「せやあぁ」
ひとりが袈裟斬りを放ってきた。
崎十郎は右足を引いて脇にかわした。
敵が逆袈裟に斬り上げようとする。
敵より早く上段から兼常を振り下ろした。
敵の耳を削いだ。
覆面の切れ端がひらりと宙に舞った。
「ぎえっ」
覆面がはらりと解けて敵の顔が顕わになった。
むさ苦しい髭面が苦痛に歪んでいる。
血が流れ出す右耳のあたりを押さえて、六方を踏むようによろけながら引き下がった。
「できる」
「話が違うぞ」
敵に動揺が走った。
やはり崎十郎らと知っての襲撃だった。
二間半ほど離れた位置では、善次郎が長脇差の破落戸と渡り合っている。
破落戸どもに後れを取る善次郎ではない。
崎十郎は次なる二本差の敵と対峙した。
敵が突きを繰り出してきた。
突きを鎬で受け流す。
刀身の反りを使って敵の頸動脈を撫で斬った。
ひゅっ。
首から血が噴き出した。
返り血を避けて横に跳んだ崎十郎にも血飛沫が降りかかった。
敵は身体を半回転させながら地面に崩れ落ちた。
きええ―っ。
さらなる敵が下段からせり上げて諸手で突いてきた。
崎十郎は引いていなす。
遮二無二、正面を打ってくる敵を体さばきでかわす。
兼常の切っ先が闇に煌めいた。
敵は声にならぬ悲鳴を発した。
同時に、腕の付け根から切断された敵の左腕がぼとりと落ちた。
次の瞬間、重い音をたてて、敵の身体が崩れ落ちた。
ぐええええ。
敵は肩口を押さえながら、乾いた地面のうえを転げまわった。
「……」
後方に控えていた武士が、濃い闇の奥からずいと前に踏み出した。
崎十郎は残心を取って息を整えた。
敵と正対する。
(できる)
同じ威圧感でも周作とはまるで異なった。
暗い〝気〟が崎十郎を圧した。
「そこもとが噂の辻斬りだな」
「ふっ」
辻斬りは鼻先で笑った。
腹回りにしっかりと肉がついた、恰幅の良い武家だった。
「!」
地面を蹴らずに歩んでくる。
足音がたたない軽い足の使い方だった。
(流派がまったく読めぬ)
ともに平晴眼の構えをとって互いの太刀筋を見極めんと対峙した。
身にまとった邪気が、辻斬りの恰幅の良い身体を何倍も大きく感じさせた。
睨み合うふたりの間が膠着した。
「おい、崎十郎、大丈夫か」
善次郎の声に応える余裕はなかった。
弱い側が堪えきれずに動く。
先に動いた者が死ぬ。
静寂が支配した。
ひりひりとした感覚が崎十郎の負けん気を鼓舞する。
同時にこめかみに冷たい汗を感じた。
そのとき。
崎十郎と辻斬りの間に、破落戸が倒れ込んできた。
場が動く。
崎十郎と辻斬り、同時に間合いに入った。
〝気〟と〝気〟がぶつかり合う。
身体がすれ違う。
辻斬りの身体が真横をすり抜けた。
「ぬ」
兼常は空を斬った。
シャッ
辻斬りの刃が襲ってくる。
かろうじて体さばきで逃れた。
切っ先がかすめた。
かすめた箇所は腋ではなかった。
間合いから抜けた辻斬りが向き直った。
(斬られたか)
辻斬りの刃先に撫でられた感触だけが残った。
だが痛みはなかった。
体勢を立て直し、またも晴眼に構えて睨み合った。
しばしの膠着ののち、辻斬りは水面を滑るかのように、ついっと後退した。
ついで、無言のまま左手を軽く挙げた。
「引け、引け」
負傷者を連れて敵がいっせいに退去していく。
「待て! 勝負はこれからだ」
辻斬りを追おうとする崎十郎を、
「深追いするな」と善次郎が制した。
たちまち敵の姿は暗い通りの彼方、薬研堀方向へと消え失せ、あとには死体がひとつ、ぽつんと残された。
「正直、危ういところでした」
提灯の灯りを近づけて切っ先がかすめたところをあらためた。根付けの紐だけが、すっぱりと切断されている。
「印籠がない!」
お守り代わりにと、いつも園絵が薬を入れてもたせてくれる印籠だった。
「困りました。あれは加瀬家に伝わる古い印籠です。養母上にどう言い訳したものやら……」
「そのあたりに落ちてるだろ。いっしょに探してやらあ」
提灯の灯りを頼りに落ち葉の舞い散った道をくまなく探したが、ついに印籠は見つからなかった。
「敵に持ち去られたなどということは……」
不吉な予感が崎十郎を襲い、晩秋の冷たい風がふたりの間を吹き抜けた。