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第二十九回 魔星転生




 雨が降っていた。


 こうせんたち収星陣しゅうせいじんは、街を目指して夜の草原を歩く。


「野宿は雨に弱い。当たり前のことだったな。百威ひゃくいもまだ完全ではないし、きちんとした宿に泊まろう」


 鋼先が言うと、皆も髪から水をしたたらせながらうなずく。近くの河から吹く風が、らいせんにくしゃみをさせた。


 急に、へいかくが前方を指さした。


「誰か走ってくる。女の子みたい」


 確かに、がらな少女が必死な表情で走っていた。こちらに人の影を見つけると、さらに足を速めて駆け込んで来る。


「助けてください。へ、変なひとが」


 れんな顔を曇らせてそう言うと、少女は息切れしてせきこむ。


 鋼先が前を見ると、理由が分かって苦笑した。


「助けよう。変な人が来る」


 やがて、短い袈裟けさを着た坊主頭の男が、鋼先を見つけて立ち止まった。


こうせん。……とうとうりょうざんに来たか」


「おい、ぶんえい。見かけによらず少女好きか。みっともないぜ」


「くだらん冗談はいい。娘を出せ」


 呉文榮は取り合わずに手を伸ばした。


 鋼先はついけんを抜き、李秀りしゅうに指で合図する。李秀は素早く朔月鏡さくげつきょうを向けた。


「いない。今の呉文榮は、魔星を持ってないよ」


 李秀が告げると、鋼先はあきれ顔になった。


「呉文榮、魔星のいないお前とやる気はない。この娘が怖がっている、もう行け」


 しかし、呉文榮はギラリと目を光らせる。


「最近気付いたのでな、教えてやる。せっしゃは、一度取り込んだ魔星の力をしゅうとくしているのだ。試してやるからかかってこい」


「なんだと」


 かかってこいと言いながら、呉文榮は自ら鋼先に殴りかかった。鋼先はとっさにすいけんの歩法でかわし、死角から剣を突き込んだ。


「今の拙者には、ただのもくけんだ」


 呉文榮は笑い、剣をけずに胸で受ける。そのまま間合いを詰め、鋼先の顔、胸、腹に連打を入れた。


「くそ、速い」


 鋼先は吹っ飛んでよろける。呉文榮はもう回り込んでいて、さらに鋼先を蹴り飛ばした。


「どうだ、魔星の力。しっかりと残っているだろう」


てんそくせい以外は、腕力にしかなってないな。戦うことだけか、お前は」


 鋼先は、ふらふらしながらも、毒づく。


「武術以外のげいなど不要だ。賀鋼先、貴様こそてんかいせいがいながら、多少打たれ強いくらいしか能がないではないか。酔剣を憶えたようだが、見てくれだけの児戯じぎだ」


 呉文榮も、鋭く毒づき返す。そして手刀しゅとうをかざして言った。


「だから貴様にはぶんそうおうだ。さあ、天魁星を寄越せ!」


「まずい、助けろ!」


 呉文榮に、雷先たちが慌てて殺到さっとうした。


 だが鋼先は、手で兄たちを制する。


「兄貴、待ってくれ。呉文榮にちょっと聞きたいんだ。おい、鉄車輪てつしゃりんって知ってるか」


 すると呉文榮の動きがピタリと止まり、哀れむような目を向ける。


「やはり狙われたか。よく生きているな、貴様ら」


「そうか、知ってるんだな。どうも勝ち目がなくて弱っている。何か良い案はないか?」


 鋼先は自分の現状を無視したまま、呉文榮に訊ねた。呉文榮は両手を下ろし、ため息のように笑う。


「魔星を追っているお前たちなら、いつか梁山に来るだろうと思っていた。だが、何も教えることなどない」


「ちっ。この前、おっかねえ女たちから助けてやったのに、忘れたのかよ」


「忘れたな。だから今、こうなっている」


 呉文榮は、眉一つ動かさず、再び拳を構えた。


「待って。恩知らずなおっさん、あたしが相手よ」


 突如、李秀が乗り込んで来た。呉文榮は、無言で前蹴りを放つ。


 李秀は跳躍して蹴りを躱す。そしてその足を踏んでさらに跳躍し、呉文榮の背面に降り立ちながら戟を振った。しかし、呉文榮は前方に跳び、刃を逃れている。


「まだよっ」


 李秀はもう一度跳躍、大きく宙返りしながら蹴りを放つ。だが呉文榮は彼女の両足を手でつかむと、上に振り上げて放り投げた。


「きゃあっ!」


「危ない!」


 宙に舞った李秀を、雷先が受け止めようと手を伸ばす。しかし、


「邪魔だ」


 呉文榮が、雷先を突き飛ばす。李秀は空中で身体を立て直し、着地した。


「ふん、小娘。身の動きだけは悪くないな」


 呉文榮が李秀に向かって構え直したそのとき、呉文榮の目の前に花びらが舞い散り、同時になまめかしい衣装を着た美女が三人も現れた。


「あら、お強そうな方」


「ふふ、きっとあっちの方も強そうね」


「こっちへいらっしゃいよ。若いだけの子なんて、つまらないんだから」


 美女は呉文榮の手を取り、きらびやかな酒楼しゅろうを指差した。


 呉文榮は、突然の事態に慌てる。


「なんだ、誰だ、お前たち。ここは、どこだ」


 しかし美女の力は怖ろしく強く、呉文榮はどんどん引っ張られていく。




 鋼先は、呉文榮がいきなり何かにおびえだして、うろたえながら歩いていくのを不思議に見ていた。


 魯乗ろじょうの声がした。


「今のうちじゃ、その娘を連れて逃げるぞ」


「幻術か。助かった」


 収星陣は、少女を守りながら街へと急いだ。




 鋼先の提案で、宿の代わりに小さいびょうに泊まることにした。そして、廟の人たちには事情を説明し、別の廟やどうかんに分散してもらう。こうして収星陣は、ようやく落ち着いて休むことができた。


「これで少なくとも、俺たち以外には危険は及ばないだろう。さて、食事にしようか」


 近くの食堂から地元料理を取り寄せ、皆でゆっくりと食べた。


 一通りすんだところで、少女に話を聞く。


「私はと申します。歳は十四で、梁山に近い一辰峪いっしんよくに住んでいました。今度、月光楼げっこうろうというところで働くことになって、そこへ向かっている途中だったんです」


 呉文榮が追っていたのだから彼女には魔星がいるのだろう、と収星陣は声に出さず思っていた。李秀がそっと朔月鏡で写すと、「地急星ちきゅうせい」の名が見える。鋼先は平静をよそおいながら、こっそりと追魔剣を抜いた。


 そして、卓の下から胡湖の足を突いたが、


「あっ、痛いっ」


 胡湖は驚いて飛び上がった。


「あれ、おかしいな」


 鋼先は不思議がり、今度は立ち上がって胡湖の肩を突く。


「痛い。何するんですか?」


 やはり剣は刺さらず、胡湖は怖がっている。今一度、と鋼先が剣を構えたとき、魯乗が割って入った。


「すまんな、ちょっと余興よきょうを見せようとして失敗したんじゃ。痛いのはここか? どれどれ」


 と、魯乗は胡湖の身体をぽんぽんと触れる。そして、


「鋼先、この娘には魔星はおらん。ちょっとこっちへ来い」


 そう言って、魯乗は鋼先を引っ張って部屋の外に出た。李秀たちは、適当に言いつくろって胡湖をなだめる。


 鋼先は不思議がって言った。


「あの娘に魔星がいないわけはない。朔月鏡を見ただろう」


 しかし魯乗は首を振り、


「今、触れてみて分かった。いないのではない。彼女が魔星そのものなんじゃ。あれは、魔星が人間に転生した姿じゃ」


「なんだって?」


 鋼先は思わず大声をあげ、慌てて手で口をふさぐ。


「本物の人間なのか」


「うむ。何か特別な力はあるかも知れんが、魔星という自覚は無いじゃろう。普通に人間として育った娘じゃ」


 鋼先は困った顔で、頭をかいた。


「ということは、胡湖を収星するためには……」


「そうじゃ。彼女の命を奪うことになる」


「そんな。まだ子供じゃないか」


「段取り的にはそうなる、と言いたかっただけじゃ。くな、鋼先」


「なんてこった……」


 鋼先は悔しまぎれに、そばにあった柱を殴った。




 気を取り直して、鋼先は部屋へ戻る。そして胡湖を見て言った。


「さっきはすまない。ところで、働きに行くと言っていたが、急がなくていいのか?」


 胡湖は思い出したようにあっと声を上げ、


「はい、明日には月光楼に来るように、と言われています。でも、場所がよく分からなくて」


ろうってことは、飲食か宿泊の仕事かな。若いのに大変だな」


 すると、胡湖は目を伏せて口調を落とした。


「仕方ないんです。父の残した借金がありますから。頼る親戚もいませんし、私が稼ぐしかないんです」


 つらそうな話を聞いて、雷先たちも心配そうに耳を向ける。


「ご両親は?」


 鋼先が訊くと、胡湖は力無く首を振る。


「半年前、殺されました。強盗に家を襲われたんです。父が私を、床下に隠してくれたので、私だけ助かりました」


「強盗?」


 鋼先が訊くと、胡湖はまた首を振った。


「お役所はそう言うのですが、違う理由で両親を殺したと思います。床下で、『娘を探せ、だが殺すな』と言っていたのを聞きました」


 それを聞いて、雷先が身を乗り出す。


「わかった、きっとそれは鉄」


 とまで言ったところで、鋼先と李秀から左右の脇腹わきばらを殴られて悶絶もんぜつした。


「助かりはしましたが、父の借金を返さなくてはならないんです。困っていたところで、月光楼の楼主ろうしゅという方が、私に就職を勧めてくれました」


「そうだったのか。急にいろんな事が起こって、つらかったろう」


 鋼先が胡湖を察して言う。胡湖は、無理に笑顔を作って


「はい、でも、せっかく助かった命ですから、これからは自分の力でがんばって生きていこうと決心しました。おづかいありがとうございます」


 と言うが、顔色は不安でいっぱいに見えた。


 鋼先が言う。


「とにかく、今日はゆっくり休め。月光楼の場所は調べておくから」


 胡湖は礼を言って、萍鶴に付き添われて寝室へ行った。




「すぐに眠ったわ。疲れているのね」


 萍鶴が言うのを聞いて、一同は頷く。


 鋼先が深刻な顔で口を開いた。


「みんな、聞いてくれ。胡湖の魔星のことなんだが」


 そして、例の転生のことを告げた。雷先たちは驚き、顔を見合わせる。


しゅうせいするには命を奪うしかないなんて、ひどいじゃないか。あんなに健気けなげな娘を」


 雷先が悔しさを隠さずに言う。


「どうするの、鋼先」


 李秀が悲しい目を向ける。鋼先は目線をらした。


「……いやな案しか、浮かばないわね」


 萍鶴が、鋼先の気持ちを察するように言った。呉文榮や鉄車輪に胡湖を任せれば、こちらが手を下す事はけられる。だが、事情を知ってしまった以上、胡湖を守ってやりたい気持ちが生まれている。


 魯乗が言った。


「鋼先、胡湖のことも気になるが、百威の状態が良くない。傷はえてきたが、翼を直してやらんといかん」


 鋼先は、魯乗のふところで震えている百威を見て、力無く立ち上がった。


「分かった。月光楼のこともあるし、ちょっと外に出てくる」


「よし、一緒に行こう」


 だが鋼先は、立ち上がる雷先を手で制する。


「すまない兄貴、危険なのはわかってるが、ちょっと一人にしてくれ」


 そう言い、鋼先は重い足取りで廟を出て行った。




 しかし、一人にはなったもののいい考えは浮かばず、街で買った酒をびんからじかみしてふらふらと歩いた。


「だめだな。結局、彼女を殺しても俺が悪くならないための言い訳ばかり考えている」


 愚痴ぐちをこぼしながら歩いていた鋼先の耳に、騒がしい声が聞こえてきた。それは赤ん坊の泣き声で、どうも普通にぐずっているのとは様子が違うように聞こえた。


 母親と祖母らしい二人が、おろおろしながら赤ん坊をあやしている。鋼先も普段なら気にしないのだが、酔っているせいもあってふらりと近づいた。


「ずいぶん泣いてるな。腹を空かせているのかい?」


 すると赤ん坊の母親が、困った顔を向けて言った。


「ああ、道士さまですか。実は昨夜から高い熱を出して、このように泣いてばかりなんです」


 鋼先は、酔いの勢いで言った。


「よし、俺がとうをしてやろう。この剣は、魔を清める力がある」


 そう言って鋼先は追魔剣を抜き、ぐずる赤ん坊の腹をちょこんと突いた。すると赤ん坊の身体が大きく震え、母親の手からこぼれそうになる。祖母と鋼先が慌てて押さえると、赤ん坊の中からじんしょうが抜け出て来た。


 母と祖母は、腰を抜かすほど驚いている。鋼先も驚いたが、平静を保ち、


「やっぱり、きもののたぐいだったようだ。もう大丈夫、この子は元気になるよ」


 そして追魔剣を収めると、出てきたせいに「上清宮じょうせいぐうへ行け」と命じ、彼が去るのを見送ると、親子に別れを告げて歩き出した。


 母親は、慌てて鋼先に礼を言う。


「なんとお礼を申し上げていいか。本当にありがとうございます」


「いや、大した事じゃないよ。お役に立てて何よりだ」


 それでも母親は、鋼先を追うように歩いた。


「道士さま、せめてお名前をお聞かせください」


 照れてしまった鋼先は、酔っている軽さも手伝って、ふと遊び心が出る。


「名前か、呉文榮ってんだ。じゃあな」


 そう言って、鋼先は振り向かずに手を振った。

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