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第33話  辻斬りは恰幅の良い武家

「せやあぁ」

 ひとりが袈裟斬りを放ってきた。


 崎十郎は右足を引いて脇にかわした。


 敵が逆袈裟に斬り上げようとする。


 敵より早く上段から兼常を振り下ろした。


 敵の耳を削いだ。


 覆面の切れ端がひらりと宙に舞った。


「ぎえっ」


 覆面がはらりと解けて敵の顔が顕わになった。

 むさ苦しい髭面が苦痛に歪んでいる。


 血が流れ出す右耳のあたりを押さえて、六方を踏むようによろけながら引き下がった。


「できる」


「話が違うぞ」


 敵に動揺が走った。


 やはり崎十郎らと知っての襲撃だった。


 二間半ほど離れた位置では、善次郎が長脇差の破落戸と渡り合っている。


 破落戸どもに後れを取る善次郎ではない。


 崎十郎は次なる二本差の敵と対峙した。


 敵が突きを繰り出してきた。


 突きを鎬で受け流す。


 刀身の反りを使って敵の頸動脈を撫で斬った。


 ひゅっ。


 首から血が噴き出した。


 返り血を避けて横に跳んだ崎十郎にも血飛沫が降りかかった。


 敵は身体を半回転させながら地面に崩れ落ちた。


 きええ―っ。


 さらなる敵が下段からせり上げて諸手で突いてきた。


 崎十郎は引いていなす。


 遮二無二、正面を打ってくる敵を体さばきでかわす。


 兼常の切っ先が闇に煌めいた。


 敵は声にならぬ悲鳴を発した。


 同時に、腕の付け根から切断された敵の左腕がぼとりと落ちた。 


 次の瞬間、重い音をたてて、敵の身体が崩れ落ちた。


 ぐええええ。


 敵は肩口を押さえながら、乾いた地面のうえを転げまわった。


「……」


 後方に控えていた武士が、濃い闇の奥からずいと前に踏み出した。


 崎十郎は残心を取って息を整えた。


 敵と正対する。


(できる)


 同じ威圧感でも周作とはまるで異なった。


 暗い〝気〟が崎十郎を圧した。


「そこもとが噂の辻斬りだな」


「ふっ」

 辻斬りは鼻先で笑った。


 腹回りにしっかりと肉がついた、恰幅の良い武家だった。


「!」


 地面を蹴らずに歩んでくる。


 足音がたたない軽い足の使い方だった。


(流派がまったく読めぬ)


 ともに平晴眼の構えをとって互いの太刀筋を見極めんと対峙した。


 身にまとった邪気が、辻斬りの恰幅の良い身体を何倍も大きく感じさせた。


 睨み合うふたりの間が膠着した。


「おい、崎十郎、大丈夫か」


 善次郎の声に応える余裕はなかった。


 弱い側が堪えきれずに動く。


 先に動いた者が死ぬ。


 静寂が支配した。


 ひりひりとした感覚が崎十郎の負けん気を鼓舞する。

 同時にこめかみに冷たい汗を感じた。


 そのとき。


 崎十郎と辻斬りの間に、破落戸が倒れ込んできた。


 場が動く。


 崎十郎と辻斬り、同時に間合いに入った。


〝気〟と〝気〟がぶつかり合う。

 身体がすれ違う。


 辻斬りの身体が真横をすり抜けた。


「ぬ」

 兼常は空を斬った。


 シャッ


 辻斬りの刃が襲ってくる。


 かろうじて体さばきで逃れた。


 切っ先がかすめた。


 かすめた箇所は腋ではなかった。


 間合いから抜けた辻斬りが向き直った。


(斬られたか)


 辻斬りの刃先に撫でられた感触だけが残った。


 だが痛みはなかった。


 体勢を立て直し、またも晴眼に構えて睨み合った。


 しばしの膠着ののち、辻斬りは水面を滑るかのように、ついっと後退した。


 ついで、無言のまま左手を軽く挙げた。


「引け、引け」


 負傷者を連れて敵がいっせいに退去していく。


「待て! 勝負はこれからだ」


 辻斬りを追おうとする崎十郎を、


「深追いするな」と善次郎が制した。


 たちまち敵の姿は暗い通りの彼方、薬研堀方向へと消え失せ、あとには死体がひとつ、ぽつんと残された。


「正直、危ういところでした」


 提灯の灯りを近づけて切っ先がかすめたところをあらためた。根付けの紐だけが、すっぱりと切断されている。


「印籠がない!」


 お守り代わりにと、いつも園絵が薬を入れてもたせてくれる印籠だった。


「困りました。あれは加瀬家に伝わる古い印籠です。養母上にどう言い訳したものやら……」


「そのあたりに落ちてるだろ。いっしょに探してやらあ」


 提灯の灯りを頼りに落ち葉の舞い散った道をくまなく探したが、ついに印籠は見つからなかった。


「敵に持ち去られたなどということは……」


 不吉な予感が崎十郎を襲い、晩秋の冷たい風がふたりの間を吹き抜けた。


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