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第7話:猫だって自殺するんだよ

 2024年9月21日(土)18:04

 神奈川県小田原市

 度会 修(34)


 猫も自殺するんだな

 最初の感想は、そんな最低なものだった。ペットの牛丸を抱きながら自己憐憫に浸る。牛丸を失った喪失感に打ちのめされる。ここでも俺は自分がどうか、しか考えられないのだな。最初から最後まで終わっている自分に笑ってしまう。

 早川漁港近く、石橋支線沿いのコンクリート。海に面して敷かれているコンクリートに腰掛け、テトラポッドとその奥に浮かぶ夕陽をぼんやりと見つめる。びしょびしょの、ボロ雑巾のような牛丸。黒猫で、口や首周りがところどころ白い牛丸。夏の暑さとは真逆のひんやりと冷たい牛丸。牛丸はもういないのだと、じき消えていく夕陽が嘲笑っている。 


 "海に飛び込んじまったんだよ。この猫、あんたのだろ?"

 さっき顔馴染みの漁師さんが家にきた。ボロボロになった牛丸を優しく抱いて届けてくれた。

 いや俺も初めて見たよ、猫が自分から海に飛び込むなんてさ。間に合わなくてごめんな

 一切落ち度のない漁師さんに、ただただすみませんとしか言えなかった。


 綺麗に目を閉じて、まるで眠っているかのような牛丸。でもぐったりと、まるで生命の感触がないから、ああもう死んでいるのだなとはっきり分かる牛丸。

 心当たりしかない。牛丸は俺が殺したんだ。俺が助けてもらうことしか考えてなくて、牛丸にとっての幸せを全く考えてなかった。ペットだから、飼い主に貢献できるのが幸せだろうと盛大に勘違いしていた。猫だから、お気楽だからと舐めていたんじゃないのか。猫はなんにも考えてなさそうだから、ついいいだろうと甘えてしまっていた。牛丸から生きる力を奪ったのは俺だ。

「ま、この子も悪いんだけどねえ」

 いきなり右から声が聞こえた。野太い、低く響く声。びっくりして見るとそこには猫がいる。周りにおっさんがいないかと見渡すが人間はどこにもいない。もう一度猫を見つめると、ワシだよ、と猫がしゃべった。キジトラのデブ猫。こんなにも貫禄のある猫は見たことがない。たぶん野良猫、なのにでっぷりと太っている。

 ああ、はあ。そう、気怠そうに答えてしまった。珍しいな、ワシを見てびっくりしないなんてとデブ猫は笑っている。牛丸がいなくなって、俺はもうびっくりする力も失ってしまったのか。

「猫だって辛いんだよ。お気楽な訳ないだろ」

 デブ猫は俺の隣にきて座った。コンクリートの壁に背中を預け、人間のように後ろ足を前に投げ出して座った。沈んでいく夕陽を、哀愁たっぷりに見つめている猫。お気楽な訳ない、という言葉が似合う。

「嫌なら逃げて、ワシのとこに来いと言ったんだけどね」

 デブ猫は淡々と言った。牛丸を追い込んだ俺を責める様子がない。

 そうか、やっぱり牛丸は嫌だったんだ。年中俺の腕に包まれて、年中俺の愚痴を聞いてくれた。鬱憤を全部受け止めてくれた。それが本当に苦しかったんだ。

 大嫌いな父親の顔が浮かぶ。毎日飲み歩いて、夜遅くに顔を真っ赤にして帰ってくる。眉間と額に深い皺を寄せながら、狂ったように会社の人間の悪口を繰り返す。うんうん、辛いねと恭しく聞いてあげている母親のことも嫌いだった。離婚が決まった時は、ほら、やっぱり嫌だったんじゃないかと思った。あんな男になりたくない、そう強く思っていたはずなのに。何人かと付き合ったけど、愚痴が多くて疲れるとか、精神的になんか不安定だねとか色々言われてフラれてきた。もう人間と関わるのは辛いと逃げ続けて、猫に甘えてしまった。だがその猫も己の至らなさで殺してしまった。

「嫌な思いは、ちゃんと本人に言わないとね」

 デブ猫が穏やかに続けた。じゃないと大切な人を殺しちゃうからね。そう言ってデブ猫は俺を見て、まるで許すかのように微笑んだ。

 今、人生の岐路だと思った。大切な存在が全て消えた今、なぜこうなのかが分かった気がする。ここで飛び込まなきゃ俺はたぶん自殺する。












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