【side魔王】
「おおおっ!」
「むぅうおおおっ、こ、この男ッ……つ、強い。なんという強さだ」
なんだこれはっ。なんなのだこの男はっ⁉
余が押されている。いかに脆弱な人間の体を間借りしているとはいえ、この戦力差は如何ともしがたい。
まだまだ体が馴染んでおらぬ。本気を出せないもどかしさが焦りを生む。
面白い。実に僥倖だッ!
強き者との血湧き肉躍るようなギリギリの戦い。
この男の言ったとおり、余はそれを求めてやまなかった。
そんな経験ができたのは古き時代に余を封印した勇者との戦いだけだった。
「はっ! むおおおおっ!」
凄まじい猛攻。魔力を集中する隙も与えぬつもりか。
繰り出す拳を弾くだけで魔力の防御障壁が砕け散る寸前まで追い詰められた。
「いいぞ人間よっ。もっとだっ。もっと余を楽しませろっ!」
「うるせぇ黙れッ」
「ぬがっ」
突然奴の姿が消え失せ、一瞬の後に体がもの凄い力で地面に叩き付けられた。
「ぐぁあっ⁉」
「魔王よ。あんたとはいずれ本気で戦ってやる。だから今は大人しくしてろ。その体は俺の仲間のものだ。お前がこの体に巣食っている限り俺は本気を出せない」
「ぐぬぅっ……う、動けぬ……。なんという
「あんたが万全の状態になればもっと良い戦いができるさ。だから今は大人しくしててくれ。あの邪魔なジジイを排除したら、必ず本気で戦える環境を整えてやる」
有無を言わせぬ強い言葉。ダメだ。こいつは強い。
例え余が万全の状態となっても、手も足も出ないほどの開きがある。
「あんたの考えていることは分かってる。例え完全な状態でも俺には勝てない。その通りだ。俺は全盛期のあんたより圧倒的に強い。悪いが互角の勝負はしてやれない」
折れる……。体ではなく、心が。こんな感覚は勇者と戦った時ですら感じた事はなかった。
強すぎる。力だけでなく、それ以上の何かを感じるのだ、この男の強さは。
これはまさか、神の眷属?
「だが、お前をもっと強くしてやれる方法を知っているとしたら、どうだ?」
「な、なんだと?」
「全盛期のあんたより、もっともっと強くなれる方法を俺は知っている。だから今は大人しくしててくれ。俺はあんたの理念を否定しない」
「否定、しない……余を、否定しない……」
その言葉は、何よりも我が心の中に染みこんでいく。
否定、否定、否定され続けてきた余にとって……。
自らの存在意義を肯定しようとするその言葉が……。
◇◇◇
こことは違う、魔に満ちた世界に、余は生まれ落ちた。
それはどのくらい遙かな昔だったか、既に余自身も思い出せぬほどに、遠い遠い昔の記憶。
血で血を洗う修羅の世界で生まれた余には、初めから闘争本能で生き長らえる手段が備わっていた。
誰から学んだわけでもない。
生まれた時から知っていた。殺戮と暴力が渦巻く世界で生き残っていくためには、自らが強くなっていく他なかったのだ。
もっと強く、もっと強く。
いつしか余は魔の世界でも並ぶ者の無い強者となり、全てを支配するまでになった。
もっと強く、まだまだ強く。
強くなり過ぎた余に待っていたのは、孤独。
誰からも否定されることのない、肯定だけの世界。
しかし、誰も余の心情を図ろうとはしない。対等な関係はいない。
それは否定と何が違うのだろう。
自らの存在意義の否定。
そうして戦いの果てに築いた地位の先に待っていたのは、強くなり過ぎた余の排除であり、存在意義の否定である。
余は自ら肉体を捨て、別の世界、別の体に転生することにした。
対等な強さを求め、対等な勝負を求め、やがて辿り着いた魔族と人間の世界で、余は勇者と呼ばれる魂と出会う。
「いずれ必ず本気で戦える環境を整えてやる。だから俺の仲間の体を返してくれ」
「ぬぅう……いいだろう」
「あんたの魂は器がない。代わりの器を用意するまで大人しくできるか?」
「造作も無い。ようはこの娘の中で大人しくしておけば良いのだろう。そら、今から返してやる」
この男は不思議だ。過去に余と渡り合ってきた勇者とも違う。
平凡な人間のようで、どこか異質。
この男なら、余の求める血潮が沸き立つ戦いを満たしてくれよう。
そんな気がする。
◇◇◇
【sideオベロン】
ぬぅう、なんという事じゃ。
戦いの余波が凄まじすぎて近づく事すらできぬ。
溢れ出した魔力が障壁となって術も届かん。
魔王が奴に制圧されたことで侵食率が下がってしまっておる。
このままではせっかく勇者の体に定着させた魔王の魂が追い出されてしまう。
この世界の理を知る者。間違いなく女神の使いの妖精族が絡んでおる。
そういえば姿が見えぬが、確かに存在は感じるのじゃ。
ここは一旦引くか……。いや、目的も果たさず逃げ帰ったのでは、四鬼衆の名折れ。
それに青いのが破れ、黒いのも失敗が許されないフェアリール王国の制圧の準備。
ここでワシが逃げ帰れば、【あの方々】にどんなお叱りを受けるか……。
いざとなれば組織を抜ける手もあるが、追っ手に怯えながらでは研究もままならん。
やはりなんとしても魔王を連れ帰り、勇者と魔王のキメラを作り上げなければ。
こうなれば最後の手段。本来はもっと侵食率が高まってから発動しなければ完璧ではないが、上手くすればそれも解決できる。
こういう時のために勇者の小娘の方に細工を施しておいたのじゃ。
ワシは小娘に埋め込んでおいた魔物の細胞を活性化させる術式を解放した。
「うぐっ⁉」
「な、なんだ、どうした魔王ッ⁉」
苦しみに魔王が暴れ始め、小娘の体に魔王とは違う更なる変化が訪れる。
「うおおおおっ!」
成功じゃ。小娘の要素が残っていた体が完全に魔物と化し、ガクガクと痙攣を起こしながら異形の美しい姿へと変貌していく。
「こ、こいつはまさか、裏ダンジョンの魔王最終形態⁉」
そして思った通り魔王の侵食率がドンドン高まっていく。
これのデメリットは完全に意志なき魔物へと変貌してしまうこと。
本来ならば魔王の意志を保ったまま操ることができる状態にもっていくことであったが、これならこれでやりようはある。
あとは……。と、次なる作戦を考え始めたところで目の前に迫っている凄まじい大火球に気が付く。
「ぬおっ⁉」
「くたばれクソジジイッ!!」
油断。
それは油断であった。焦りのあまり術式の発動に意識を集中してしまい、無事に魔王を異形へと変貌させたことに安堵した。
それはほんの、そう、ほんの0.5秒にも満たない思考の油断。
意識は完全に勇者の小娘の方に固定され、僅か一瞬でこちらに攻撃対象を切り替えた転生者の接近に気が付かなかった。
「がっ⁉ ぐぁあああああああああああああああああああああああああああっ!!!」
肩から斜めに刃が通り、自らの胴体が泣き別れしていることに気が付いた時には、手の平に膨大な魔力を溜め込んで炎魔法を放っている奴の姿が視界に映る。
まさかあの一瞬でワシに攻撃対象を切り替える判断をするとは……。
まさしく油断大敵という奴じゃ……。
おのれぇ、転生者め……。黒いのと……あとは気に食わんが、残る四鬼衆の1人である【赤】に任せるしかない。
激しい痛みと怨嗟と悔恨の念に苛まれながら、ワシの意識はそこで消滅した。