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第三十回 独孤雨水




 そのうちにこうせんは、人が多そうな酒場に入った。ちょうど腹も空いていたのでとりにくしものとスープを注文し、一気に食べる。


 空腹が収まったところで、気持ちも落ち着いてきた。となりの席で飲んでいる初老の男に話しかける。


月光楼げっこうろうってのを探してるんだが、知らないかい」


 すると男はあきれた顔で


「兄さん、月光楼を知らんのじゃ、りようざんは初めてかい。あれは楼と言っても、酒場、宿場、商店、賭場とばろう、何でも揃えてある、繁華街そのものの名前さ。


 州の太守たいしゆ(長官)が新しくなってから、梁山の観光地化が進められて、月光楼と商店街を中心に大工事をしたんだ。俺も大工だから、ずっとその建築で仕事をもらってる。まぁそれはともかく、せっかく梁山に来たのなら、一度月光楼には行ってみな。いい土産話になるぜ」


 と自慢げに言い、場所を教えてくれた。


 それだけ大規模なら、従事じゅうじする人間も多いだろう。胡湖ここが呼ばれたのも、ひとそくだからか。鋼先はそんなふうに考えた。


「そうか、近いうちに行くつもりだよ。あとな、それとは別な話なんだが、金物かなもの細工さいくできる職人を知らないかな。こまかいものが作れる人」


 百威ひゃくいの翼を短期間で直すには、そういう職人の手を借りようと鋼先は考えていた。


 すると男は明るく笑い、


「兄さん、運がいいな。あそこで飲んでる女、あれが腕の良い鍛冶屋かじやでね。まあちょっと偏屈へんくつだが」


 と、向かいの卓を指さした。


 見ると、じんだが、ややくっきょうそうな若い女性が、一人で食事していた。鋼先はふらりと席を移動し、女性の向かいに座る。長い髪を無造作にたばね、右の目には眼帯がんたいをしていた。


 急に現れた男にびっくりして、女性が聞く。


「なんだ、あんた。相席あいせきするほど混んでないだろう」


 鋼先は笑顔で礼をし、


「いや、今そこで、あんたが鍛冶屋だと聞いてね。食事中に悪いとは思ったが、頼みたいことがあって」


 女性は、眼帯をした目で機嫌悪そうに鋼先を見る。


「出し抜けだね。確かに、あたしは鍛冶屋だ。姓はどく、名はすい。で、あんたは誰だい」


「申し遅れた、俺は竜虎山りゅうこざんから来た道士、こうせんだ。あんたの力を借りたいんだが、ちょっと来てくれないか。薄くて丈夫なはがねで、鳥の翼を作ってほしいんだ」


 どくすいは、げんな顔をする。


「なんだい、それは。工芸をやれってのかい? ……まあいい、とりあえず、自分で見てから決めるよ」




 鋼先は、独孤雨水をともなってびょうに戻った。


 胡湖は起きていて、皆と一緒に菓子を食べている。


 鋼先が紹介すると、独孤雨水はぶっきらぼうに礼をし、


「で、鳥がどうとか言ってたね。見せておくれ」


 と早速用件さっそくようけんに入った。


 魯乗ろじょうが進み出て、百威をふところから出して見せる。


「この鳥じゃ。あちこち怪我をして、よくを付けていたが、先日壊れてしまった。義翼はわしが作ったんじゃが、時間がかかるのでな。腕の良い人に頼めると助かる」


 独孤雨水は、百威をまじまじと見る。


「足も片方そくかい。何があったんだい、この鳥」


「ちょっと台風に突っ込んでな。よく生還せいかんしたもんじゃよ」


 独孤雨水は、呆れたようにため息をついた。


「聞けば聞くほど分からなくなるね。そもそもあんたたち自体が、何者なんだか」


 鋼先が言った。


「それはおいおい説明する。どうだ、翼を作ってくれないか。それとも無理か?」


 無理かと言われて、独孤雨水はむっとした。魯乗はそれを見逃さず、へんを渡す。


「これが義翼のめんじゃ。見ても分からんなら、もういいが」


 独孤雨水は、ひったくるようにして図面を開いた。そして隅隅すみずみまで見るうちに、どんどん表情が変わる。


「これは……見事だ。これをあんたが作ったのか。なんと精巧せいこうな」


 独孤雨水は、尊敬の目で魯乗を見た。


「そうじゃが、えらい時間がかかった。また同じものを作れる自信もない。材料もないのでな」


 すると独孤雨水は、歩み寄って魯乗のきんに鼻先を付ける。


「あたしにやらせてくれ。いい鉄もある。三日、いや、一日でやる。この図面の通りに作るよ」


「お、おう、それは心強い。頼まれてくれるか」


「任せてくれ。おい鳥ちゃん、きっと最高の翼を作ってみせるからな、もうちょっとの辛抱だ。そうだ、みんな、あたしの家に来てくれ。手伝ってくれた方が早い」




 独孤雨水がそう言うので、収星陣しゅうせいじんと胡湖は廟を引き払い、彼女の家兼作業場いえけんさぎょうばにやって来た。


 帰宅も早々に、独孤雨水は作業着に着替えた。大きな前掛けをして、手元は手ぬぐいを巻き付け、熱さに備えている。それ以外は、背中もももも、ほとんど肌が露出していた。全身が赤黒く、常に火で焼けているのが見て分かる。


「まず、元になる鋼を作る。鋼先とらいせん、火を強くおこしてくれ。てつを溶かす」


 鋼先たちが汗だくになりながら火を熾すと、独孤雨水は数種類の砂鉄を溶かし込み、型に流して薄い板を作った。


 見ていた李秀りしゅうたちも、汗でいっぱいだった。それを見て、独孤雨水が嬉しそうにほほ笑む。


「暑いかい。実は、今の熱を利用してたくさんの湯を沸かしているんだ。女の子たち、ちょっとおいで」


 独孤雨水についていくと、庭の一角いっかくてんが作られていた。


「すごい! おんせんみたい」


 李秀が驚くと、独孤雨水は得意げに


「温泉をまねて作ったんだ。いつか誰かに自慢したくてね。今作った板が冷めるまで時間がかかるから、その間に一緒に入ろうか」


 といわを指さした。


 李秀とへいかくと胡湖は、顔を見合わせてかんの声を上げる。さっそくその場で服を脱ぎ始めた。


 しかし、かんせいを聞きつけた雷先が、もうろうとして歩いて来る。


「なにか騒々しいな。暑くてくらくらしてるんだ、静かにしてくれよ」


「こら、入ってきちゃだめだ!」


 独孤雨水が、胸もあらわに両手を広げて制したので、雷先はびっくりして引き返した。

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