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第三十二回 月光楼




 翌日の朝、賀兄弟がきょうだい胡湖ここ月光楼げっこうろうへ向けて出発した。百威ひゃくいが遅れて後を追う。残りの者は、どくすいの家で待機たいきとなった。


 歩きながら、胡湖が不安そうに訊く。


「……本当にいいのですか、こうせんさん」


 鋼先はさいなことのように手を振り、


「心配するな。俺たちの責任者は、てんどうそうすい張天師ちょうてんしだ。お前の身元引受人みもとひきうけにんにもなってくれるから、今後も安心だぜ」


 らいせんが頷いて、落ち着いた声で言う。


「うむ、若いそらで借金におぼれることはない。ばん我々に任せるがよかろう」


 雷先のものいに、胡湖はきょうしゅくも忘れ、そっと鋼先に言った。


「あの、雷先さん、なんか変じゃないですか」


 鋼先が片目をつむる。


さきでびっくり芸が出ると困るんでな、ちょっと字を書いてもらった。……ああ、いや、緊張してるだけだ、心配いらないよ。さあ、もうじき月光楼に着く。胡湖、お前は何を訊かれても、答えるんじゃないぞ」


「はい、わかりました。ええと、私は、お二人とはどういう関係にすれば良いですか?」


遠縁とおえんの親戚でいいだろう。俺たちのことは兄と呼んでおけばいい」




 やがて、城のような大きな楼閣ろうかくが見えた。


 正門をくぐり、番頭ばんとうに用件を伝えると、三人は奥のせったいへ通された。


「今のところ、魔星はいないな。じゃあ兄貴、何かあったら頼むぜ」


 鋼先が朔月鏡さくげつきょうを隠し持ちながら言うと、雷先は少し間を置いて


兄上あにうえ、と呼べ。よいか、段取りは任せるが、あまり気前のいいことを言うでないぞ」


 と、厳しい顔で言った。鋼先は「これはこれでめんどくさいな」と小声で愚痴ぐちる。


 胡湖は、部屋に置かれた調度品ちょうどひんの数々を、楽しげに見て回っていた。鳥かごで小鳥が美しい声で鳴き、壁には絵画や楽器が飾られている。


「すてき。見たこと無いものばかりだわ」


 やがて興奮が高まり、勝手に琵琶びわを手にとって爪弾つまびいたりしだしたので、雷先がたしなめた。


さまのものをいじるでない。すぐに戻せ」


 胡湖がはっとして戻そうとしたとき、笑い声とともに若い男が現れた。


「いえ、お客様を退屈させないために置いてありますから、ご自由に。――お待たせ致しました。私が月光楼楼主ろうしゅごうと申します」


 縻剛は、柔らかい物腰で、うやうやしく礼をする。彼の後ろにいたくっきょうな男も、合わせて礼をした。鋼先たちもすぐに礼を返す。


「この者は、私の秘書です。――そちらのお嬢さんは、たいどのの娘御むすめごでしたね。いの方は、ご親戚か何かで?」


 と、縻剛は賀兄弟を見た。鋼先は再び礼をしながら、


「はい。遠い親戚に当たる、こうせんと申します。これは兄のらいせん。我々も最近聞いて驚いたのですが、なんでも叔父おじの胡護岱には、たいそうな借金があったとか」


 それを聞いて、縻剛はため息をつく。


「ええ、事業をしたいとおっしゃって、私に相談に来たのです。私はそうほくしんという商人を通じて、資金を援助しました。こちらが証文です」


 出された証文には、貸付三千四百貫文かんもん、と記されていた。(注・都市生活者の年収が十五貫文くらい)


 鋼先はそれをながめ、内心非常に驚きつつも、表情に出さずに聞いた。


「個人でどうにかできる金額じゃないと思うが、なぜこんなに?」


 縻剛はため息をつく。


「最初は三百貫文でした。高価な荷物を配送する商売がありましてね。今は道中に賊も多いご時世だから、途中で全て奪われてしまうこともある。だから、腕利きの武芸者に荷物を護送させて無事に送り届ける方法があります。彼はそれをやろうとしたのです。


 しかし、せっかく集めた武芸者たちが、結託して荷物を横流ししてしまい、胡護岱どのは全てを弁償しなくてはならなくなりました。武芸者たちも逃亡し、その人件費も合わせて、合計で五千五百貫」


「なるほど。しかし、二千と百貫、計算と合わないが?」


「胡護岱どのの家と土地を売り、二千貫までは返済されました。また、彼がその後きゅうせいされたと聞いて、私が百貫をこうでんとして出させていただいたのです。


 それでも、かなりの額が残った。なので、私からお嬢さんにお話をして、こちらで働かないかと持ちかけたわけでして」


 鋼先は礼をして、


「そうでしたか。ご配慮はいりょ、痛み入ります。――そういえば縻剛どの、話は変わりますが、鉄車輪てつしゃりんという組織をご存じではありませんか? 叔父の事件に、関わりがあるようなのです」


 と核心かくしんを切り出した。


 縻剛は、秘書を振り返ると、二人しててきに笑い始める。


「なぜ……笑います?」


 鋼先が警戒けいかいしながら問う。縻剛は、急に表情を鋭くした。


「扉を閉めろ」


 とたんに、茶や菓子を運んでいた数人の使づかいが、ぎわよく部屋の全ての扉を閉めた。客間は一気に薄暗くなり、空気が張り詰める。


みょうさぐりはやめろ、賀鋼先。我らを狙うとどきものめ」


 縻剛は太く、強く言った。小間使いたちは隠し戸棚から武器を取り出し、声もなく迫る。鋼先は舌打ちした。


「やっぱりそういうことか」


「始末しろ」


 縻剛は不機嫌な顔で、秘書にくばせした。秘書は頷き、匕首あいくちを構える。


 鋼先が立った。


「兄上、よろしく」


「分かった。お前は胡湖を守れ」


 雷先も立ち上がった。鋼先は胡湖をかばう。雷先は丸腰まるごしだったが、棒でおそいかかってきた手下をいなして奪い取り、素速いとつで手下を倒した。


「お兄様、いったいどうしたのですか?」


 怖がっている胡湖に、鋼先は笑って言う。


「ちょっと、向こうさんのご機嫌を損ねたらしいね」


「あの、皆さん刃物を出してますよ?」


 手下がきゅうしゅうしてきた。鋼先はついけんを構え、酔剣すいけんで応戦する。だが、力押しにされ、すぐに息が上がってしまった。


 縻剛はそれをのがさず、


「分散するな。賀鋼先は弱い、まずそっちを倒せ」


 と指示した。秘書も鋼先に迫る。


 これを見て、雷先はにやりと笑った。敵が離れていくので、棒が振るいやすくなる。雷先は追いかけながら、一人また一人と手下を打ち倒す。


「賀鋼先、死ね!」


 秘書が、鋼先めがけて匕首を突き出した。鋼先はかみひとでかわしたが、秘書はもう一方の手で鋼先のえりをつかみ、高々と持ち上げる。


 後ろで見ていた縻剛が、立ち上がって叫んだ。


「よし、やってしまえ!」


 雷先はこれを聞いて、振り向きもせずに棒を後方こうほうへ投げた。棒は回転して縻剛のそくとうに勢いよく当たり、気絶して倒れる。


「あっ、楼主!」


 それを見て、秘書がうろたえた。そのすきのがれようと、鋼先は秘書の腕を追魔剣で突く。すると、腕から電光がほとばしり、秘書はぜっきょうした。


「う、うおおおお!」


 鋼先が身をよじって逃れると、秘書はそのままばったりと昏倒こんとうする。そして、その体からぞうせいが抜け出てきた。


 雷先は倒れている手下から帯をいて取り、縻剛をしばり上げた。鋼先が朔月鏡で地蔵星をしゅうせいすると、雷先が指さして言う。


「こいつはどうだ、鋼先」


 鋼先は頷いて


しゅりょうらしいから、魔星はいるだろう。ようやくしょうさいが分かるな」


 と歩み寄りつつ、そっと胡湖の頭をで、


「驚かせてすまない。こいつらにはき物がいて、そのせいで悪さをしていたんだよ。俺たちは、そういうのを封じて旅をしているんだ」


 と簡単に説明する。


「そうだったのですか。びっくりしましたけど、大丈夫です」


 胡湖も、驚いたながらも納得し、こくりと頷いた。

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