范陽。現代の北京にあたる。
節度使の安禄山は漢民族ではなく、イラン系とトルコ系の混血児である。
安禄山の母は、その部族の巫女であった。
――子宝に恵まれなかった彼女は、山の神に祈った。するとやがて彼女は孕り、男の子を産んだ。その子が生まれた夜、辺りは妖しい赤光に包まれ、獣たちが咆えた。
ある占星術師は、妖しい星が穹盧(テント)に落下していくのを見たと言う。
それを伝え聞いた彼女は、神の落とし子を授かったに違いないと考え、喜んだ。――安禄山の誕生には、そんな説話が伝わっている。
安禄山は、育った地域性により、多くの言語を操ることができた。彼はその点を生かして貿易の職に就き、次に節度使の部下になり、軍人の道へ進んだ。やがて頭角を顕し、平盧節度使に昇進する。
そして玄宗皇帝に拝謁するに至るが、彼はそこで、最大の才能を発揮した。それは演技の才能であった。
安禄山は楊貴妃に取り入り、彼女の養子となることを願い出る。そしてそれが叶うと、入朝の際に、玄宗より先に楊貴妃に対して拝礼をした。
「貴様、朕をないがしろにするか」
無視された玄宗が怒りを見せると、安禄山は慌てずに、
「これは申し訳ございません。手前ども雑胡(異民族)は、母を先に尊ぶ慣わしでございますれば」
と居直る。
「黙れ、無礼者」
玄宗が怒鳴ったとたん、楊貴妃が甲高く笑いだした。
「ほほほ、わたくしの機嫌を伺う者は多いけど、さすがに陛下を後回しにする者はありませんでした。雑胡とはおもしろい民族ですね」
玄宗は態度をころりと変えて、笑顔を見せた。楊貴妃は尚も笑い、二人の侍女を呼んだ。
「黄鈴布、黄鈴貴。今日届いたあれを、この愛嬌者に食べさせて」
二人の侍女は、そのそっくりな顔を同時に曇らせて言った。
「ですが、久し振りに手に入った上、あまり量もありませんが」
しかし楊貴妃は、笑顔で頷いて言う。
「いいのよ、全部あげて。どんな顔して食べるか、見たいから」
侍女が畏まって下がり、やがて銀の盆に乗せた茘枝(ライチ)を持ってきた。この頃ではまだ貴重な果物で、楊貴妃のためだけに、遥かな南方から、早馬で届けられているものだった。
玄宗が、愉快そうに大声で笑った。
「あんなに好物だった茘枝を、全部やるとはな! 安禄山よ、そちには、貴妃を喜ばせる才があるようだ」
玄宗は大いに喜び、楊貴妃に舞を見せるよう促した。玄宗がもっとも気に入っている、霓裳羽衣の曲に乗せた舞。
「ほう、これは……素晴らしい」
安禄山も、目を丸くして驚くほど、それは華麗な舞だった。
長く広い袖と腰を覆う裳裾が、ふわりふわりと靡いて泳ぎ、まるで天女が空から降りて来るような、美しさと神々しさに満ちていた。
ただそれだけではなく、楊貴妃は時折、安禄山に意味有りげな眼差しを向けて、うまく隠しながらほほ笑んでいた。
やがて宴も終わる頃、玄宗は安禄山が帰るのを惜しみながら告げた。
「またいつでも参れ。退屈を紛らわせてくれる者がいなくて、困っていたところだ」
皇帝の機嫌を取れば、栄達しないわけはない。武将としての実力も確かだったこともあって、安禄山は范陽、河東、平廬の三鎮の節度使を兼任し、唐国の三分の一にも及ぶ、多大な軍事力を手に入れた。
玄宗の側で独裁宰相をしている楊国忠は、だんだんと安禄山の存在を危険と見るようになった。
◇
しかし、いかに強大な権限を持っていても、安禄山が主にいるのは都から遙か北の大地である。
たまに都に行ってみると、人々は贅沢な暮らしをし、辺境では毎日のように行われている戦の事も知らずに、遊び惚けている。
自分が行き来する二つの地が同じ国であるという事が、安禄山には信じられなかった。
(これまでの計画では、)
楊貴妃との密会を終えた安禄山は、范陽に向かう馬車の中で思った。
(陛下が亡くなったら即座に兵を興し長安を奪るつもりでいた。だが実際に挙兵すれば、范陽から長安は遠い。唐にもまだ強い武将はいるし、途中で食い下がられたら予想以上に時間を取るかもしれない)
遠い所から攻めてくるとなると、どうしても兵站線が延びる。補給を絶たれたり、軍が分断されたりする恐れもあった。
(俺が叛意を持っているのは、楊国忠が言い触らしているのだから、ほとんどの奴らが知っている。今は陛下が生きているから、手出しをしないと思っているのだ)
安禄山も、自分の身を守るため、情報の収集は怠っていなかった。多くの間諜を使い、この国の動きを探っている。
(そこまで知られているなら、陛下が亡くなったと同時に俺は兵権を奪われる。いや、用心深い楊国忠は、必ず俺を殺すだろう。ならば、奴らの意表を衝くには、――これまでの考えとは逆に、陛下の存命中に挙兵するしかない)
安禄山は、まだ遠い范陽で、兵たちを鍛えている光景を思い描いた。
今までは、じっと待つことが戦略だったのに、急に自分には時間が無いように思われて来た。
安禄山は、最も使い慣れている故郷の言葉でつぶやいた。
「お袋の残してくれた、あの力を使うときが来たようだ。もう迷っている余裕はない」
◇
今更になるが、ここに至るまでの唐王朝の歴史を振り返ってみる。
――後漢末の三国時代を経て、晋が一応の天下統一を果たした。しかし内紛が生じ、またも戦乱の世となった。五胡十六国とも呼ばれるこの時代は、漢民族以外の勢力も中国大陸に多く参入し、この国の規模の広がりを見せた。
この混乱を統一したのが隋であり、その隋も二代で滅んで、またも群雄が天下を臨んで争った。
これを最終的に治めたのが、隋の貴族であった唐国公・李淵である。
李淵は唐の高祖となったが、実質的にこの勢力を引っ張って来たのは次男の李世民だった。李世民は唐の二代目皇帝、唐の太宗になり、貞観の治と呼ばれる善政を布いた。
これ以降、民衆の生活に関しては程良い平和が続くのだが、皇帝の座の周囲は騒動が絶えなくなり始めた。もともと太宗自身も、実の兄と弟を殺して即位したという後ろ暗い経緯がある。
太宗の子の高宗が即位したが、その后から問題が発生した。高宗は亡き父・太宗の后(高宗の生母ではない)だった武照を愛していた。
武照は太宗の死後、出家して尼になっていたので、「一度俗世と縁を切っているから良い」という理屈で後宮に迎えられた、と伝えられている。後に玄宗が楊貴妃を輿入れする際、一度彼女を女道士にしたという話と似ている。
この武照は、高宗の皇后になると、自ら政治を独裁するようになった。そして高宗が死ぬと、いろいろな画策を経て、ついに自分が帝位に就いてしまう。中国史上唯一の女帝として名高い、武則天(則天武后)である。しかも彼女は、国号まで周と改めてしまった。
武則天は科挙(官僚登用試験)の制度を活用し、庶民からも実力のある者を登用するなど、優れた政治手腕を発揮した。
しかし武則天の下には、彼女の才能を受け継ぐ程の人物がいなかった。
やがて武則天が死に、帝位は李氏の手に還り、国号も唐に戻された。しかしその後も唐の皇室には権力争いが絶えず渦巻いていた。
そして最終的に、皇族の一人である李隆基が決起して不穏分子を一掃し、唐の皇室から陰謀の空気がようやくなくなった。この李隆基が後に即位して、玄宗となったのである。
若い頃の玄宗は、積極的な政治で世を潤した。優れた皇帝にのみ許されるという、泰山での封禅の儀式も玄宗は行った。名実共に明君となった証であった。
しかし明君の玄宗も、次第におかしくなって来た。武恵妃という女性を偏愛し、彼女の意見にしたがって皇太子を廃したりした。武恵妃と玄宗の間には李瑁という息子がいたので、武恵妃がその子を皇太子にするためだと噂されていた。
その李瑁が年頃になったので、妃をもらうことになった。担当したのは、玄宗が最も信頼する側近の宦官、高力士である。
高力士は、楊玉環という女性を連れてきた。李瑁の母の武恵妃は、息子の嫁になる娘を引見したあと、高力士に言った。
「どことなく、私に似た娘を連れてきましたね」
高力士は跪いて答えた。
「お母上の面影のある方なら、ふさわしいかと思いまして」
高力士の口調は、優しさを持たない事務的なものだった。武恵妃は、口元だけで笑う。
「楊玉環の輿入れは、すぐにやってしまいなさい。あまり外に言い触らすことのないようにね。陛下には、お引き合わせしなくてよろしい。私が報告します」
「はっ」
高力士は、すぐに退室した。
武恵妃は楊玉環を一目見て、彼女が玄宗の好みである事を見抜いたのである。自分に似ている、と言ったのは、それに気づいた事を高力士に分からせるためだった。
自分に似ていて、自分よりずっと若い女性が玄宗の目に触れたらどうなるか。――武恵妃は、自分の地位が脅かされぬよう、即座に手を打ったのだった。玄宗の女好きは、彼女が一番良く知っているからである。