目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第三十五回 魯乗の奇妙な暴言




 そのとき、部屋の戸を激しく叩く音がした。


総輪そうりん、ご無事ですか。今、こうせんとその一味が、光彩楼こうさいろうしゅうげきしております。黄輪頭こうりんとうとうを倒し、この階へ近付いています」


 唐流嶬とうりゅうぎ怪訝けげんな顔をして、鋼先こうせんの上から降りる。そして少しだけ戸を開けて、手下の顔を見た。


しゅか。もう一度、正確に報告せよ」


 唐流嶬が言うと、朱差偉は緊張した声で繰り返した。


「はっ、ただいま、賀鋼先とその一味が本楼ほんろうを襲撃しています」


 唐流嶬は眉間にしわを寄せて、にらむ。


「賀鋼先は、今この部屋にいる。あとの連中は、黒輪こくりんそうで片付けたはず。もし逃れてここへ来たとしても、賀鋼先だけはいないはずだぞ」


 突きつけるように言われて、朱差偉はまどう。


「し、しかし、私も自分の目で見て報告しております。賀鋼先の他、その兄と女子二名、そして鳥がいました」


「本当か」


 唐流嶬は、疑うのをとどまった。この朱差偉は白輪はくりんの新しいとうに収まった者で、先代総輪せんだいそうりんの頃からのさんである。


「待て。いま、部屋にいる賀鋼先を見せる」


 唐流嶬は戸を開け放ち、裸のまま寝台しんだいを指さした。朱差偉は急なことに驚いたが、寝台を見て言う。


「……総輪、誰もおりませんが。一体、何が?」


 唐流嶬は上着を羽織はおりながら、寝台の周囲をのぞき込んだ。しかし、鋼先のいた位置には大きい枕があるだけで、人影は無い。


 そのとき、別な手下が報告に来た。


なんぐうふくそうが、賀鋼先らをむかとうとしています。総輪は、ひとまずお逃げくださいとのことです」


 唐流嶬は、目を閉じて頭を抱える。


「おかしい。賀鋼先はどこへ消えた。そうだ、きゅうがいを呼べ。賀鋼先を呼びに行ったのはあいつだった」


白輪頭はくりんとうは、まだ戻っていません。えいに残った者も」


 朱差偉が申し訳なさそうに言う。


 唐流嶬は、自分の頬を両手でピシャリと叩き、目を開けた。


「ふむ、奴らが何か仕掛けたようだな。わかった、私はここを出て、仇凱を探す。お前たちは胡湖ここを連れ出せ。奴らにがらを渡すな」


 てきぱきと指示して二人を行かせると、唐流嶬は扉を閉めた。そして壁に近付き、じくをよけてかくし扉を開ける。


「おい、俺はほったらかしかい」


 声に驚いて振り返ると、鋼先がにやにやして立っていた。


「どうもおかしい。お前の相手をするのはやめだ」


 唐流嶬は、そう割り切って抜け道を行こうとしたが、鋼先は手刀しゅとうで首を切る仕草をしながら言う。


「行きなよ。でも、せまそうな道だねえ。後ろから追っていったら、俺でも簡単に刺せそうだ」


「くっ……」


 唐流嶬は、悔しげに鋼先をにらむ。しかし、何だか鋼先の姿が、ずいぶんぼやけているように見えてきた。周囲の光景は普通なのに、鋼先だけが消えそうな感じに見える。そのうち、本当に消えた。


「何だ、どこへ行った、賀鋼先」


 唐流嶬が辺りを見回す。そのとき、別な声がした。


「ああ、もう無理じゃ! 疲れて集中力が持たん。鋼先、早く来ぬか!」


 唐流嶬は、後ずさりして警戒する。


「誰だ。……賀鋼先では、ないな。姿を現せ!」


 声が答えた。


「いやじゃよ。わしはりきなんじゃ。のこのこ出て行ったらやられるわい」


「老人の口調くちょう……きさま、『全不詳ぜんふしょう魯乗ろじょう』か!」


「ほっほ。しゃた異名をもらって照れるのう」


「喜ぶところか? きさま、何かしたな、私に」


 唐流嶬がいらついてきつもんしたが、魯乗の姿は現れず、声だけ続いた。


「いい夢見たじゃろう。色っぽかったぞ、お主。ふははは」


「ぬうっ!」


 唐流嶬は、見られていたと気付いて激怒した。棚に走り寄って匕首あいくちを手に取ると、家具を手当たり次第倒し始める。


「くそ、どこだ! 出てこい!」


 しかし、大小いくつもの家具を倒しても、魯乗の姿は無い。さすがに息切れした唐流嶬は、手を止めて休んだ。


「わかったぞ、魯乗。お前は、私をここにくぎけにしたいのか。そのためのちょうはつだな」


「いやいや、どうかのう」


 魯乗の声は、少し動揺どうようしていた。そのとき、どこかで陶器が音を立てる。


「おや、魯乗、まさか」


 唐流嶬はにやりと笑い、卓の上にあった急須きゅうすに歩み寄った。


「お前たちのことを調べていて、一番情報が少なかったのがお前だ、魯乗。常に頭巾で顔を隠しているというのが、あまりにも不自然だった」


 そして急須のふたを開ける。すると、中から黄色い煙のようなものが流れ出てきた。


「今やっと見当がついた。魯乗、お前は実体を持たない者だな。魔星に似ているが、それよりはるかに弱々しい。つまりお前は」


 唐流嶬は、回しりで急須を飛ばした。黄色い煙は、蹴りをかいくぐるようにして宙に舞い上がる。


魂魄こんぱくだけの存在、だな。だから顔を持たなかったのか」


 浮いている煙が、声を発した。


「は、さすがは魔星を手玉に取るだけのことはある。まさか見破られるとはのう」


 唐流嶬は、煙に匕首を向けて笑う。


「さて、そんな吹けば飛ぶような身で、何ができる?」


「や、やめてくれ。それ以上近付くな。傷が付いたら、魂魄は消えてしまうんじゃ」


 魯乗は哀願あいがんした。


ざまだな。何もできまい」


 唐流嶬は、さらににじり寄る。


「の、のう、勘弁してくれ。この通りじゃ」


 魯乗の声は弱々しい。


「どんな通りかな。よく見せてもらおうか」


 唐流嶬は匕首を振り上げる。


「あ、い、いや、ものの例えじゃよ。それ以上来ないでくれ」


 軽く首を振る唐流嶬。


「他も始末するのだ、急ぐ」


 ほとんど聞き取れない声の、魯乗が言った。


「うう。もう、こんな念動力ねんどうりきくらいしかできん。粗末ですまんのう」


 突然、唐流嶬が持っていた匕首が、急に彼女の手から離れた。そして高速で回転し、彼女の眼前がんぜんに飛んできた。


「ああっ!」


 きんけきれず、唐流嶬は頸動脈けいどうみゃくを切られて倒れた。首筋から血が大量にき出す。


「な、なんだと……!」


 なんとか立ち上がろうと身体に力を込めるも、さらに血が流れ、ついに意識を失った。


「くう、な、なんとか一撃じゃ。……しかし、わしにここまで捨て身を強いるとは、鋼先の奴、きついさくを出しよるわ」


 魯乗の魂魄は、そうつぶやいてぽとりと床に落ち、大きな綿ゴミのようなまま、動かなくなってしまった。




 ◇




 鋼先の策とはどのようなものであったのか。ここで、仇凱がやってきたところまで話を戻そう。




「鋼先に、一人で来いってさ。仇凱ってのが」


 どくすい収星陣しゅうせいじんに取り次ぐと、鋼先は膝を打って立ち上がった。


「あの色男か。ようやく来たな」


 にやにやしている鋼先に、雷先が言った。


「胡湖を人質にされて、こっちはそうとうだぞ。どうして笑っていられるんだ」


「不利だからこそだよ。一気に光彩楼に乗り込んで、唐流嶬たちを収星してやるこうだ。みんな、出るぜ」


 しかし、独孤雨水が止める。


「でも、鋼先ひとりしか出ちゃいけないって。あたしたちには動くなと」


 すると鋼先は、片目をつぶって


「心配ない、俺以外は魯乗の幻術で隠す。そのまま光彩楼に入って、魯乗は唐流嶬を幻影で足止めする。そのすきに俺たちは胡湖を救い出し、鉄車輪てつしゃりんしゅうせいだ」


 と作戦を話した。


 だが、かなめとなるはずの魯乗が、落ち着きなく手を震わせている。


「しかしなあ鋼先、そんなに長い時間、幻術を続けたことはないんじゃ。どこまで持つか保証できんぞ」


「そうかい。やらなきゃ全員死ぬぜ」


 鋼先は淡淡たんたんと言う。皆の視線が魯乗に集まった。


 魯乗はもう自棄やけになって、ばさばさと手を振る。


「ええい、やればいいんじゃろ! でも、なるべく早く迎えに来てくれよ。お主のモノマネ難しいんじゃからな!」


 珍しく緊張している魯乗がおかしくて、一同は笑いながら立ち上がった。


「ここまで来たら、いちばちかだろ。うまく行ったら祝賀会だ、月光楼でな」


 鋼先はそう言って、片目をつぶった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?