振り下ろされる。アレンはタイミングよく攻撃範囲外の後ろの一マスへと下がると、再攻撃される前になるべく遠くへと思い切り跳んだ。
「くっそ、ちょこまかと!」
隊長と呼ばれた大斧を持つ大柄なギルド員は悔しそうに斧を振るった。
「今度はこっちだ!」「行きます!」
(マズい!)
弓矢と魔法が同時に攻撃モーションに入った。急いでアレンはオレンジ色のマスから後ろへと下がる。放たれた鉄の矢と水泡はアレンの目の前に落ちた。
「なぜ当たらない! さっきからずっとだぞ!!」
「隊長、落ち着いて。たまたまでしょう。なぜならあの男はこちらに反撃できていない。逃げ場もありませんし、袋の鼠ですよ」
(出たな、袋の鼠。闘技場でもよく聞いた言葉だ)
アレンはさらに後ろへと下がった。冗談を言っていられる余裕はもうなかった。エミリアを追うために2人いなくなったとはいえ、前方には8人もの手練れたギルド員が立ちはだかっている。アレンは壁際に追い込まれていて、動ける範囲が1秒1秒ごと──ゲームで言うならば1ターンごとに狭くなっていく。
(もって2ターンだ。やはり、厳しい賭けだったか)
いつでも動けるよう低い体勢を維持しながらアレンは次の手を考えていた。
(エミリアならおそらく説得はできているはず。問題は時間だ。……危険だが、少し挑発してみるか)
「……なあ、隊長さん」
これまで共に過ごしてきた奴隷たちの喋り方を真似て、アレンは軽薄な笑みをつくった。
振り回していた斧が止まり、フルフェイスがこちらを向く。
「……なんだ、命乞いか? それとも何か言いたいことでも?」
「いや、こんな鼠一人捕まえんのに、随分と時間を掛けてくれているんだなって」
「なんだと?」
「やっぱり奴隷たちと違って、丁寧な対応だね。闘技場にいたら、今の俺なら瞬殺よ。それがギルドのみなさんは実にゆっくり時間をかけて。いや〜さすがお上品」
「き、貴様!」
男は斧を握り締めた。兜で見えないが、相当怒り狂っている表情を想像する。
「早くしないと欠伸が出ちまうぜ。隊長さんとやら、あんたそのでかい
(ヴィポに言ったら頭を握り潰されるな。だが、これでどうなるか──)
「言わしておけば!!」
斧が地面に向かって振り下ろされる。衝突した音も激しかったが、それ以上にアレンを驚かせたのは衝突した地面から煙が立ち上っていることだった。
引き抜かれた斧の先端の
(どういうことだ? 魔法の一種なのか?)
「……いいだろう。俺が相手をする。こいつには二度と反抗できないように、しっかりと地獄の痛みを身体に刻みつける必要があるようだ」
全身からガチャガチャと金属音を鳴らしながら、斧を持つ男は近付いてきた。一マス一マス、アレンまでの距離が短くなっていく。
(願ってもない状況だ。これで時間は稼げる、が今のはどういうことだ?)
闘技場にもいろんな武器を持つユニットはいた。剣や斧、槍といった一般的な武器から変わり種では鉤爪やブーメラン、盾を武器にした者もいたし、ヴィポのように素手のみで戦う者も。
(だが、これは違う。そういった武器とは何か違う種類のものだ)
アレンの位置まで残り2マスというところでギルド員は立ち止まった。他のギルド員は完全に隊長に任せているのか自分の得物すら手に持っていない。
「知らないようだな。たかが闘技場にいる奴隷とギルド員では戦闘技術に大きな差がある。天と地ほどの差、と言ってもいいほどのな」
「……どういうことだ?」
男は斧を頭上高くへと掲げた。攻撃範囲はまだアレンのいるマスの外側だ。
「スキルだ。闘技場にはわんさかいるだろう。ドラゴンとか獣人だとか人間じゃない異種族が。奴らの特殊な能力に対抗するために作られた戦いの技術。持って生まれた者もいるし、戦いの中で身につける者もいる。他にもいろいろ、だが強力なスキルは聖ギルドが専有し、ギルド員にしか所持と使用を許されていない」
アレンはナイフを握りしめた。
(新聞で見たな。聖ギルドでも新しいスキルを導入すべきだとかなんとか)
「……それは、ユニークスキルも含まれるのか?」
男はくぐもった声を出すと、小刻みに鎧を揺らしながら笑った。
「ユニークスキルだと? それは選ばれた者のみが持つ、まさに神に与えられたスキルだ。我が聖ギルドでもユニークスキルを持つ者は
「隊長っ!」
「おっと、今のは内緒の話だった。まあ、もうお前には関係のない話だ。とにかく、俺の持つスキルはこれだ。
(それこそドラゴンだな。常に第一級で戦っていた奴隷の一人。奴のブレスは広範囲かつ複数対象だからなるべく近付かないようにしていた──いや、ちょっと待て!)
斧を持つ右腕が後ろへと下がる。赤く染まった斧は、まるで本物の炎のように燃え上がった。
(斧、単体なら近接武器だ。だが、炎を纏ったらどうなる!?)
アレンの目には信じられないものが映っていた。男のモーションに合わせて攻撃範囲を示すオレンジの枠が拡張したのだ。つまりは攻撃範囲の拡充。一マス分だった攻撃範囲が2マス分に増えてアレンのいる場所も一瞬のうちに攻撃範囲に含まれた。
「この斧は、炎を吹き出す。ドラゴンのようにな」
男が斧を横に振るう。風を切る音とともに炎の勢いが増し、薙ぐと同時に燃え上がる特大の焔がアレンの方へ猛スピードで向かってくる。
(これは……さすがにマズい)
自身よりも大きな炎の塊を前にアレンはなすすべもなく動けないでいた。
(──せめて防御を)
頭を守るために顔の前で腕を交差させて防御態勢を取る。焦げた臭いを感じたときには、全身の皮膚が炙られるような感覚に陥った。
攻撃は一瞬。しかし、ダメージはそうはいかない。炎はアレンの身体を舐めるように過ぎ去っていったが、アレンは膝をついてしまった。
「……ふん、悲鳴が上がらなかったのは残念だ。だが、これで終わりにしよう」
アレンが立ち上がれないでいる間にもギルド員は一歩前へと進んだ。軽い火傷でヒリつく喉で息をしながらなんとかアレンが顔を上げた先には、斧を振り上げた男の姿。
「まず、腕だ。そのあとでちょこまか動くその脚も切り落とす」
男の顔が酷く歪んだ。ヴィポの顔が連想される。
「安心しろ。炎は傷口を焼いて塞ぐ。血は流れないぞ」
アレンは目を閉じて頭を下げた。庇うように腕を交差させて自身の身体を抱く。
「今度こそ、終わりだ!」
(いや──ここからが始まりだよ)
「アレン!!」
遠くからでもよく聞こえる矢のように鋭く高い声が自分の名が叫んだ。続いて複数の足音が雄叫びに混じって聞こえてくる。