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第四十六回 小さな終わりと大きな始まり




 馬車を降りたこうせんは、月光楼げっこうろうの番頭に、唐流嶬とうりゅうぎのことを訊ねた。


「いますよ。光彩楼こうさいろう再建中さいけんちゅうなんで、月光楼の一角いっかくに。火事のときに怪我をして、まだ調子は悪いみたいですが」


「らしいね。お手数だが、こうせんが見舞いに来たと伝えてくれないか」




 机を挟んで座ると、鋼先は「土産だ」と菓子を置いた。


 唐流嶬は、いきなり笑い出す。


「どうやら今度は本物のようだな。魯乗ろじょうの幻術なら、もっとわかりにくく来るはずだ。敵に見舞いだなんて、キザが過ぎるぞ」


「俺は、あんたのことを敵だとは思ってないぜ」


 鋼先は、薄く笑う。


「ほう。どういう意味だ」


「単なる邪魔だ」


「言ってくれるな」


 唐流嶬の笑顔が凍りついた。鋼先はとくな顔をする。


「そういえば、幻術の俺は、あんたと寝たらしいな?」


 鋼先は、魯乗の話を蒸し返した。唐流嶬の顔がさっとけわしくなる。


「貴様、ちょうはつに来たのか」


 鋼先は慌てて手を振り、


「そうじゃない、どうしてそんなことをしたのか、知りたかったんだ」


 唐流嶬は、怒った目を閉じて、椅子の背もたれに寄りかかる。


「……私は、子を成したかったのだ。できるだけ優秀な子を」


「俺の種を、優秀と言ってくれるのか。光栄だが、迷惑だな。お前の後継者こうけいしゃになるんだろう、その子供は」


ろんだ。鉄車輪をひきいるには、優れた統率力が要る。お前からそれを受けぎたかった」


 鋼先はわるげに肩をすくめる。


「別に俺じゃなくてもいいだろう。えんびゅうとか」


「お前、失礼だぞ」


「何が失礼だ。部下とくっつくのは嫌か?」


「閻謬は女だ」


「えっ、気が付かなかった。失礼」


 鋼先は、思わずびる。唐流嶬は笑った。


きゅうがいと閻謬は恋仲こいなかだったのだ。それをお前たちがいた。罪深つみぶかいぞ」


「知るか。その口で罪とか言うな」


 唐流嶬の笑いが苦笑に変わる。


「お前はどうなのだ、賀鋼先。可愛らしいむすめを二人も連れて」


「ああ、二人とも可愛いな」


 鋼先はぶっきらぼうに言った。唐流嶬が、のぞき込んで笑う。


「しらばっくれるな。どちらと寝たいのか、と訊いているのだ」


「両方だよ」


 鋼先が自嘲じちょうの笑いになった。唐流嶬は分かった、と笑う。


「まあ、下世話げせわな話はいい。これからの時代、鉄車輪は忙しくなる。天下は荒れ、力のある者が割拠かっきょしてけんを争うだろう。権力者たちは、自分の邪魔者を消すために、鉄車輪を使う。我々はそれをぎゃくようして、真に天下を治めるにふさわしい者へ力を集める。世の混乱をしゅうようするのが鉄車輪の役目だ」


「勝手にやってるがいいさ。だが、俺たちや魔星を巻き込むな」


 鋼先が、吐き捨てるように言う。


「お前ほどの傑物が、ただ時代に流されて行くのは惜しい。自分の力をもっと発揮したいとは思わないか?」


 唐流嶬は、乱世の群雄のような言葉で鋼先を誘った。


「そんなものに興味はない、ただ気楽に暮らしていたかった。しかし、俺たちを利用して何かを企んでいる奴がいる。それが誰かを突き止めて、粉微塵こなみじんに打ち破って、ざまあみろと言ってやりたいな」


 すると、唐流嶬は姿勢を正して表情を改めた。


「なるほどな。仲間も連れずにここに来た理由は、そこに関係がありそうだな」


 鋼先ははっとして、自分も姿勢を正す。そして言った。


「唐流嶬、お前は魔星のあつかいに詳しいだろう。てんかいせいが、俺にどう影響しているのか、お前なら分かるか?」


 それを聞いて、唐流嶬は目を細める。


「なるほど。魔星の先輩として訪ねて来たのか」


「ああ。だから、皆には内緒ないしょで来た」


「で、いきなりでは訊きにくいから、照れ隠しで口論こうろんを仕掛けたのか」


 唐流嶬は口をかくしてくっくと笑う。ぼしを突かれて鋼先も赤面せきめんした。


「まったく大胆だな。やはり好きだよ、お前みたいな男」


「いや、分かるのか、どうなんだ?」


 鋼先が必死になってみせると、唐流嶬は、遠くから近くから、まじまじと鋼先をる。そして言った。


融合ゆうごうが強くなりつつある。だが支配されることはない。当然だがな」


「なぜ当然と言える?」


「お前に入っているのは、天魁星の半分。全体ではない」


「なんだって?」


 しかし、唐流嶬は話をそこで打ち切った。


「続きを教えて欲しければ、私とまじわれ、賀鋼先」


 妖艶ようえんな目が、鋼先をさそう。鋼先は立ち上がった。


「じゃあ結構だ。心ばかりのお礼に、収星してやるよ」


 そう言って追魔剣をさやから抜く。


「やはり最後はそう来たか。いくら手負ておいでも、お前には負けん」


 唐流嶬は笑って立ち上がり、髪に差したかんざしの、三本のうち一本を抜いて構えた。


 鋼先の、神出鬼没とは程遠い酔剣すいけん。唐流嶬は鼻で笑いながら、簪で剣先を弾き、軽々とかわしている。


 それでも鋼先は、かんに攻め続けた。唐流嶬が、呆れて首を振る。


「そんなえんかいげいみたいなけんで倒せるつもりか。泣けてくるな」


 そう言って、不意に簪を投げた。


「うっ!」


 簪は矢のように右肩に突き刺さり、鋼先の手から追魔剣が落ちる。


 唐流嶬はすかさずもう一本投げる。


 右の腿に刺さった。


「ぐあっ!」


 もう一本、最後の簪を抜く。


 唐流嶬の髪が、ざらっと解けた。


 投げる。


 左の肘に突き立つ。


「……!」


 鋼先は、激痛に声も出ない。


 唐流嶬は、絞り出すように、ため息をついた。


「賀鋼先。お前のこと、しばらくは忘れないぞ。もっと違う出逢い方が、できればよかったかな。……さあ、これで終わりだ」


 そう言って、腰巻きのすそを大きくはだけると、腿に付けた革帯から、くしのようなひょう(手裏剣)を抜く。


 しかしそのとき、鋼先の懐から百威が飛び出した。


「ほう。やはり、いたか」


 察しがついていたのか、唐流嶬はひるまない。


 上体を反らし、猛禽もうきんの突撃を避ける。


 そして素早く、綾絹あやぎぬの上着を脱いだ。


 それをぱっと投げつける。


 百威は回避できず、あみのごとく包まれてしまった。


「キィッ!」


 高い一声。しかし、百威の声は、悲鳴ではなかった。


 いちばちかの、賭けに出た叫びである。


 包まれた中で、はがねの義翼を一振り。


 綾絹を裂いた。


 またも一振り。


 義翼を、胴から分離させて射出。


 そのまま落下する百威。


 翼は銀色に輝いて、唐流嶬の顔面を襲った。


「うっ」


 鋼先に向き直ろうとしていた唐流嶬は、重心が崩れた。


 それでも膝を曲げ、身を沈める。


 翼は、彼女の頭上を通過。


 するはずだった。


 しかし、翼は破裂して散開し、無数のじんと化す。


 急に広がった射程に、彼女は詰んだ。


 二発、額に命中。


 更に百威は、義足を振り抜いて射出した。


 これが、唐流嶬の首筋に鋭く突き立つ。


「ぬううっ!」


 唐流嶬は、刺さった爪を抜いた。すると、前に魯乗にやられた傷が、再び開いた。


 勢いよく血がき出す。


「あ、ああああっ!」


 唐流嶬がぜっきょうする。


 鋼先は、そのすきに床を転がり始めた。途中で追魔剣を拾い、立ち上がりざま、彼女の白い胸元に突き込む。


「あうっ!」


 唐流嶬が目をひらく。その身体が強く輝き、じんしょうが抜け出てきた。


「もっと早くに、誰かと逢うべきだったよ、お前は。――終わりだな、鉄車輪」


 倒れゆく唐流嶬に、鋼先はそう言った。そして、自身も床にへたり込む。


「何とかなったな。ありがとうよ、百威先生」


 鋼先は振り返って苦笑するが、片翼と片足を投資するハメになった百威は、仰向けでばたつきながら、叱りつけるようにえた。


 鋼先はあいわらいでびる。


「悪かったよ、うまい肉をご馳走するから勘弁な。それより今は、あいつを」


 そのとき突然、何者かが部屋に飛び込んで来た。


「賀鋼先、そこまでにしてくれ」


 鋼先は声の主を見る。


ぶんえい


 呉文榮は、倒れている唐流嶬に視線を向けて言った。


「彼女は、かなりすいじゃくしていた。意気いきは強いが、もう長くない」


 鋼先は頷き、てんこうせいに近寄る。


「やはりそうか。俺は、収星ができればそれでいい」


 天罡星が、不安げに鋼先を見た。


「いったい、私はどうなっていたんです?」


 鋼先は天罡星の肩を叩く。


「やっぱりお前も、ずっと眠っていたか。心配するな、兄弟たちが待っているから行け」


 そう言って、懐から朔月鏡を出して天罡星を吸い込んだ。


 鋼先は、呉文榮に向き直って言う。


「そうか、唐流嶬は師匠のむすめ。お前にとってもうちか」


 呉文榮は、しんみょうな顔で頷いた。


「師匠は、魔星にかれて鉄車輪をつくった。拙者せっしゃは反対だったのだ。ただの武術家であれば良いものを、へんくつな野心をおこして」


「たいそうな組織になっちまったな」


 鋼先が同情を示した。呉文榮は頷く。


 そのとき、しゅが駆け込んできた。


総輪そうりんきゅうほうです。あんろくざん挙兵きょへいしました。二十万の兵を率い、ぎょよう(北京)からちょうあんを目指して進軍しんぐんしています」


 唐流嶬は、目を覚ましてがばりと跳ね起きた。そして朱差偉をまじまじと見る。


「本当か、今の話は」


「間違いありません。表向きは、皇帝をあざむさいしょうを討つ、とごうしていますが、唐王朝とうおうちょうを奪うためのほんであることは明らかです」


「そうか、とうとう、ほうしたか」


 唐流嶬は、目を閉じてくくくと笑った。そして鋼先を見る。


「期限が来た。賀鋼先、さらばだ」


「どういう意味だ」


 鋼先がいぶかしむ。


「お前たちの殺害を依頼したのは、宰相の楊国忠ようこくちゅう。依頼内容は、魔星を封じている一団を抹殺、もしくはこの梁山に足止めすることで、期限が来れば終了する約束だった。安禄山がはんし、戦乱せんらんが始まるまで、と」


「戦乱……!」


 鋼先と呉文榮は、冷や汗をかいて唐流嶬を見た。


「なぜだ。宰相は何を考えてそんなことを?」


 鋼先が詰め寄る。


「そこまでは知らぬ。本人に訊いてみるがいい。楊国忠にも地賊星ちぞくせいが憑いている、何かたくらみがあるのだろう」


 唐流嶬はそう言って笑うが、首からの出血は止まらず、顔が青ざめていた。


「安禄山にも、魔星がいるのか?」


 鋼先が問うと、唐流嶬は頷いて、がくりとうなれた。


 呉文榮がそっと抱え起こす。


「おじょう、おい。おい!」


 細く呼吸はしているが、唐流嶬は目を覚まさない。


 呉文榮が、鋼先を振り返った。


「聞いたとおりだ。もう、鉄車輪はお前たちに関わらない。賀鋼先、りょうざんて」


 しかし、鋼先はじっと唐流嶬を見ている。


「そうするが、行く前に一言、胡湖への詫びが聞きたい。南宮車なんぐうしゃに殺された娘だ」


「……詫びなど、言わぬだろう。普通の人情を育むことのできなかった、哀れな女だ」


 呉文榮の肩が、震えていた。鋼先には、それだけで彼の気持ちが分かった。――唐流嶬を許さぬというなら、致し方ない。だが、もう長くはない彼女を、ここで殺すのは止めてくれ――


「だろうな。言ってみただけさ」


 鋼先は寂寞せきばくの表情でそう言い、落ちた羽と義足を拾い集めてから、


「じゃあな」


 と月光楼を出た。百威は懐で不貞寝ふてねしている。


 宿へ帰りながら、鋼先は冷や汗をかきながらつぶやいた。


「安禄山が挙兵だと。こいつは結構、やばいことになったな」




(第三部 完)

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