迷路の部屋に、
「すべての扉に鍵をかけました。あなたは絶対に逃がしません」
「そうか。だが、お前を倒し、鍵を壊せば済むこと。――それにしても『
南宮車は、そう言って感心する。太守として胡湖に会ったときは、両親の死にただ泣くばかりの
「三日? 女は一日です」
胡湖が、短い返事を吐き捨てる。
南宮車は
「そうだ思い出したぞ、お前の両親を殺した日のことを」
胡湖の表情が、
「魔星を持った娘がいるという報告が入った。ただ
南宮車は、してやったりの顔で笑う。胡湖は、うつむいてわなわなと震えていた。
「万一の保証契約も結んでいたから、父は安心していました。でも、それも!」
「そう、その契約も、複雑な
「よくそこまでひどいことができますね……!」
顔を上げた胡湖の頬に、怒りの涙が流れていた。しかし南宮車は、誉められたかのように
「簡単に殺せるはずだったが、夫人はともかく、
「もういいです、だまりなさい……!」
これ以上掘り返させようとしない胡湖だったが、それを
「そのとき、私が近隣にいたので、
南宮車は、高らかに笑った。
胡湖は、歯も
南宮車も、もう一本の
「この部屋で私に勝てる者はいない。胡湖、お前は
胡湖は、答えなかった。その代わり歩を進めて刀を振る。
しかし、南宮車はいとも簡単に受け止めた。そして拐を振り払い、鼻で笑う。
「魔星の生まれ変わりが、そんな
胡湖は素早く左右の刀を振る。南宮車は、受けずに身を
「ほう、やはりな。だが、私を倒すには
南宮車は毒のこもった笑いをした。しかし、胡湖は冷たく言い放つ。
「お断りします。片腕では、指導も難しいでしょうから」
「誰が片腕だ?」
南宮車は思わず自分の腕を見た。
左腕の肘から下が、斬られて落ちている。
「こ、これは! きさま!」
南宮車は、斬られた腕を押さえながら叫ぶ。
「右目は
胡湖は南宮車の右側に突きかかった。南宮車は慌てて受け流す。胡湖は左右の連続突きを繰り出し、その速さは次第に増していく。南宮車は片手で必死に受けたが、とうとう火が
「胡湖、やめろ! このままでは二人とも焼け死ぬぞ」
南宮車は悲鳴を上げる。しかし胡湖の刀は止まらなかった。
「ならば早く私を殺しなさい。この部屋では無敵なんでしょう」
「くそ……!」
「でも今は、この部屋も私の武器です」
胡湖はそう言ってほほ笑み、南宮車の足下を斬りにかかる。しかし、南宮車は軽く跳躍したかと思うと、両脚を空中に踊らせて胡湖の刀を
「しまった」
うろたえる胡湖の
「動きを封じるために、足を狙うと思っていたよ。素質はあっても、経験が少ないのが悲しいところだな」
胡湖は首を
「もう限界だな。ここを出なくては」
そのとき胡湖は、再び腰に手を回し、二本の
「なにっ」
そして、床に着くのと同時に、南宮車の両足首を斬り飛ばした。
「ぐっ! きさまぁっ!」
南宮車は
「ぐおっ、ぐああああっ!」
猛獣のような叫びと共に、血まみれの巨体はのたうち回った。
そこから離れながら、胡湖は火の回った上着を脱ぎ捨てる。刺繍の海棠が、風に散るように舞った。
一番近くの扉にたどり着き、
ふと、胡湖の背中に、急激な痛みが走った。
顔をしかめて振り向くと、何かが刺さっている。
火だるまのまま、
「まだ、動けたのですか……!」
南宮車は、膝で歩いていた。血の
背部の激痛に少し遅れて、胡湖は嫌なめまいを感じた。毒が
南宮車は拐を放すと、
「ひとりでは……死なんぞ……!」
南宮車の笑いが、
◇
「
李秀が声をかけた。雷先は鋼先を下ろしながら首を振る。
「生きてはいるが、毒にやられた。早く手当てをしないと」
鋼先の頬に「
少しして落ち着いたが、鋼先はまだ起き上がれず、声も出せない。胡湖のことを伝えたかったが、それもままならなかった。
雷先が、周囲を見て言った。
「
李秀が
「それが、翼が折れてるのに無理して飛んでいっちゃったのよ」
すると萍鶴が指さして言った。
「見て、帰ってきたわ」
百威はよたよたと飛びながら地面に降りてきた。その足には、
「何だ、その急須は。
すると急須から声が聞こえた。
「おい雷先、触るなよ。わしが入っている」
雷先たちは驚いて、急須に近寄る。
「
「前に言ったことがあるじゃろう、わしは本当は実体を持たない、
「その唐流嶬はどうなった、魯乗」
雷先が訊く。すると、急須からため息が吐き出された。
「
「じゃあ、やっつけたの?」
李秀が身を乗り出す。
「いや、それがな」
――魯乗はそのとき、綿ゴミのように床に落ちたまま動けなかった。ふと、床が熱くなってきたのを感じ、同時に煙の臭いに気付いた。
「いかん、火を付けたか。鋼先、そこまでやるとは聞いておらんぞ。わしは動けないんじゃ、早く来てくれ」
風向きのせいか、火はあっという間に部屋に回ってきた。魯乗がさらに
「あ、あれは……!」
入ってきたのは、
「
唐流嶬は血まみれの顔で目を開き、
「おお、閻謬。どうしてここに」
「仕掛けはわかりませんが、賀鋼先に謀られました。急いで戻ってみたら、楼が燃えていたのです」
「く、火まで付けられたか。閻謬、急いで出よう。
すると閻謬は力無く首を振り、
「ここに来る途中で、仇凱の
唐流嶬は、それを聞いて短く
「……そうだったか」
唐流嶬はそれだけ言って、目を閉じた。
炎が強くなりつつある。閻謬は唐流嶬を背負うと、入ってきた窓から飛び出して行った。――
「惜しかったな」
話を聞いて、雷先が拳を
「それはそうと、お主らは南宮車を倒したんじゃな? 胡湖はどうした?」
魯乗に言われて、雷先が答える。
「そうだ、胡湖が遅いな。後から逃げると言って、俺たちを逃がしてくれたのに」
「逃げたのか? 南宮車には勝てなんだか」
雷先は、ため息をついて頷く。
「残念だが、俺たちでは歯が立たなかった。すんでのところで胡湖が現れて、逃がしてくれたんだ」
「でも不思議よね。まるで、あたしたちが戦っているのを知ってるみたいだった」
首を
「みたい、じゃないぜ、李秀」
「えっ? 鋼先、どういう意味?」
鋼先は言葉で答えず、光彩楼を指さした。大きく燃え上がる
「あれは?」
萍鶴が筆を構える。しかし鋼先は手で制した。
その二人が、
「胡湖、無事だったか。心配したぞ」
歓迎するように両手を広げた雷先に、しかし彼女は近づくのをやめた。不思議そうな雷先の目を見て、彼女は顔を伏せる。
「兄貴、違うんだよ」
鋼先も、目を伏せながら彼女の胸元を指さした。鎧の
「どういうことなの、胡湖。あなたでしょう? その顔は」
李秀が、彼女の肩をつかむ。互いに震えていた。
「李秀さん。……この身を
「胡湖!」
李秀は涙を流す。
鋼先は、何も言えずに
泣いている李秀の肩に、彼女がそっと手を置いた。
「ごめんなさい。もう、胡湖ではないんです。私は、地急星です。……この姿に戻って、思い出したことがあります。
みんなで天界を抜け出して、私もいろんな生活をした後、子供が生まれなくて悩んでいる夫婦を見たんです。なんとかしてあげたくなって、私は奥さんのお腹に入って行きました。
そこから記憶は無くなって、私は胡家の娘として産まれました。父も母もとても喜んでくれて、私は大切に、幸せに育てられて来たんです。
……この一家の最後は、とてもつらいことになってはしまったけれど、それでも私は、人間として充実した毎日を送ることができて、本当に良かったです。
天界の、終わらない命のなかでは、すべてがぞんざいで、何かを大切に感じることなどなかった。
しかし人間は、限りある命だからこそ、一日一日を大事にして、後悔のないように生きていく。そのために、がんばる。
いつかは失われていくからこそ、心には刻みつけられて、大切に残る。終わりがあるって、とても素晴らしいことなんだ。
それを、しっかりと学びました。
竜虎山に行ったら、兄弟たちにも、このことを伝えたいと思います。
だから、悲しまないでください。
ありがとう、
李秀さん、
そして、皆さん」
そう言った。
しかし、地急星もやはり涙を流し、声を上げた。
後ろにいた
◇
その日の夜。
南側の
「
一同は驚いたが、
「ありがとう。だが、鉄車輪はまだ生きている。唐流嶬が回復する前に、また梁山に戻るよ」
それを聞いた独孤雨水が、ふと足を止めた。
「鋼先。胡湖ちゃんは、まだ捕まってるのかい」
全員が、思わず立ち止まった。誰も、独孤雨水の顔を見ることができない。
独孤雨水が、悲しい目で頷いた。
「そうか。胡湖ちゃんは、死んだんだね」
雷先が首を振る。
「いや、地急星に戻りはしたが、記憶はちゃんとある。収星して
独孤雨水は、力無くほほ笑んだ。
「あたしはね。胡湖ちゃんが一緒なら、このままあんたたちと行こうと思ってた。魔星として死ぬのを待たれる人生なんて、つらいだろうからね。どこで暮らすにしても、あの子のそばにいてあげたくなったんだよ」
「そうか」
鋼先が、軽く礼をした。
「でも、あたしも地孤星を失って、
「そうか」
独孤雨水は、
「鳥ちゃんの羽だ。あのとき作った分の余りだけど、補修に使える。大事にしてくれ」
そう言って、背を向けると、夜の闇の中へ歩いて行く。
鋼先が声をかけた。
「ありがとう、世話になった。元気でな」
独孤雨水は、振り返らずに手を振りながら言った。
「あんたたちもね。誰も死ぬんじゃないよ。全部終わったら、また風呂に入りにおいで」