目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第三十三回 妓館




 こうせん朔月鏡さくげつきょうごうを映すと、地囚星ちしゅうせいの文字が重なり浮かんだ。鋼先は湯呑ゆのみを取って、縻剛の顔に茶をかける。


あつ、熱いっ!」


「目が覚めたか。おい楼主ろうしゅ、お前たちの稼業かぎょうに、文句をつける気は無い。俺たちは、魔星を回収してこの土地を出たいだけだ。だから邪魔をするな」


 縻剛は、おどおどした顔で訊いた。


「では、月光楼げっこうろう界隈かいわいを乗っ取るつもりはないのか?」


 鋼先はあきれて、


「俺たちは旅の道士だ。繁華街なんかもらってどうする。おい、そんな理由で俺たちを狙っていたのか?」


「そういう情報を聞いた。竜虎山りゅうこざんの連中がいつかん連携れんけいして、ここらのせつはいに入れると」


 鋼先は頷いた。


「なるほど、そう言われれば警戒けいかいもするか。だが安心しろ、未逸観も竜虎山も、そんな野心やしんは無い」


「本当か。未逸観のちくこうが、そう言っていたのだが」


「野心があったのは、あいつの方だ。これ以上泥沼どろぬまになるのは御免ごめんだぜ。俺たちは行く」


 それを聞いて、縻剛は深いため息をついた。そして、事務的な顔になって言う。


「分かった、ならばもう、お前たちには関わらない。ただ胡湖ここは置いて帰れ。借金の話は本当なのだからな」


 鋼先は頷いて、


「こっちも、それが本題だったんだ。その借金は、うちでかたわりする。だから胡湖は預けない。そう言いに来た」


「そうか。金を持って来ていたのか」


 しかし、そう言われて鋼先は顔を曇らせる。


「いや、今日ではないけどな、後日必ず」


 すると縻剛は、再び厳しい目つきに戻っていた。


「前金も無く、そんな話は受けられんな。こうせん、金を払うまでは胡湖は預かる。これはじゅんすいに商売の話だぞ」


 気まずくなった鋼先は、


「ち、分かったよ。じゃあ今日は魔星の話だけで終わりにしよう」


 とついけんを刺して、地囚星ちしゅうせいしゅうせいした。縻剛の様子は特に変わりもなく、用が済んだならなわほどけ、と不機嫌に言う。


 鋼先がしばりを解くと、縻剛は衣服を直し、表情を改めて言った。


「胡湖を置いていくのが嫌なら、何か代わりのものを預かるのでもいい。とにかく、落ち着いて話をしよう」


 そう言って、部屋を出ようとうながす。手下たちが気絶して転がっているので、確かに話し合える雰囲気ではなかった。


 月光楼の応接室おうせつしつを出ると、かん楼閣ろうかくに移れる回廊かいろうがあり、縻剛は鋼先たちをともなってそこに入っていく。


唐流嶬とうりゅうぎはいるか。たいどのの娘御むすめごを連れてきたのだが」


 縻剛が声をかけると、若い女将おかみが奥からやってきた。


「まあ、これは縻剛さま。わざわざご足労いただいて」


 女将はそう言って、礼をする。


「これは、当方の妓館・光彩楼こうさいろうを仕切っている女将です。胡湖さんには彼女の付き人をしながら、うたまいを身につけてほしいと思っていたのですが」


 そう言って縻剛が促すと、女将は甘くき通る声で歌い出した。


 ゆるやかではかないその唄は、引き裂かれる男女の悲しい恋を歌っていた。彼女は歌いながら舞を加え始め、悲しさは一層増す。鋼先は思わず見入ってしまい、胡湖もうっすらと涙を浮かべていた。やがて唄の物語は佳境かきょうに入り、女は男をおもいながらやまいおとろえ、いきえる。歌のいんが消えたとき、全員で大きな拍手を送った。




 そのとき、入口を開けて誰かが入ってきた。


「相変わらず素晴らしい歌だな。その女将に学べるなんて運がいいぞ、胡湖。元気か?」


 声の主を見て、胡湖が驚く。


「あっ、太守たいしゅさま」


 男は、にこにこした顔で頷いた。賀兄弟がきょうだいが、驚いて男を見る。


「太守? このうんしゅうの長官か」


 縻剛が間に入り、説明した。


「ここは楽営がくえいに属するかんの妓館ですから、この方の指示がないと仕事ができないんですよ」


 しき接待せったいに欠かせなかったじょは、特別なせきに入れられ、国家によって管理されていた。これが官妓である。しかし太守は笑って言った。


「表向きはそうだが、実質は仮母かぼ(女将)たちの手腕しゅわんが無いことには、ろうは成り立たんよ。商売をいちいちせいしては、街がうるおわないからな」


 縻剛が太守に礼をして、


「まったくです。あなたが就任されてから、特に商人たちへの免税で商売がはかどりました。宿代の相場値下げも実現できたので、以前より旅行者も、そして情報も集まる。本当に太守には感謝しております」


 すると唐流嶬も同様に礼をし、しようさんする。


「太守が、この地の交流の良さに注目され、古くから有る未逸観と連携して月光楼を観光地化する計画を進めてくださいました。そんの地主たちから反発も起きましたが、その方々もうまく説得され、今のりゅうせいに助力してくださる形になりました。まったく、そのごじんとくにはかんぷくするばかりです」


 誉めちぎられて、太守はさすがに照れて手を振る。


「なに、私もこの地の出だからな。故郷への、ほんの恩返しのつもりだよ」


 そう言って、ふと賀兄弟に目を留めた。


「で、このお二方ふたかたは?」


 鋼先はきょうしゅして、


「初めまして太守。竜虎山の道士、賀鋼先と申します。胡湖は私の遠縁とおえんに当たりまして、ちょっと手を貸している次第です」


 それを聞いて、太守も軽く礼を返す。


「竜虎山とは、名門めいもんではないか。お会いできて光栄だ」


 太守は笑いながら、胡湖に目を向けた。


「あのとき、親戚は少ないと言っていたが、良かったな」


 胡湖が、少し震えながらこくりと頷く。


「太守とは面識めんしきがあったのか?」


 鋼先が訊ねると、胡湖は答えた。


「……私の家で事件があった時、たくさんのお役人と一緒に、見えられました」


「あれはひどい事件だった。どうか気を落とさないようにな。


――この場で言うのも何だが、妓女にならなくてはいけないわけではない。ただ、ここは芸には厳しいが、人は皆優しいし、客もせつがある。努力すれば、いずれ自分の手で自由をつかむのも遠くはないだろう。よく考えて決めなさい」


 太守は、優しく言い聞かせた。胡湖も明るい笑顔を見せる。


「あの、私、小さい頃からお歌が好きでした。私も唐流嶬さんのように、れいに歌えるようになりたい。私を、ここに置いてくださいませんか。よろしくお願いします」


 そう言って胡湖は拝礼はいれいしたので、鋼先は慌てて言った。


「まあ待て、借金は大丈夫だから。今後の事も考えてあるし」


 しかし、胡湖は敢然かんぜんとした目になって告げた。


「お兄様、おこころづかいは本当にうれしいです。でも、今までの私は、ただ守られているだけでした。これからは、自分の力で生きて行かなくては、と思います。いつまでもお世話になるわけには参りません」


 急にりつの決意を聞かされて、鋼先は困ってしまった。そのとき、らいせんが肩に手を置いて言った。


「弟よ、胡湖の言うとおりぞ。我らは世話を焼きすぎているのかもしれぬ」


 そう言われて、鋼先も考え直す。


「確かに、な。それに今日は前金まえきんも無いし、どのみち帰るしかないか」


 そう言いながら、朔月鏡を出し、自分の髪を直す振りをして周りを映した。女将にも太守にも、魔星の名前は見えない。


 胡湖は改めて、唐流嶬に礼をしている。鋼先は鏡をしまいながら言った。


「胡湖の荷物を届けに、明日また来る。今日は失礼するよ、楼主」


 それを聞いて、縻剛と唐流嶬は、揃って礼をした。


「では、またじつ


 太守も手を振って、


「気をつけて帰りなさい」


 と挨拶あいさつする。


 賀兄弟は、ろうを出た。




 歩きながら、鋼先は雷先の袖をまくり、「ごう」と書かれたぼくこすり消した。雷先の目付きが普段のそれに戻り、口調くちょうも直る。


「良かったな鋼先、鉄車輪てつしゃりんも収星できたし、胡湖もひとまずは安心だ。本当に妓女になるかはともかく、あの子が思ったよりも強かったことが嬉しいよ」


 しかし、鋼先の表情は暗い。


「どうも、に落ちない。胡湖ではなくて、鉄車輪のことだが」


「どうかしたか」


ごたえがなさ過ぎる。未逸観のときのような、気味の悪い手練てだれがいなかった。それに、きゅうがいと、あいつを助けに来たさすまた使いの奴は?」


 そう言われて、雷先も首を傾げる。


「確かに、あの場にはいなかったな」


「ああ。何か、肩すかしを食らったような感じがするんだ」


 そのとき、二人は城門のそばを歩いていた。変に人だかりができていたので近づいてみると、州のこくだった。




告示


 以下の者は、未逸観及び申寧寺しんねいじの殺人犯として手配する。


 こうせん 二十歳前後、男子。赤い木剣を使う。


 らいせん 二十歳前後、男子。黒く長い棒を使う。


 李秀りしゅう 十代なかば、女子。短い双戟を使う。


 王萍鶴おうへいかく 十代後半、女子。筆で墨を飛ばす。


 魯乗ろじょう 年齢性別容姿不詳ねんれいせいべつようしふしょう。鳥を連れている。


 一行は道士と名乗り、寺院に現れることが多い。


 かくした者には、賞金を与える。


 しゅかいの賀鋼先は賞金一千貫いっせんかん、その他は八百貫。なお、かくまった場合はその者も罪に問う。


 州の門番は、脱走に気を付け、出入りの警戒を強化せよ。


 鄆州太守 南宮車なんぐうしゃ


 天宝てんぽう十四さい 十月一日 しるす




 ご丁寧ていねいにんそうきまでえられた張り紙を見て、賀兄弟は愕然がくぜんとした。


「鋼先、これは何だ。告示を発行した鄆州太守とは、今会った、あの人じゃないか」


「あいつに魔星はいなかったはず。いったい、何が起きているんだ?」


 後ろのこずえに、百威が留まっている。鋼先が目を合わせると、自分にも分からない、という目を返してきた。


 賀兄弟二人が困惑こんわくしておどおどしていると、急に後ろから抱きついて、声をかける者があった。


「やあ、ちょうの兄貴たちじゃないか。どうしてこんなところに?」

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?