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第三部 轍凶編     第二十五回 鉄車輪



 山東さんとう地方、りょうざん


 繁華街はんかがいにある大きな酒楼しゅろうの最上階。


 後ろ向きのまま、楼主ろうしゅが尋ねた。


上清宮じょうせいぐうの調査は、どうなった」


 巨体の男が、身をかがめて答える。


「魔星どもは今の生活に満足しており、かの地を出る意志は無いようです」


「結界もあるようだし、実質難しいであろうな」


「はい。我々は、現状のままこうせんらをむかつことになります」


「勝てるかな、期限までに?」


「不安をお感じですか。これは意外な」


「ふむ。今までは、規模の大きい仕事ばかりだった。奴らのような一般人を相手にしたことはない。それに、期限が短い」


「ならば、急ぎます」


「急いでくれ」


 巨体の男は、一礼して後ろを振り向く。


「ということだ。奴らの動向どうこうは押さえているな、きゅうがい?」


 白い長衣ちょういの若者が、にこりと笑ってうなずいた。


「まもなく梁山へ入ります。私の配下、時育じいくが尾行しております」


 それを聞いた楼主が、声を上げて笑った。


白輪次頭はくりんじとうの時育か。奴は、あの道観どうかんの担当だったな。相変わらず抜け目ない配慮だ」




 ◇




 九月中旬、こうせんたち収星陣しゅうせいじんは梁山の街に入った。


 う人の多い街で、活気に満ちている。


「お腹空いたなぁ。鋼先、今日はちょっと良い宿に泊まって、おいしいもの食べようよ」


 李秀りしゅうが言うと、しかし鋼先は首を振った。


「豪華な食事は構わんが、泊まるのは道観だ。一般の人間は入りにくいし、情報集めも手伝ってもらえる」


 らいせんが、じっと弟を見る。


「いやに慎重な顔だな、鋼先」


「兄貴、俺たちはもう尾行されているかもしれないんだ」


 へいかくが、ちらりと百威ひゃくいを見て言う。


「でも、百威は何も感じていないみたい」


「そうか、なら俺の取り越し苦労かな。だが、ここは用心したほうがいい」


「例の、魔星を調べている連中のことか」


 魯乗ろじょうの予測に、鋼先は頷く。


「この山東は交通のようしょうで、人の行き来が多い。魔星と出くわす率も上がるが、俺たちが人目ひとめに触れる機会も増える」


 そう言って、鋼先は見えてきたびょうを指差した。そこで道を聞き、この辺りで一番大きな道観を目指す。




 たどり着いた道観は、いつかんというところで、観光客が次々に訪れる大きな建物だった。広い敷地には、四季折々の花が咲く庭園がある。庭園は五カ所に分かれていて、それぞれが小さな森と滝、沢や池と組み合わさっている。寺院も最近建て直され、皇居の宮殿かと思われるほど大きく、威厳に満ちた様相を呈している。


 この道観に隣接する繁華街もまた有名で、この国の各地方での名産品が売られており、芝居や舞踊を見せる施設が大小合わせて三十軒以上もある。


 未逸観を見ようと集まる人は年々増え、今や梁山の街は、都に迫る盛況さだと世間の評判になっていた。




 鋼先たちが未逸観を訪れて素性を告げると、そこのどうちょうが驚きながら現れた。


「お前、賀鋼先じゃないか。いつ梁山に来たんだ」


 鋼先も、驚いて応える。


「あっ、おうきゅうさん。でも、道長だって? 一体どうして?」


 すると張応究ちょうおうきゅうは頷き、


挨拶あいさつ回りで未逸観に来たら、道長が急に亡くなっていたのだ。混乱があるといけないので、今私が臨時で勤めている。


 とりあえず、みんな無事なようで良かった。疲れたろう、ゆっくりしていってくれ」


 収星陣は三つの部屋をあてがわれ、賀兄弟、魯乗、女子という形で別れた。百威は怪我を押して偵察ていさつに飛び立つ。


 応究が、歓迎の祝宴を用意してくれた。山と河と湖から採れた珍味に、鋼先たちは喜ぶ。久しぶりに安心して体を休めることもできた。皆、食事も酒もたっぷり楽しみ、好きなだけ眠った。




 ◇




「賀鋼先らは未逸観に落ち着いたか。用心しているな。仇凱の予測通りか」


 楼主は感心して言った。


 報告した巨体の男は、礼を崩さず言う。


「はい。しかし、いささか早く来ましたな。先の依頼が未完です」


「ふむ。複数の依頼が、み合わない形で重なったか。この稼業かぎょうの欠点だな」


「お察しします。ですが、いつの場合も、原則はありません。すべては総輪そうりんであるあなたがお決めください」


 楼主はあごに手を当て、少し考える。


「要は、じゅうしょくが望み通り道長になれば良いのだ。それ以降のことを、奴は何か依頼しているか、副総ふくそう?」


「おりません」


「では、問題ない。えんびゅうを呼べ。黒輪こくりんを別で動かさせる」


「時育はいかがいたしますか」


「変更はない。未逸観と賀鋼先、両方を担当だ」


 副総は、一礼するとすぐに下がった。




 ◇




 応究は、忙しそうに何人もの道士と話をしていた。そのすべてがひそひそと声を落としているので、鋼先は気になって声をかける。


「応究さん、何かあったのかい。俺たち、間が悪い時期に来ちまったかな」


 応究は慌てた笑顔を見せる。


「いや、ここの内部のことだ。気にせずゆっくりしていってくれ」


 鋼先は、一息置いて言った。


「応究さん。俺たちは魔星のせいで、いろんな事件に巻き込まれやすいんだ。おそらくここも、無関係では済まないと思う。何かあるなら、聞かせて欲しい」


 すると応究は、納得した顔で頷いた。


「――ここの道長の死が、どうも不自然でな。私は、自分の立場を利用して強引に臨時道長になり、調査をしているところだったんだ」


「これだけ有名な観光地だ、そこの道長ともなれば、いろいろ役得もありそうだな」


 鋼先は察しの良い返事をした。応究は慎重に頷く。


「道長の死後、ちくこうというじゅうしょくが道長になるはずだった。それを私がさえぎって道長になると、こいつは姿を消した」


「その消息を追っているのか」


「ああ。おそらく、背後に力を貸している者がいる。少しずつ情報は集まって来たが、証拠になるものがない」


 そして応究は、黙って考え込んだ。


 鋼先が心配して言う。


「早いところ解明しないと、応究さん、あんたの立場も悪くなるな。前道長を殺してここを奪った、なんて噂が立たないとも限らないぜ」


 それを聞いた応究は、はっとした顔になって、にやりと笑った。


「……賀鋼先、その通りだ。よく気付いたな!」


「え? え、何かまずいかな、これ?」


 応究の急変に、鋼先は冷や汗がにじんだ。




 昼寝から起きた雷先は、庭先が騒がしいのに気付いた。


「おいおい、いったい何事だ?」


 雷先が庭に出て、見物している道士たちをかきわけると、とんでもない光景になっていた。


 応究と鋼先が、たいして互いにののしり合っている。


「賀鋼先! この私が、未逸観を乗っ取るために道長を殺したと言ったな! お前などに何が分かるか!」


 鋼先は、唾を吐き捨てながら言い返した。


「うるせえ! 親の七光りで天師になれるだけのくせに、思い上がるな。人の命を使い捨てみたいに扱いやがって。俺を殺したきゃ殺せ! その代わり、残りは全部自分で片付けろよ!」


 応究は、うっとひるんだ後、蒼白になって、


「おっ、おまえぇ! 言わせておけばぁ!」


 と叫び、鋼先につかみかかった。


「やかましい、魏竹高さんをどこへやった? あんたが追放したんだろう!」


 これを見ていた雷先は、


「鋼先、失礼をするな。すぐにお詫びしろ!」


 と駆け出そうとしたが、魯乗が肩を叩いて言う。


「ちょっと早い。もう少し見ておれ」


 雷先がいぶかりながら見ていると、鋼先も正面から応究に殴りかかり、互いに勢いが余って、どすんと倒れた。そのまま、地面を転がりながら罵ったり殴ったりを続け、最後に応究が上になり、鋼先の襟元をつかんで強く組み伏せた。


 そのとき、


「あっ!」


 と、上になっていた応究が、大声を上げた。応究の腹部に、匕首あいくちが刺さっている。


 応究は鋼先から降り、いずりながら叫んだ。


「……この野郎、刃物を持っていやがった! おいみんな、こいつを、こいつを……」


 応究は、鬼のような形相で周囲に命令しようとしたが、腹部からおびただしい血を流し、その場で倒れ、動かなくなった。


 鋼先が、顔中汗びっしょりになって、首を振る。


「う、嘘だろ。俺は、そんなつもりじゃ……」


 うろたえている鋼先を、二名の屈強な道士が両脇から押さえつけた。


「話は中で聞く! おとなしく来るんだ」


 そして、そのまま連行して行ってしまう。


 雷先が、魯乗の制止を振り切って弟に駆け寄った。


「鋼先、いったいどうしたんだ。なぜ応究さんを?」


 鋼先は、自嘲じちょうするような笑顔を見せる。


「兄貴、ごめんよ。許してくれ……」


「おい、待て!」


 雷先の叫びもむなしく、鋼先は引き立てられてしまう。李秀と萍鶴が雷先のそばに来て、優しく肩を叩いた。


 収星陣は部屋に戻ったが、誰も何も話さず、ただ座っている。雷先はいらいらして壁を殴った。


「こんなことってあるか! 鋼先だって、本気じゃなかったはずだ」


 その時、道観の者が呼びに来た。鋼先と面会させるという。


「よし、何とか説明して、しゃくほうしてもらおう」


 雷先は急ぎ足で監禁室かんきんしつへ向かう。李秀たちも後を追った。


 監禁室には、金銀まばゆい立派な道服どうふくを来た道士が立っていた。雷先が礼をして名を告げると、道士は名乗った。


「私は魏竹高、この未逸観の住職だ。張応究どのを殺害するとは、大変なことをしてくれたな。厄介な奴らめ」


 雷先が慌てて弁明べんめいする。


「ちょっと待ってくれ。俺たちは竜虎山上清宮から来た者だ。応究さんからも、話は聞いていたと思う。とにかく、今日の件を張天師様に報告させてほしい」


 魏竹高は、いらつ顔で雷先をにらみ、


「よかろう。だが、返答が来るまで日数がかかる。その間は自由にさせられん、全員監禁するぞ」


 そう言ってろうを指差す。雷先達は仕方なく入り、鋼先と並んでいしだたみの床に座った。


 そして、調書を取るからと言って、雑用をしていた道士たちを下がらせる。


 人がいなくなると、魏竹高は鋼先の顔をじっと見た。鋼先はニヤリと笑って、


「さあ、張応究は消してやったぜ。ちょっと打ち合わせと違うとは思うがりんおうへんってやつだ、気にするな」


 と、さも事情を知っているかのように言った。


 すると魏竹高は、牢に向かって丁寧に礼をする。


「おお、まさかとは思いましたが、やはり! 


 立場がありますゆえ、このような態度を取ったこと、ご容赦ください。ろうから応援に来ていただいたのですな」


「は? 何を言ってるんだ? あのな、俺たちは竜虎りゅうこ


 と動きかけた雷先だったが、いきなり脇腹わきばらを鋼先に殴られた。雷先は息が詰まって言葉をげない。


 鋼先が言った。


「気にしないでくれ、サクラ役のびっくり芸人げいにんなんだ。わざと事情を知らせていない。……で、あんたの望み通りにはなったかね」


 魏竹高はにこにこしている。


「順調です。張応究が死に、前道長も病死ということで届出が受理されました。これで正式に未逸観道長となれます」


「俺みたいなのが来て、あんたもびっくりしたかい」


 鋼先が問うと、魏竹高は笑顔で頷く。


「まさか、竜虎山の中にも鉄車輪てつしゃりんの一員がいたとは。恐れ入りました」


「鉄車輪、ね」


 魏竹高は、慌てて手を振り


「失礼、名を出してはいけないのでしたね。そうそう、張応究の遺体はどこに? そちらで処分されたのですか」


 その時、入口が開いて、応究が現れた。


生憎あいにくだが、遺体は無い。私は生きてるぞ!」


 魏竹高が、振り返って驚く。


「なに? どういうことだ」


 鋼先が、牢の中で笑った。


「あんたが怪しいと踏んで、ひとしば打ったのさ。案の定、姿を現したな」


 状況の分かった雷先が、弟をなじる。


「おい、芝居なら、なぜ先に言ってくれないんだ!」


「あんたがかなめだからだよ、びっくり芸人」


 鋼先が苦笑する。応究が、緊張した顔で言った。


「とっさに思い浮かんだ芝居だが、うまく行って良かった。……演技と思えない部分もあったが」


「七光りに関してはお詫びしますよ。残りは本音だがね」


 鋼先が、応究の顔を見ないでつぶやいた。応究は、うっと唸って硬直する。


 魏竹高が、このすきに逃げようと出口を見た。しかし、応究が立ちはだかる。


「住職、鉄車輪とは何だ。前道長の死も、それが絡んでいるんだな?」


「……!」


 魏竹高は答えない。その時、また入口が開いた。


「……行動が早いな、賀鋼先。噂通りの切れ者と見た」


 彫りの深い、やせた顔の男を見て、魏竹高が安堵あんどの声を上げる。


「おお、鉄車輪の、時育どの!」


 時育は舌打ちして魏竹高をにらむ。


「名前を言うな、ほうが」


 そして、自分の後ろにひかえていた部下に言う。


しゆ、お前は報告に戻れ。後は引き受ける」


 部下は短く返事をして去る。時育は向き直ると、ふところから鋭い匕首を抜いた。

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