「それではガイスト公爵閣下、これにて失礼致します」
「ああ、学園の休学に対する手続きやルインハルド子爵への説明は私に任せておけ。追って配属の部隊については知らせる。それまでしっかり腕を磨いておけ」
「畏まりました。聞き入れていただき感謝いたします」
ガイスト公爵はサッサと出て行けと言わんばかりに手を振る。
深く一礼をしたシビルが退出し、立ち去った後の部屋でしばらく動けなかった。
以前とはまるで違う自信に満ちあふれた態度。
それを裏付けるように、そのあまりにも凄まじい潜在魔力の大きさが本能的な恐怖を植え付けた。
正直娘をたぶらかしたと聞いた時は即刻手打ちにしてやろうと思うほど激昂した。
実際に兵を差し向けようとしたところで、娘のエミリアに止められたのである。
三人姉妹の中でも、特に溺愛しているエミリアに嫌われることを恐れた公爵は、話だけでも聞いてほしいという娘の願いを受け入れざるを得なかった。
そして、そのことを今、大いに後悔している。
「……あれほどまでに凄まじいとは。
ガイストはあらかじめこの日が来ることをある人物から予見されていた。
それもつい昨日のこと。シビルがアルフレッドと対決を制した直後である。
コンコンコンッ
「入れ」
「こんにちは、ガイスト公爵」
扉が開いて入って来た人物に思わず椅子から立ち上がる。
「こ、これはルルナ王女殿下ッ!」
入って来たのはこの国の第三王女。
純白のシルクのように、柔らかく光を反射する艶やかなパールホワイトの髪。
眉尻は柔らかく垂れ下がり、純白の髪の毛と同じ白い瞳が見るものを魅了する。
マーメイドラインのドレスを着こなす華奢な肩、細いくびれ、引き締まった脚。
エミリアと同じ年の少女でありながら、完成された美が彫刻芸術のような完成度を誇る神聖さと、背中が大きく開いたドレスの素肌が淫靡な色香を醸し出している。
しかしその完成された女神のような美を持っているのに、少女らしい甘みを増す耳の下でまとめた
可憐で、聡明で、各国の王族がこぞって妻に娶りたいと求婚してくるほどの美貌を持ち、国民から愛されている女性。
女神の生まれ代わりではないかと噂されるほどの美しさは、国を飛び越えて隣の大陸にある帝国にまで響き渡るほどであった。
実際に帝国の皇帝が彼女を奪い取る為の戦争を仕掛けそうになり、外交問題になりかけたことがあった。
現在の帝国は一応の友好国となっているが、情勢次第では世界の覇権を握ろうと、いつ戦争を仕掛けてくるか分からない危険な国家でもある。
魔族領との戦争気運が高まっているこの時勢に、帝国にまで戦争を仕掛けられてはこの国が持たない。
そんな問題を解決したのがルルナ王女であった。
帝国の皇帝をも説き伏せた外交力は王国随一とも噂される人物である。
彼女は本来、王都にある学園に入学する筈だったものが、何故かこのサウザンドブライン領にある中等部への入学を希望した。
表向きは親友のエミリアがいるからだと公言しているが、実際は違う理由があった。
ガイスト公爵は入って来たまさかの人物に大急ぎで臣下の礼をとった。
「お呼びくだされば馳せ参じましたものを」
「いいえ、用があったのは私の方なので気にしないでください。それより、
「正直、直ぐにでも逃げ出したかったですよ」
ルルナの問いかけにこめかみが痛む思いだった公爵は、正直に先ほど感じた感想を述べた。
するとルルナはクスクスと笑い、自分の思ったとおりの展開になっていたと語る。
「そうですよね。あれは本当に驚きました。うふふふふ、まさかあのシビル君があれほど大成するなんて♡ あはぁ♡ あの雄姿を思い出すだけで、体が知らない情動に駆られて熱くなりますわぁ♡」
見たことのない恍惚の表情を浮かべる姫にギョッとした。
それは決して一国の姫がしてはいけない表情である。
ヨダレを垂らしてだらしなく笑うルルナの顔に、ガイスト公爵は困惑以上に恐怖心すら覚えた。
「姫殿下……。もしや、あなたはこの日を予見されておられたのですか?」
「うふふふ、そうですね。期待はしていました。彼は普通の貴族とは違う。幼い頃、私の遊び相手をしてくれていた頃から、人とは違う何かを感じていたのは確かです」
幼い頃から聡明だった姫には人とは違うものが見えていたと言うのだろうか。
それを聞いた公爵の頭には困惑と恐怖と、ほんの少しの期待がわき上がっていた。
あれほどの潜在能力を持ったあの男なら、本当に魔王を倒した功績を持ち帰ってくれるのではないかと。
美しく聡明なエミリアは、公爵家の虎の子として王族との結婚を
しかし彼が本当に魔王を倒してくれたのなら、国王は報償を惜しまないだろう。
少々爵位が足りないものの、そんなものはどうとでもなる。
そうなればエミリアと結婚させる相手として申し分ない。
それと同時に魔王討伐を成し遂げた勇者の義父という、これ以上ない名声を手に入れることができる。
魔王軍との戦いで消耗した国家は屋台骨が揺らぐことになる。
帝国は必ずそこに付け込んでくるだろう。ならば公爵家と王家が手を取り合ってそれを支えなければたちまち飲み込まれてしまう。
奴こそが神託の下った勇者なのではないかとすら思った。
しかし、国家の内情に関わる公爵はそうではないと知っている。
実際に勇者の神託を受けたのは、とある町娘であることが分かっているのだ。
直接会って顔も合わせており、ギフトスキルも確認していた。
勇者の神託を受けるのは一人だけ。数百年の歴史に例外はなかった。
数年後のゲーム本編開始と同時にその例外が起こることになるだが、それはまだ起こっていない未来である。
「勇者でもないのにあの力。一体何が始まろうとしているのですか?」
「さあ? でも、歴史が変わろうとしているのかもしれません。どうしますか公爵。未来の危険分子として処分しますか?」
「そんなことをすれば私は娘を敵に回すことになりますし、何よりあなた様の恨みを買うなど恐ろしくて想像すらしたくありませぬ」
「あら。わたくし、そんなに怖いかしら?」
不適な笑みを浮かべるルルナの表情は、手に持って口元を隠している扇子で見えていない……が、その悪魔のような二つの逆三日月を作り出している目付きで、どのような表情かは容易に想像できる。
その不気味な笑顔は歴戦の戦士でもある公爵をもってして恐怖以外の感情を感じない。
彼女には戦闘力はない。その気になれば腕力一つで彼女を押さえ込むことは造作もない。
しかしそんなことをする気には到底なれない。
それほどにルルナ・セルフィム・フェアリールという姫は底知れない何かを有していた。
「ふぅ、ふぅ……やっぱりシビル君は私の予想した通りの人だった。早くこの国を彼に……うふふふ、ふひひ、ぅひひひひっ」
「ひ、姫殿下?」
「おっと、失礼。ともかく、私の我が儘を聞いて下さり感謝いたしますわ。それは後は計画通りに。よろしくお願いしますね」
「かしこまりました」
不気味な笑いを漏らしながら部屋を出て行く姫の背中を見送り、ガイスト公爵は疲労の溜め息を漏らすのだった。