「
「は、ひいいっ」
斬り付けながら時育が指示を出す。
「させないわ」
しかし、
「くそ、役立たずめ!」
「今だ」
応究はその隙を見逃さず、
「くっ」
時育は顔をしかめて手をさする。
「時育に、
鋼先が軽く
「……
そう言って時育は手を口に当てた。
「さて、どうする、鋼先?」
「
しかしその時、時育の身体から
「どうして出てきた、
鋼先が驚くと、地煞星は時育の身体を指さし、
「
と言って一礼した。雷先が見てみると、時育は血を吐いて
「毒を飲んだらしい。こいつ、何を考えてるんだ」
鋼先が、冷静に言う。
「おそらく、俺たちが牢を出た時点で覚悟を決めたようだな。こいつは
「なんでしょう、
「こいつの事を、知っているだけ教えてくれ。鉄車輪というのは、何だ」
しかし、地煞星は首を振る。
「申し訳ありません。私は眠っていたようで、何も憶えていません」
鋼先は頷いた。
「それも知っての上での自決か。……こいつ、魔星の使い方が違う。完全に支配下に置いていたな」
そして時育の体を探り、手がかりを得ようとしたが、情報になるものは何もない。仕方なく匕首だけでもと、拾って
「うおっ!」
「おい、あんたにしゃべってもらうぜ。鉄車輪ってのは
しかしその時、応究が叫んだ。
「おい、火だ! この部屋が燃えている」
狭い監禁室が、あっと言う間に炎に包まれた。黒い煙が立ちこめ、息もできない。
萍鶴が「消火」と飛墨を打ったが、熱気で蒸発してしまった。
「みんな、早く出るんだ!」
応究が出口の扉を開けた。地煞星が、腰の剣を抜いて、先に走る。
「ご用心を、これは放火やも。私が盾になります」
地煞星が飛び出して行った向こうで、剣が交わる甲高い音が響いた。皆は一瞬、行くのを
鋼先は、袖で口を覆いながら最後に出た。部屋の外の廊下にも煙が充満し、視界が悪い。
「萍鶴、風だ!」
鋼先は部屋の扉を閉め、炎を
「おい、これは」
鋼先が驚きの声を上げた。
だが、魏竹高と応究の姿がない。
「応究さん、どこだ!」
鋼先が叫んだが、返事は無い。
◇
何者かに連れ去られた魏竹高を追って、応究は部屋を出た。
相手は数人がかりで魏竹高を抱えていて、足も速い。追ううちに、
「待てっ」
応究は舟に飛び乗った。しかし、相手は魏竹高を抱えて舟を移る。応究も移ろうとしたとき、二艘を繋いでいた
「いかん、波が高い」
河は広く、流れも速かった。応究は舟にしがみついたが、何度か揺れた後にとうとう
ちょうど一人の漁師がそれを見ていて、
「おい、これにつかまれ!」
応究も手を伸ばしたが遠くて届かず、そのまま波に
◇
魯乗と
萍鶴が、いぶかって言う。
「変ね。どうして私たちは見逃されたのかしら」
鋼先は少し考えて、急に振り返り、走り出した。雷先たちも、それに続く。
鋼先は、先ほどの監禁室に戻った。焼け
「やっぱりそうか」
と声を上げた。
「どういうことじゃ」
魯乗が問う。
「消火もされているし、時育の遺体が無い。俺たちは、出口に引きつけられただけだ」
李秀が身震いして言った。
「後始末が手慣れてる、ってことだね。……これ、本当に専門の集団だよ。どうしよう」
地煞星が、嘆息して言った。
「先ほど煙の中で
鋼先が頷く。
「そうか。間者とは、そういうものなんだな。憶えておこう。体を張ってくれてありがとうよ、地煞星」
「恐れ入ります」
「お前にはこれから
鋼先がそう言うと、地煞星はほっとした顔をして
「そうですか。それは安心です。またあんな連中に取り込まれたりするのは、気持ち悪いですからね」
「たぶん、連中の仲間にも魔星がいるだろう。俺たちは、それも助け出すつもりだ」
「なんと。それはありがたいですがお気を付けください、兄者」
心配する地煞星の肩を、鋼先はぽんと叩く。
「上清宮に行ったら、兄弟たちに伝えてくれ。今後、妙な質問をする奴には注意しろ、とな。そうでないと、俺たちやお前たちに、危険が及ぶ。とりあえず、
鋼先は、ギラリとにらんだ。
「は、はい。天魁星の兄者のお言葉、しっかりと伝えます」
地煞星は青くなって頷いた。そして、朔月鏡の中に消える。
その後鋼先たちは応究の行方を捜した。岸で例の漁師に出会って話を聞き、河に
◇
「魏竹高は?」
「予定通り、未逸観の
「確かに。だが、観光地として人気の高い未逸観を、我々の勢力下に組み込める好機になる。魏竹高の言うとおりに動いてやるくらい、安いものだ。
それより、あれ以来
副総が思い出して言う。
「こちらが聞く前に、時育が来たので任せていた、何も知らないと申しておりましたが」
総輪は、顎に手を当てて思案する。
「待て。奴は、時育が死んだ経緯を知っているはずだ。ひょっとしたら、奴が何かヘマをして、時育の死因を作ったのかもしれぬ。もうすぐ奴との契約は終わるから、今は安心させておき、後々聞き出せば良い。
……それにしても、輪員が自決し、魔星を奪われた。こういう事態は初めてだ」
総輪が、うなるように言った。副総が頷く。
「
「罰? なんの罰だ」
総輪は不思議そうに言う。副総も、不思議そうに返した。
「魔星を失った罰です。それに、遺体は
だが総輪は、鼻で笑いながら手を振る。
「時育は自決までしたのだ。もちろん
「はっ」
副総は、巨体を
「特に、
「しかし、
「父の頃とは、組織の規模が違う。今は白黒の二輪だけではないのだ。お前こそ、考え方を革新するべきだろう」
副総は、一歩下がって礼をした。
「総輪、ご立派になられましたな。先代も、草葉の
「だと良いが。しかし、今回のような失態が続くと、
総輪が真面目な顔で言った。副総が肩をすくめる。
「申し訳ございませんでした。仇凱が、すでに動いておりますので」
総輪は、静かな表情で頷いた。
「黒輪でも
「いえ、お手数をかけぬよう努めます」
副総がそう答えると、総輪は目を閉じて笑った。
◇
「結局、
応究がいないとあの芝居を弁明することができないので、鋼先は犯人のままである。例の漁師に頼んで未逸観へ行ってもらい、「張応究はまだ生きている。行方を
雷先が言った。
「俺たちは、魔星を回収する立場だ。鉄車輪は、魔星を宿した者達が集まった間者集団。だから狙われた、ということか」
「だろうな。まさかそういう相手が来るとは思わなかった」
鋼先がめんどくさそうに頭をかく。
魯乗が腕を組んで言った。
「魔星が逃げてから五十年も経っている。その存在を知り、利用する者が出るのは当然じゃよ。しかし、山賊程度の規模ではない、結社と化した組織だったとは
鋼先はゆっくりと身体を起こした。
「こちらの弱点を知られていれば、一気に攻められる。そうでなければ、じっくり来る。かな」
◇
数日後、未逸観道長となった魏竹高は、
「昼食の後、道長がいなくなってしまったのです。こちらへ帰ったのかと思って、皆で引き返してみたのですが」
供の者は、そう言った。
しかし魏竹高はどこにもおらず、そのまま行方が分からなくなってしまった。
という報告を聞いて、総輪が頷く。
「これでよい。魏竹高は数日だが確かに道長になった。それは果たしたが、賀鋼先らを我々と勘違いし、時育が死ぬ原因を作った責任は取ってもらう。……遺体は
今回の工作で、未逸観の内部に配下を送り込めた。魏竹高は口が軽い
すっぱりとそう言うと、副総と仇凱が礼で答える。
「さて、次だが。賀鋼先の行方は?」
総輪が訊ねると、仇凱が答えた。
「先日判明したのですが、やはり時育はただでは死んでいません。匕首をわざと奴らに拾わせたようです」
「匕首がどうかしたか」
「あれの
総輪は頷く。
「
総輪が
「有力な情報と言えば、
総輪は頷く。
「良いかもな。奴らは人数が少ない。一人
◇
「鋼先、何を見ているんだ」
申寧寺の部屋で、雷先が訊ねた。鋼先は手紙を見せて言う。
「
魯乗が頷いて言った。
「急いで届けたかったんじゃろうな。で、何か分かったか?」
「ああ。俺たちの人数や名前は
「わしのこともか?」
鋼先は調書をじっと見て、
「……ん?
「……私の飛墨は、どうかしら」
「それなんだがな。おもしろい技だから、上清宮じゃ有名らしい。鉄車輪にとっては、目玉情報になったろうぜ」
苦笑する鋼先を見て、萍鶴が
「
「かもしれない。……だったらいっそのこと、こっちから利用してみるか」
鋼先が、おもむろに立ち上がった。