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第三十四回 唐流嶬の招待




 賀兄弟がきょうだいが振り向くと、それはどくすいだった。彼女はぐいぐいと二人を押しやり、路地の裏に入る。


「待て待て、胸が当たってるぜ」


 彼女の豊満な胸に驚いて、思わず鋼先は苦笑する。


「おいこうせん、あんたたち、指名手配になってるぞ。事情は分からないが、うろうろしてちゃまずい」


「俺たちは人殺しなんかしていない。何かの間違いだ」


らいせん、そんなことは分かってる。とにかく顔をかくして、うちへ戻るんだ」


 三人が急いで帰ると、李秀りしゅうたちが青くなっていた。


「何よ、あのこく。どうしてあたしたちがお尋ね者になってるの? これじゃこの州を出られないわ」


「このままでは、すいさんにも迷惑がかかるわね」


 へいかくが言うと、独孤雨水は首を振る。


「そんなことより、胡湖ここちゃんはどうした。なぜ一緒じゃない」


 そこで賀兄弟が、胡湖が月光楼げっこうろうに残った話をした。女将おかみにも太守たいしゅにも魔星はいなかったので、とりあえず安心して預けたことも。


 一部始終いちぶしじゅうを聞いて、しかし萍鶴があんがおで言った。


「ちょっと待って。ごうという人は、自分が鉄車輪てつしゃりんだと認めたの?」


 雷先がそのときのやりとりを思い出し、


「いや、確か『みょうさぐりを入れるな』と怒り出した。こっちはてっきり、ぼしを突かれてぎゃくじょうしたのかと思ったんだ」


 というと、魯乗ろじょう


「鋼先、縻剛たちには魔星がいたろうが、月光楼が鉄車輪だ、というのははやてんだったかもしれんぞ」


 鋼先は、はっとして自分の膝を叩く。


「くそ、手の込んだ罠を。つまり、月光楼も太守も、鉄車輪の手の内か。そこまで大きい組織だとは。……まずい、胡湖を人質に取られた」




 ◇




 かん光彩楼こうさいろうで、南宮車なんぐうしゃが巨体をかがめて礼をする。


上首尾じょうしゅびですな、唐楼主とうろうしゅ


「では魔星を戻そうか、南宮太守なんぐうたいしゅ


 唐流嶬とうりゅうぎは冷ややかに笑い、うつろな目で立っている二人のじんしょうまねきした。そして自分と南宮車を指さし、入れ、と指示する。てんこうせいは唐流嶬に、てんりつせいは南宮車に、それぞれ吸い込まれて同化した。


「魔星を自由に出し入れできるとは、こうせんたちも思い至らぬだろうな」


 唐流嶬はほくそ笑む。


 南宮車が訊いた。


「どうですか総輪そうりん、胡湖の魔星は」


「ああ、やはり取り出せぬ。本人が魔星そのものだからな。まあ良い、面倒な段取りをんだが、とりあえず手元に置けただけでも充分だ。うまく賀鋼先をあざむけた」


「縻剛があまりにもだらしないのは、計算外けいさんがいでしたが」


「あの男は魔星が無くとも、上にかざられていれば満足するから放っておけ。月光楼の規模きぼは、かくみのにちょうど良い。――それより、きゅうがい


「はい、総輪」


 仇凱が、進み出て返事をする。


「賀鋼先の居場所は?」


鍛冶屋かじや作業所さぎょうしょ潜伏せんぷくしていると、市民からの通報がありました。賞金首しょうきんくびにしたのは正解でしたね、副総ふくそう


 南宮車が、声を殺して笑った。唐流嶬も笑って続ける。


「よし。賀鋼先とそのほかを切り離し、それぞれを片付ける段に入ろう。さくはできている」




 ◇




 翌日。


 独孤雨水が外に出ると、にこやかな顔をした男が立っていた。


「なんだい。うちは鍛冶屋だ。農具でもほうちょうでも打つよ」


 すると男は首を振る。


「賀鋼先に、伝言してください。仇凱があなたを連れに来たと。そして、他の方たちは、ここを出ないでいただきたい」


 独孤雨水は頷いて


「仇凱さんね。お友達かい」


「ええ」


 独孤雨水は振り向いて、金槌かなづちを取った。


「よくもしゃあしゃあと。胡湖ちゃんを返せ、この野郎!」


 そして勢いよく金槌を振り回した。仇凱は、軽くじょうたいらしてかわす。


「よく聞きなさい。胡湖は、我々が預かっています。こちらの言うとおりにしないと、彼女の命はありませんよ」


「あんたを殴ったくらいで殺せるような、安い人質じゃないだろ。あまりつけ上がるなよ」


 独孤雨水は吐き捨てるように言うと、奥へ入る。




 鋼先がひとりで出てきたので、仇凱はきちんと礼をした。


「剣と鏡は、置いていってください」


「そうしたよ」


 仇凱は鋼先の身体をさわり、武器をもっていないか確認する。


「俺が行けば、胡湖を返してくれるんだろうな」


「はい。借金も帳消しにする、と楼主から聞いています」


「縻剛が?」


「いえ。光彩楼楼主、唐流嶬がです」


 鋼先は、あきれて笑った。


「なるほどな。鉄車輪のしゅりょうは、あの女か」


「あなたをお呼びになったのも、唐楼主です。馬車が用意してありますので、どうぞ」


 そう言って仇凱が指笛ゆびぶえを吹くと、二頭立てのほろき馬車がガラガラと現れた。


 鋼先は思案顔をして、


「せっかくだがな、俺は馬車だと酔うんだ。お前の着物にえきを吐いてもいいなら、乗せてもらうが」


 仇凱はちょっと臭いを想像して苦笑し、


「では、歩きましょう。しかし、その前に」


 仇凱は、後ろのやぶを指さした。そこにいた人影を見て、鋼先が言う。


「この間の、さすまた使つかいか」


黒輪頭こくりんとうえんびゅうです。他に、十六人の黒輪員こくりんいん、つまり暗殺者がはいされています。お仲間が一歩でも外へ出たら、命はありませんよ」


 聞いた鋼先が、顔をしかめる。


「胡湖と兄貴たちと、二重に人質か。本当はおくびょうなんじゃねえか、お前ら」


「普段大きい仕事しかしていませんのでね、手の抜きどころが分からなくて」


「やかましい、さっさと案内しろ」


 と、鋼先は足を蹴り上げた。仇凱は馬車のぎょしゃに、歩いて行くからとの旨を告げる。馬車の中にいた者が二人降りて、えいのように付いた。


 やがて四人はすたすたと歩き出した。天気は秋晴れ、心地よい風が吹いている。


 鋼先が退屈まぎれに話しかけた。


「どうして俺だけ連れていくんだ」


 仇凱は淡淡たんたんと答える。


収星陣しゅうせいじんは、あなたがかなめ。指揮官を押さえればあとよう


められて光栄だ。だから、俺だけ先に死ぬのか」


「さて」


 仇凱は薄笑いを浮かべた。


「あなただけ、生き残れるかもしれませんよ」


「どういう意味だ」


「いえ、楼主だいだということです」


 それきり、仇凱は口を閉ざした。




 ◇




「馬車をことわったのか。ではいちしん(二時間)はかかるな。食事を下げろ。来たら作り直せ」


 光彩楼の一室で、唐流嶬は準備をしていた。


 高価なこうき、しょたまざいかざって、季節の花をけてある。めいが寄り集まって詩の競い合いをするための、一番良い部屋である。


 唐流嶬はきょうだいに向き合い、化粧けしょうを直した。まげは流れる形にい、きんすいかんざしで留める。白い肌がえるように、くちびるには桃色のべにをさす。ゆるくつり上がった目に合わせて、りゅうようの形に眉を描いた。あんずいろの着物は細い首とこつがよく見えるように、襟元えりもとをかなりゆるくしている。


 しばらく待っていると、戸を叩く音がした。唐流嶬はゆっくりと戸を開け、ただ一人で立っている若者に礼をした。


「賀鋼先様、ようこそ。どうぞ、中へ」


 鋼先は、目を怒らせて言った。


「しらじらしい真似はよせ。胡湖はどうした?」


 しかし唐流嶬はにっこりとほほ笑み、席へいざないながら答える。


「さっそく、うたの稽古に入っています。あの子、とても耳が良くて、すぐに憶えてしまうんです」


 鋼先はどかりと腰を下ろすと、さらに訊く。


「俺が来れば胡湖を返す、借金も無しにするというのは、本当か」


「これからのお話だい、ということですが」


 唐流嶬の笑みに、鋭い色が加わる。


「あんた、魔星を自由に操ることができるんだな。だから昨日は朔月鏡さくげつきょうに名前が映らなかった。話ってのは、俺のてんかいせいを差し出せってことだろう」


 鋼先が核心かくしんを突いたが、唐流嶬はゆっくりと首を振った。


「そういう意図いとではありません」


「嘘をつくな」


「いえ、まことに。私は今日、あなたをじょうきゃくの一人としてごしょうたいしたのです」


 そう言って唐流嶬は手をぽんぽんと叩く。


 新しく作られた料理が、何人ものじょによって運ばれてきた。


「お酒も選び抜いたものを用意しています。どうぞ、お好きなようにお召し上がりください」


 鋼先は、ずいと手を伸ばしてどりを口に放り込む。


「毒を入れるほどすいじゃないよな。歩きづめで腹がいた、とりあえずいただくか」


 唐流嶬のしゃくを受けながら、鋼先は手当たり次第に飲みつ食った。


「どうか、ゆっくり味わってください。自棄やけな食べ方は、見ていてつらいです」


 づかう唐流嶬に、鋼先は身を乗り出して言う。


「こっちは追い詰められてるんだ、自棄にもなるぜ。本当にもてなしたいのなら、兄貴たちまで人質にする必要があるか?」


「私とあなたが落ち着いて話すには、こうするしかなかったのです」


「分かったよ。じゃあそろそろ訊こうか、あんたのほんを」


 すると唐流嶬は、呼吸を整えて話し出した。


「では、お聞きください。――私たち鉄車輪は、確かにあなた方を殺そうとしています。それは、依頼があったからです。仕事としてったのです」


 鋼先は、乗り出した身を戻し、うりを取ってかじる。


「ああ、そうだろうな。で?」


「依頼したのは、この国のさいしょう楊国忠ようこくちゅうです」


 唐流嶬は、訊かれもしないのにその名を口に出す。さすがに鋼先は驚いて身を乗り出した。


「言っちゃっていいのか? 普通は秘密だろう、そういうの」


 その様子を見て、唐流嶬はにこりとほほ笑む。


「名を出して良いと言われています。おそれをなして降伏こうふくするだろうから、と」


「するかよ」


 鋼先はあきれた苦笑をする。


「ですよね」


 唐流嶬は冷ややかな笑いに変わって、続けた。


「と言っても、依頼の時点では、楊宰相ようさいしょうはあなた方を知りません。魔星を封じている連中がいるらしい、それをほうむれ、という内容です」


「ふうん。と言うことは、宰相にも魔星がいるってわけだな。魔星を奪われたら、宰相として政務せいむ牛耳ぎゅうじっている力も無くなる。だから俺たちを始末したいんだろう。それより、そんなお偉いさんが依頼主なら、ほうしゅうはたくさんくれそうだな」


「いえ、楊宰相はりんしょく(ケチ)で、ずいぶん値切ねぎられました。なので私は、お金ではないもので、報酬を頂いたのです」


「土地か何かか?」


副総ふくそう南宮車なんぐうしゃを、この州の太守たいしゅ任命にんめいさせたのです」


「あっ」


ほうかんは増税で小銭が稼げるぞ、と宰相もまえくくださいましたよ。でも、私たちは逆をしました。太守のけんげんいきを利用し、商人に免税する政策で、月光楼とそのかいわいを観光名所に仕立て上げました。いずれいつかんも勢力下に加える予定です。――ふふ、道士であるあなたには、不本意かもしれませんけど。


 また、兵士とその家族には減税を施し、質の良い兵を集め、諜報活動ちようほうかつどうも強化しました。その結果、鉄車輪は経済にも軍事にも経路が取れ、情報網が発達し、規模を拡大できたのです」


「ただの間者かんじゃ集団じゃないとは思っていたが、そこまでとはな」


 鋼先はさかずきを置き、ため息をついた。


 唐流嶬は、杯を取って酒を飲みす。そして言った。


「今、あなた方を消すのはぞうもありません。しかし私は、その前に確かめておきたかった。あなたという男を」


 鋼先は、少し考えた顔をした。


「あれこそ好漢こうかんじゃよ、と魯乗ろじょうは言ってたな」


 唐流嶬は、おかしそうに笑う。


謙遜けんそんもしないわけね。でも、私もそう思う」


光栄こうえいだね。あんたも、ふるいつきたくなるようなじんだぜ」


「震いついていいわ」


「なに」


 唐流嶬は、えりをさらに緩めてむねてを少し下げた。寄せられた谷間がはっきりと現れ、鋼先の視界に入る。


「私は娼妓しょうぎ。五年前にここの楼主ろうしゅになって、今は二十四。いろんな男の相手をしたけど、あなたほど若くていきな人は、いなかった」


「はは。そう来たか」


「あなたを味わいたい。それが、胡湖を返す条件よ。暗殺結社あんさつけっしゃしゅりょうもいいけど、できるなら女としてたのしく生きたい。いつもそう思ってたわ」


 唐流嶬は、せつない目で鋼先を見る。


 鋼先は、しばらく目を閉じて黙っていたが


「そういうことなら、いいぜ」


 と立ち上がる。


 唐流嶬は声なく笑い、きぬ刺繍ししゅうで飾られた寝台しんだいを指さした。




 ◇




 寝台で、唐流嶬は鋼先にまたがっている。二人とも、着物はかなりくずれていた。


 鋼先はあおけになったままうめいている。唐流嶬は笑った。鋼先が顔をしかめる。


「なんだ、男にえてるのかよ」


「まさか。不自由するわけないじゃない」


 そう言って、唐流嶬は目付きを冷ややかにした。


「唐流嶬は、げん。本名は蔡稜薫さいりょうくんっていうの」


「そ、それが?」


「私の父、さいてつえつは魔星を持っていた。母は南宮輪なんぐうりんという娼妓。そして南宮車は母の弟で、父に武術を学ぶ弟子だったのよ」


「三人合わせて鉄車輪か。単純だな」


 鋼先のけなしを、唐流嶬は無視する。


「でも、魔星をあつかう力は私の方が上だった。父も母も、魔星にせいむしばまれて死んだわ。二年前よ」


「あんたが、それをいだのか」


「そう。母のてんこうせいは私に、父のてんりつせいは南宮車に。そして、さらに魔星を集め、きゅうがいえんびゅうたちにあてがった。鉄車輪を今の規模にまで広げたのは、私」


「なぜ、暗殺を請け負う?」


 訊かれて、唐流嶬はおもしろそうに笑う。


「世の中が、とどこおりなく流れるための、掃除になるからよ。私たちは、すべての依頼を聞くわけじゃないわ。勢力争せいりょくあらそいをしている連中の、役に立たないこまを消していくのが仕事。文官、軍人、貴族がお得意様よ。そうそう、未逸観も支配下になるから、あそこにいる者は皆、あなた方に対する人質よ。憶えておいてね、ふふふふ」


 唐流嶬のしゆうとうな笑みに、鋼先はの表情を示した。


「はん、ハッタリは上手いな、褒めてやるよ。


 じゃあ何か、あんたらをうまく使える奴が、歴史で生き残れるとでも言いたいのか? 偉そうによ!」


「そうよ。まあ、誰を生き残らせるかを決めるのも、私たちだけど」


「なるほどな。宰相さえも手玉に取るんだから、自信もあるわけか。――だが見てろよ、今にぶっつぶしてやるからな!」


 息もえに言う鋼先を見て、唐流嶬は、からからと大笑いした。


「女に跨られて言うことなの、それが。今頃、らいせんたちは閻謬に殺されているわ。天魁星を持っているあなただけ助けてあげたのが、まだ分からないの?」



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