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第三十九回 総輪の秘策




 光彩楼こうさいろうは火災で激しく燃え、隣接りんせつする月光楼げっこうろうにも少なくないえんしょうを出した。加えて鄆州太守うんしゅうたいしゅ南宮車なんぐうしゃも死亡したので、りょうざんの街は混乱状態になっている。


 唐流嶬とうりゅうぎえんびゅうに命じ、自分を梁山の南にあるきょという地に運ばせた。同時に鉄車輪てつしゃりん残党ざんとうを集め、今後の対策を立てる。巨野には鄆州の倉庫があり、それは南宮車の手引きによって鉄車輪のかくとなっていたのである。




 ぶんえいは、その倉庫に呼び出されてやってきた。食事として大量のパオ(肉まん)が出されたので、どんどん食べた。


「久しぶりだな、小父おじ。そんなものしか出せなくてすまない」


「食えるなら何でも構わん。りょうくんじょう、いや、今は唐流嶬か。元気か」


 それを聞いた唐流嶬は、かぼそい声で笑い、包帯を巻いた首を押さえながらき込む。


「……元気なものか。話すのもつらいくらいだ」


 しかし呉文榮は、無表情のまま言う。


「そこまでして拙者せっしゃに用とは、何だ」


 唐流嶬は、ゆっくりと拝礼はいれいをした。


「小父、どうか力を貸してほしい。こうせんたち収星陣しゅうせいじんを、始末するために」


 それを聞いて、呉文榮は吹き出して笑った。


「何をいうかと思えば。お前たちが、あんな素人しろうとに苦戦するものか。みょうな芝居はよせ、拙者はもう鉄車輪に加わる気はない」


 唐流嶬は、椅子に身を沈めたまま言う。


「それがな。すでにきゅうがいいく南宮車なんぐうしゃを討たれ、こうりんの二人は魔星を奪われた。今までにない損失をこうむっている」


 呉文榮は、驚いて椅子を立つ。


「南宮車までやられたのか? 馬鹿な。奴らの中にそんな猛者もさはおらんぞ」


 唐流嶬は首を振った。


「南宮車を倒したのは、こちらで子飼こがいにしようとしていたむすめだ。一緒に焼死体しょうしたいが見つかった。……いや、そんなことはいい」


「焼死体? 光彩楼が火事になったと噂を聞いたが、本当だったのか」


「光彩楼はぜんしょう、月光楼も一部焼失いちぶしょうしつした。我々は本拠を失い、輪員りんいんもばらばらになっている。州の太守だった南宮車が死んだせいで、黄輪が築いてきた金融経路も麻痺した」


「だからこの倉庫にいるのか」


青輪せいりん密輸用みつゆよう倉庫だ。だがおそらくここも知られているだろう。仇凱が、墨で真っ黒な顔になって死んでいた。すべてをはくじょうさせられたかもしれぬ」


「墨……。おうへいかくか」


 呉文榮がうなる。唐流嶬はうなずいた。


「小父、鉄車輪に来てくれないか。あなたが賀鋼先のてんかいせいを狙っているのは、知っている。それをやろう」


 それを聞いて、呉文榮の眉がぴくりと動く。


「確かに、狙ってはいるがな。ただ、お前が『あれ』を始末してくれないから、拙者は魔星を集めているのだぞ。そこの因縁を、忘れたとは言わさぬ」


 すると、唐流嶬はむっとして、呉文榮をにらみ返した。


「あのときは、ああするのが精一杯だった。だいたい、先に失敗したのは小父ではないか! 勝手に逃げおって。私がどんな思いで『封印』したか、あなたに解るか!」


 そう言って、唐流嶬は立ち上がろうとした。しかし、


「ううっ」


 すぐに目眩がして、唐流嶬は椅子に倒れ込む。呉文榮が、はっとして言った。


「すまん、興奮させる気はなかった。……とにかく養生しろ、その問題はまた今度だ」


 すると、唐流嶬は、すがるように手を伸ばし、


「お願いだ小父、鉄車輪のしゅりょうになってほしい。このままでは霧消むしょうしてしまう。その代わり、あの封印はあなたにたくそう。首領になるのは、私が閻謬に引きがせるあいだだけでいい。長くはない」


 せわしなく言い、唐流嶬は咳き込んだ。呉文榮がのぞき込む。


「長くないとは、まさか」


 唐流嶬は、冷や汗をかいていた。


魯乗ろじょうにやられ、出血がひどかった。ゆっくり養生するもない」


 それを聞いた呉文榮は、苦渋くじゅうの顔をする。


「……お前のことは気の毒だが、拙者にはこんな手広い組織は無理だ。帰る」


「小父!」


「許せ、稜薫」


 呉文榮は、強引に振り切って倉庫を出て行った。


 しょうちんしている唐流嶬に、しゆが茶を出す。


 唐流嶬は震える手でそれを飲むと、大きく息をつき、言った。


「やはり、小父への切り札として封印を持ち出すのは、無理があったか。――朱差偉、祝月下しゅくげっかを呼べ。別の使い方をするしかない」


青輪頭せいりんとうをですか。はい、しばらくお待ちください」


 朱差偉は、足早あしばやに出て行った。少しして、知的な女性を連れて戻る。


「祝月下、来てくれたか。急ですまないな」


 立ち上がろうとした唐流嶬を、彼女は押しとどめる。


「ご無理なさらず。ご用とは、何でしょう?」


 青輪は、うんを担当している。ぶっ運搬うんぱんのほか、鉄車輪が始末した遺体を処理したり、脱獄だつごくさせた人物をそうしたりする、裏方うらかたの部門であった。


 唐流嶬は言った。


「ゆっくりと会議をする時間がなくてすまない。先だって書面でも伝えたが、鉄車輪の人事異動を行う。


 ――まず、私の怪我は軽くない。よって、総輪からはいち退く」


「なんと。やはりそうなのですか」


 祝月下と朱差偉は同時に驚く。唐流嶬は頷いた。


「いずれ回復を待って復帰もしよう。その間、梁山に戻って来たごう殿どのを仮の総輪に迎えたかったが、今さっききっぱりと断られた」


 唐流嶬は寂しそうに笑う。しゅくしゅ両名は、心中を察したようにうつむいた。


「そこで、そうりんだいこうとして閻謬を推薦する。――もちろん、お前たちのこともこうりょに入れた。しかし、今の鉄車輪は崩れかけで、目下の敵を倒すことが優先だ。攻めにひいでた者に、総輪を任せたい」


「ごもっともであります」


 両名が礼で答える。唐流嶬は頷き、


「了承、感謝する。また、通達に書いたとおり、朱差偉ははくりんとうに、ここにはいないがこうはくりんとうに、それぞれ昇格とした。祝月下にはいずれ副総になってもらいたいが、今は青輪頭のままで頼む。――せいりんとうも優秀だが、書類を書けない奴がりんとうでは不便でな」


「そこは仕方ありません」


 祝月下は、苦笑して答えた。朱差偉も笑っている。


「さて、組織図はこれでよしとする。ここから先は、書面にも書かなかったことだ。よく聞いてくれ」 


 唐流嶬は、今度は感情のまったく無い目で言った。


「祝月下、黒輪こくりんとうを運んで来て欲しい。できるだけ、早く」


 祝月下は驚いて、


「よろしいのですか。使うことは無いとおっしゃっていましたのに」


「最後まで迷った。だがこちらの構成員がここまで減ったのでは、やはりやむを得ん」


「黒輪員を全て使えば、賀鋼先らを追い詰めるには足りるでしょう」


 唐流嶬は首を振り、


「魯乗の幻術、あれを考慮こうりょすると、人数がいても当てにできない。だが黒輪次頭たちなら、幻術も効くまい。仇凱がいろいろな情報を漏らしてしまったが、黒輪次頭の問題は仇凱が入る前の事で、彼も知らなかったことだ」


「はあ……」


 それを聞いた祝月下は、一度は頷いたものの、別な困惑を顔にたたえて言った。


「総輪、一人の年長者として、忠告します。その手段はお止めになった方が。そこまで人倫じんりんないがしろにするのもどうかと……」


 だが、唐流嶬はきちんと礼をして、


しゅくしゃ、私も苦しんで選んだ答えだ。理解していただきたい」


 と答える。祝月下は少し間を置くと、何も言わず静かに座った。


 唐流嶬はぱっと明るい顔になり、


「それに所詮しょせん、人倫とは対極の家業だ。鬼に成り切った方が、先代にもかえって褒められるかもしれぬよ」


 と言って、高く乾いた笑い声を放った。


 その笑いが収まってから、祝月下は額の汗をぬぐう。


「……お話を進めます。黒輪次頭は、確かに戦力としては絶大です。それに頼らざるを得ないことは承知しました。が、事後のしゅうしゅうをいかがするおつもりです?」


 と言い、憂い顔をする。


 唐流嶬は、少し考えて


「――ならば、今回の出動を、黒輪次頭最後の任務とする。黒輪員を全て出し、とおきにはいすれば、しゅうげき助成じょせいにもなろう。事が成れば、朝を待って『処分』する」


 祝月下は、曇らせた顔のまま頷いた。


「そこまでお覚悟されたのであれば、私も納得して運び出せます。外に次頭がおりますから、すぐに」




 ◇




 こうせんたちはとりあえずりょうざん郊外こうがいで宿を取り、戦いで傷ついた身体を休めた。さいわい、へいかく飛墨顕字象ひぼくけんじしょうにより治すことができたので、皆すぐに動けるようになった。


 しかし、魯乗だけは煙のようなこんぱくなので、飛墨を用いることができない。そのため、魯乗の疲労がえるまで、数日をようすることとなった。




 そんなある日、朔月鏡さくげつきょうを見てらいせんが叫んだ。


「おい、見てくれ、これは本当だろうか」


「どうした、兄貴?」


 しかし、鋼先たちも朔月鏡を見て、驚きの声を上げる。


「あっ。あんせいしゅうせいされてるぞ」


てんそくせいまんせいも。きっと、竜虎山りゅうこざんに着いたんだね」


あんの星にはわなかった。……雷先、良かったわね」


「キィッ」


「ああ、これで胸のつかえが取れた。鋼先、お前がてんかせてくれたおかげだ。ありがとう」


「なに、礼なら六合りくごうさんに言ってくれ。とにかく安心だな」


 ひとしきり喜びあった後、鋼先たちは、仇凱から聞き出した情報をもとに、鉄車輪の残党を討つ手立てを相談した。


「運輸担当の青輪、軍隊とつながっている赤輪せきりん、そして一番厄介な、暗殺の黒輪。唐流嶬も生きているようだし、実際、まだまだ俺たちは不利なままだ」


 鋼先が苦々しく言った。


「赤輪はどんな役割をしてるの?」


 李秀りしゅうが問う。


「鄆州のだんれん使(軍の調練指揮官)が赤輪頭、ふく使が次頭だ。兵士の中から使えそうな奴を見出し、黒輪や白輪に引き抜く母体になっている」


「軍から補充ほじゅうしてるんだ。それじゃ、いくらやっつけてもきりがないね」


 そう言って李秀は少し考え、


「あたし、梁山に戻って様子を見てくる。指名手配のにんそうきも、がしてくるよ」


 と告げる。鋼先たちは、不安げな顔を見合わせた。


「私も行くわ。一人では危険でしょう」


 萍鶴が立ち上がったが、李秀は手で制する。


「萍鶴はここにいて。魯乗が眠ってる今は、あんたの飛墨がないと、大勢が来たときに危険だから」


「そうね。わかったわ」


 萍鶴は頷いて、静かに座る。代わりに鋼先が立った。


「だが、一人の偵察ていさつは危険だぞ」


「じゃあ、百威ひゃくいを連れて行く。なるべく早く戻るから」




 夕方、李秀は鄆州へ入った。百威は上空から李秀を見守る。


 李秀は街を歩き、人相書きを探す。しかし、あちこちに破れあとだけが残り、どれも取り去られていた。


「誰かが剥がしてくれたんだ。すいさんかな。とにかく助かるよ」


 足早あしばやに歩きながら、李秀は胸をなで下ろした。だが、急に腕をつかまれる。


「お前、人相書きの娘だな。最近剥がされているんで変だと思っていたが、お前のわざか。こっちへ来い!」


「えっ、ちょっと、違うわよ」


 それは、年老いた兵士だった。李秀は何をいう間もなく、引きずられて行く。発見した百威は、慌てて後を追った。


 李秀はそのまま練兵場れんぺいじょうに連れて行かれ、軍司令官ぐんしれいかんの部屋に入った。中にいた二人の軍人が彼女を見て驚き、訊ねる。


「その娘を、どこで見つけた」


 老兵士は背筋を伸ばして答えた。


「城門付近をうろついていました。人相書きの少女かと思いまして」


「ああ、そのようだ。まだ仲間がいるかもしれん、お前は警備に戻れ」


 老兵士は礼をして部屋を出る。李秀は両手を広げて、必死に弁解べんかいした。


「ちょっと聞いてください。あの人相書きは、ぎぬなんです。あたしたちは誰も殺してなんかいません」


 二人がぎろりとにらむ。


「そうか。では、南宮車副総なんぐうしゃふくそうを殺したのは誰かな」


仇凱白輪頭きゅうがいはくりんとうもな」


「それも厳密げんみつには……えっ?」


 李秀は思わず後ずさる。二人が立ち上がった。


「運が悪かったな、短双戟たんそうげきの李秀。俺は鄆州団練使にして鉄車輪の赤輪頭、山礼汎さんれいはん


「団練副使、赤輪次頭、孔緒こうしょだ」


 二人は壁に掛けられた刀を取り、さやを払う。


「軍人二人か、ちょっとやばそうね。でも、魔星は見逃せない!」


 李秀は苦笑して身をかがめ、卓の下にもぐった。巨体の二人は、思うように追えない。


「孔緒、兵を集めろ。この小娘を生け捕る」


「は、承知!」


 しかし李秀は、扉に向かう孔緒に先回りして立ちはだかった。


「ちょっと。いくらあんたたちが卑怯ひきょうな鉄車輪だからって、小娘ひとりに兵隊集めるの? 笑われない?」


「ぐっ……!」


 李秀の挑発に、山礼汎は怒りを見せる。


「言ってくれたな。いいだろう、俺たち二人で充分だ!」


「あのね、おじさん。一人じゃ何にもできないの?」


 李秀はあきれたが、二人は同時に襲いかかってきた。

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