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第二十八回 飛墨顕字象敗れる




 こうせんたちがひかえ室に急ぐと、入口の前に二十人くらいの列ができている。


 らいせんが感心した。


へいかくは凄いな。ご贔屓ひいきさんがもうこんなに?」


 すると萍鶴が現れて言う。


「違うわ。全員鉄車輪てつしゃりんよ。部屋までの道にぼくで罠を張ったら、こんなに捕まったの」


「これ全員か!」


「ええ。とりあえず整列させたわ。変かしら」


「変だけど、仕方ないな」


 雷先は苦笑したが、鋼先は身震いしていた。


「こんな人数を出してくるなんてな。ただ調べているだけじゃない、本気で俺たちを消す気だぜ」


 その一言で、全員が息をむ。


 鋼先が気を取り直して言った。


「急いで尋問じんもんをしよう。萍鶴、しゃべりやすくしてくれ」


 萍鶴はうなずいて、りょ全員に「はく」と飛墨を打とうとする。


 そのとき、


「待ってください!」


 と飛び込んできた者がいた。


「誰だお前は」


 鋼先がにらみながら訊く。


「その者達の上司です。きゅうがいと申します」


 そう言って仇凱はきちんと礼をした。鋼先は目を緩めない。


「そうか。で?」


「彼らを、放してやってください。代わりに私が尋問を受けます」


 仇凱は、かせめたように両手を揃えて突き出す。鋼先は少し考え、


「裏があるとは思うが、確かにお前一人の方が楽だな。萍鶴、こいつらを解放してくれ。――ただし自由にはせずに、本拠地に直帰させよう」


「それは」


 仇凱が動こうとしたが、萍鶴は素早く飛墨を打つ。仇凱が固まった。そして捕虜の全員に「かいきょ」と飛墨を打つ。二十人が、軍隊のように行進して戻っていく。


百威ひゃくい、聞こえるか。追跡を頼む」


 鋼先が空に叫ぶと、遠くから鳥の鳴き声が聞こえた。鋼先は頷いて、仇凱に向き直る。


「抜け目ないですね、こうせん


 直立で固まったまま、仇凱が苦笑した。


「自分が殺されるかもしれないのに、わざわざ術に掛かるってことは、何か準備があるはずだ。俺も気は抜かねえ」


 そう言って鋼先は、いきなり仇凱の腹についけんを刺した。


「ぐっ」


 仇凱の身体がビクッと動き、光るじんしょうが出てきた。てんえいせいである。鋼先は李秀りしゅうから朔月鏡さくげつきょうを受け取り、尋ねる。


「いちおう訊いておこう。天英星、この男のことを知っているか」


 しかし天英星も、取り込まれてからのことは憶えておらず、仇凱を初めて見たように驚くだけだった。


 鋼先は、さつせいに言ったような注意事項を伝え、天英星をしゅうせいした。そしてまた仇凱を見る。無表情だが、わずかににやけていた。


「兄貴、こいつをかつぐ。足の方を持ってくれ」


 そう言いながら、鋼先は仇凱に目隠しをする。


「担いでどうするんだ、鋼先」


「尋問するが、場所を移す。このまま人質にもできる」


「おい、穏やかじゃないな」


 ちゅうちょする雷先だったが、鋼先はそれをにらみつける。


「こいつの覚悟は、普通じゃないぞ。甘く見るわけには行かない。兄貴も腹をえてくれ」


 びしりと言われて、雷先は強く頷いた。そして仇凱を担ぎ上げると、全員で見世物小屋みせものごやを出て走り出す。


 人の少ない道を急ぎ、薄暗い森を見つけて入った。


「ここでいい。萍鶴、頼む」


 鋼先が仇凱を下ろしながら言う。


 萍鶴が筆を振るい、「自供じきょう」とあらわした。しかし、仇凱は顔をひきつらせるだけで、何もしゃべらない。


「どうした、萍鶴。手加減しているのか」


 鋼先が訊くと、萍鶴は青ざめて首を振る。


「この人、耐えている。飛墨顕字象の効力を。魔星を奪ったのに、まさか」


 仇凱は口端くちはしに泡を吹きながらも、微笑を消さない。


 魯乗ろじょうがため息をつく。


「こやつ、最初からそのつもりで手下を逃がしたな」


「仕方ねえ、殴ってみるか」


 鋼先が拳を振り上げたとき、


「クアアアッ!」


 という鳥の声が聞こえた。


百威ひゃくいじゃ。様子がおかしい」


 魯乗が言う。百威は、よくが外れそうになりながらよたよた飛んで来た。


「誰か来る!」


 李秀が人影に気付いて指さす。そのときすでに、影は跳躍して鋼先を襲っていた。


「うおっ」


 鋼先が転倒し、影は仇凱をさらった。


 仇凱が小声で言う。


「助かりました、えんびゅう


 閻謬は仇凱の目隠しを取り、頬についた墨文字をきながら言った。


「間に合って良かった。しんねいの方は終わった」


「私は、魔星を取られました。配下も引き離されています」


「見た。彼ら、妙な行進をしていた」


「王萍鶴の術のせいです」


「そうか。人数が多いので、うちの配下に任せてある。鳥が来ていたので追撃ついげきしたら、ここに着いた」


「あなた一人では危ない。てっしゅうしましょう」


「分かった。だが、少し試す」


 閻謬は仇凱から手を離すと、腰から二本のたん(さすまた)を抜いた。


「お前も鉄車輪か!」


 雷先が棒を構えて閻謬にたいする。顔を狙うと見せて足元を打ちに出たが、閻謬はふわりと跳んでいた。


「読める」


 閻謬は雷先の棒の上を伝うように走り、驚く顔面に蹴りを放った。


「ぐあっ」


 雷先は吹っ飛んで倒れる。閻謬がさらに短叉で突き込んで来たが、李秀が双戟そうげきでそれを受けた。激しい金属音が響く。


「ふん」


 閻謬は、左右の攻撃を素速く繰り出した。李秀はそれを正確に受ける。閻謬は、もっと短く、もっと速い突きになる。李秀は、受けながら言った。


「いけない、あたしの間合いより狭い。離れなきゃ」


 李秀は、わざとよこぎに大振りして、閻謬をかがませる。その隙に後ろに跳び、後方に宙返りして距離を取った。


 閻謬は、その間を詰めず、後ろに言う。


「走れ、仇凱」


「はい。あなたも早く」


 仇凱は走って森の中に消えた。萍鶴が飛墨を打ったが、届かない。


 李秀は双戟を一度引き、斬りかかろうとした。


 しかし閻謬は、手で制して言う。


「いいのか、鳥をそのままにして」


 皆が見ると、百威は魯乗の手の上でがくがくとけいれんしている。義翼が、ぼろりと落ちた。


「手当をせんといかん、鋼先」


 魯乗が悲痛に言う。鋼先は舌打ちし、行け、と手を振った。閻謬は音もなく消える。


 萍鶴が飛墨で百威の傷を癒し、魯乗が水を飲ませた。百威は安心したのか、眠りにつく。


 一同もほっとしたが、鋼先が思い出して言った。


「小声だったが、確か『申寧寺は終わった』と言っていた。いやな予感がする、急ごう」




 収星陣が走って申寧寺にたどりつくと、入口の扉がほうに開け放たれている。


「侵入されたな。みんな、気を付けて探れ」


「むう、静かすぎるのう」


 魯乗が言うので、皆で中に入る。そして、すぐにすべてを理解した。


 本堂は、血の海になっていた。


 もともと申寧寺の僧は老人ばかりで、十人に満たない。その全員が、まみれで死んでいた。


「ひどい」


 李秀が口を覆い、震えた。雷先や萍鶴も、呆然として動けない。


 そのとき、本堂の隅で、わずかに息のある僧が手を挙げた。鋼先たちは駆け寄り、抱え起こす。


「しっかりしろ。何があった」


 僧は、目も開けぬまま、弱々しく声を出した。


「いきなり襲われて、次々に殺された。匕首あいくちの香りがすると言って、馬を使って、ぎ付けてきた」


 それだけ言うと、僧は息を引き取った。鋼先が揺すっても、もう動かない。


「……匕首、そうか、いくの匕首か。香木こうぼくを使っていたのは、洒落気しゃれっけじゃなかったんだな。馬は犬よりきゅうかくが鋭い。あれをたどって来たのか」


「どうする鋼先、役所に知らせるか」


 雷先が提案したが、鋼先は考えてから、首を振る。


「役所は遠い。近くの別な寺に知らせよう。俺たちは身を隠し、しっかりと対策を練らないとまずい。だんだん奴らの調子にまれて来ている」


 雷先が、青ざめながら問う。


「しかし鋼先、なぜだ。なぜここの僧たちを殺す必要があったんだ?」


 鋼先は、ひと息ついて答えた。


「周囲から攻めて、俺たちを追い詰めるためだろう」


「なんてこった。襲われるとなると、道観どうかんにも寺にも宿を借りにくいな。普通の旅籠はたごか、野宿になる。どちらも危険じゃないか?」


 雷先がねんする。鋼先は渋面しぶづらになって頭をかいた。


「そうか。それも計算に入れての襲撃しゅうげきか。ちくしょう、何かいい手はないかな」




 ◇




 酒楼しゅろうの最上階。四人が集まって話している。


「配下を守るためとはいえ、魔星を失いました。申しわけありません、総輪そうりん


「ここでは楼主ろうしゅと呼べ」


 楼主の声は落ち着いている。仇凱はかえって畏縮いしゅくした。


「配下の中には、楼主のお立場を知る者もおりました。それをはくされてはまずいと」


「良いのだ、仇凱。お前の判断は適切だ。むしろ、魔星を奪われても飛墨顕字象に屈しなかったことを誉めたい」


 楼主は機嫌が良い。仇凱に笑みが戻る。


「しかし、はくりんいんいちもうじんにされたのだ。うかつに近づくな。奴らは道観も寺も襲われたのにりて、いずれ街中に宿泊する。それを待って、賀鋼先をおびき出す策を立てる。あの者さえ引き離せば、後は容易ぞ」


 楼主が言うと、副総が仇凱・閻謬を見ながら問う。


「どちらにお命じになりますか。白輪頭はくりんとうか、黒輪頭こくりんとうか」


 楼主は、首を振って笑った。


「私とお前でやるぞ、南宮車なんぐうしゃ


 副総・南宮車は、驚いた顔をしたが、


「はい。そこまでご決意とあらば、早速とりかかります」


 と礼をした。

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