馬車を降りた
「いますよ。
「らしいね。お手数だが、
机を挟んで座ると、鋼先は「土産だ」と菓子を置いた。
唐流嶬は、いきなり笑い出す。
「どうやら今度は本物のようだな。
「俺は、あんたのことを敵だとは思ってないぜ」
鋼先は、薄く笑う。
「ほう。どういう意味だ」
「単なる邪魔だ」
「言ってくれるな」
唐流嶬の笑顔が凍りついた。鋼先は
「そういえば、幻術の俺は、あんたと寝たらしいな?」
鋼先は、魯乗の話を蒸し返した。唐流嶬の顔がさっと
「貴様、
鋼先は慌てて手を振り、
「そうじゃない、どうしてそんなことをしたのか、知りたかったんだ」
唐流嶬は、怒った目を閉じて、椅子の背もたれに寄りかかる。
「……私は、子を成したかったのだ。できるだけ優秀な子を」
「俺の種を、優秀と言ってくれるのか。光栄だが、迷惑だな。お前の
「
鋼先は
「別に俺じゃなくてもいいだろう。
「お前、失礼だぞ」
「何が失礼だ。部下とくっつくのは嫌か?」
「閻謬は女だ」
「えっ、気が付かなかった。失礼」
鋼先は、思わず
「
「知るか。その口で罪とか言うな」
唐流嶬の笑いが苦笑に変わる。
「お前はどうなのだ、賀鋼先。可愛らしい
「ああ、二人とも可愛いな」
鋼先はぶっきらぼうに言った。唐流嶬が、のぞき込んで笑う。
「しらばっくれるな。どちらと寝たいのか、と訊いているのだ」
「両方だよ」
鋼先が
「まあ、
「勝手にやってるがいいさ。だが、俺たちや魔星を巻き込むな」
鋼先が、吐き捨てるように言う。
「お前ほどの傑物が、ただ時代に流されて行くのは惜しい。自分の力をもっと発揮したいとは思わないか?」
唐流嶬は、乱世の群雄のような言葉で鋼先を誘った。
「そんなものに興味はない、ただ気楽に暮らしていたかった。しかし、俺たちを利用して何かを企んでいる奴がいる。それが誰かを突き止めて、
すると、唐流嶬は姿勢を正して表情を改めた。
「なるほどな。仲間も連れずにここに来た理由は、そこに関係がありそうだな」
鋼先ははっとして、自分も姿勢を正す。そして言った。
「唐流嶬、お前は魔星の
それを聞いて、唐流嶬は目を細める。
「なるほど。魔星の先輩として訪ねて来たのか」
「ああ。だから、皆には
「で、いきなりでは訊きにくいから、照れ隠しで
唐流嶬は口を
「まったく大胆だな。やはり好きだよ、お前みたいな男」
「いや、分かるのか、どうなんだ?」
鋼先が必死になってみせると、唐流嶬は、遠くから近くから、まじまじと鋼先を
「
「なぜ当然と言える?」
「お前に入っているのは、天魁星の半分。全体ではない」
「なんだって?」
しかし、唐流嶬は話をそこで打ち切った。
「続きを教えて欲しければ、私と
「じゃあ結構だ。心ばかりのお礼に、収星してやるよ」
そう言って追魔剣を
「やはり最後はそう来たか。いくら
唐流嶬は笑って立ち上がり、髪に差した
鋼先の、神出鬼没とは程遠い
それでも鋼先は、
「そんな
そう言って、不意に簪を投げた。
「うっ!」
簪は矢のように右肩に突き刺さり、鋼先の手から追魔剣が落ちる。
唐流嶬はすかさずもう一本投げる。
右の腿に刺さった。
「ぐあっ!」
もう一本、最後の簪を抜く。
唐流嶬の髪が、ざらっと解けた。
投げる。
左の肘に突き立つ。
「……!」
鋼先は、激痛に声も出ない。
唐流嶬は、絞り出すように、ため息をついた。
「賀鋼先。お前のこと、しばらくは忘れないぞ。もっと違う出逢い方が、できればよかったかな。……さあ、これで終わりだ」
そう言って、腰巻きの
しかしそのとき、鋼先の懐から百威が飛び出した。
「ほう。やはり、いたか」
察しがついていたのか、唐流嶬は
上体を反らし、
そして素早く、
それをぱっと投げつける。
百威は回避できず、
「キィッ!」
高い一声。しかし、百威の声は、悲鳴ではなかった。
包まれた中で、
綾絹を裂いた。
またも一振り。
義翼を、胴から分離させて射出。
そのまま落下する百威。
翼は銀色に輝いて、唐流嶬の顔面を襲った。
「うっ」
鋼先に向き直ろうとしていた唐流嶬は、重心が崩れた。
それでも膝を曲げ、身を沈める。
翼は、彼女の頭上を通過。
するはずだった。
しかし、翼は破裂して散開し、無数の
急に広がった射程に、彼女は詰んだ。
二発、額に命中。
更に百威は、義足を振り抜いて射出した。
これが、唐流嶬の首筋に鋭く突き立つ。
「ぬううっ!」
唐流嶬は、刺さった爪を抜いた。すると、前に魯乗にやられた傷が、再び開いた。
勢いよく血が
「あ、ああああっ!」
唐流嶬が
鋼先は、その
「あうっ!」
唐流嶬が目を
「もっと早くに、誰かと逢うべきだったよ、お前は。――終わりだな、鉄車輪」
倒れゆく唐流嶬に、鋼先はそう言った。そして、自身も床にへたり込む。
「何とかなったな。ありがとうよ、百威先生」
鋼先は振り返って苦笑するが、片翼と片足を投資するハメになった百威は、仰向けでばたつきながら、叱りつけるように
鋼先は
「悪かったよ、うまい肉をご馳走するから勘弁な。それより今は、あいつを」
そのとき突然、何者かが部屋に飛び込んで来た。
「賀鋼先、そこまでにしてくれ」
鋼先は声の主を見る。
「
呉文榮は、倒れている唐流嶬に視線を向けて言った。
「彼女は、かなり
鋼先は頷き、
「やはりそうか。俺は、収星ができればそれでいい」
天罡星が、不安げに鋼先を見た。
「いったい、私はどうなっていたんです?」
鋼先は天罡星の肩を叩く。
「やっぱりお前も、ずっと眠っていたか。心配するな、兄弟たちが待っているから行け」
そう言って、懐から朔月鏡を出して天罡星を吸い込んだ。
鋼先は、呉文榮に向き直って言う。
「そうか、唐流嶬は師匠の
呉文榮は、
「師匠は、魔星に
「たいそうな組織になっちまったな」
鋼先が同情を示した。呉文榮は頷く。
そのとき、
「
唐流嶬は、目を覚ましてがばりと跳ね起きた。そして朱差偉をまじまじと見る。
「本当か、今の話は」
「間違いありません。表向きは、皇帝を
「そうか、とうとう、
唐流嶬は、目を閉じてくくくと笑った。そして鋼先を見る。
「期限が来た。賀鋼先、さらばだ」
「どういう意味だ」
鋼先がいぶかしむ。
「お前たちの殺害を依頼したのは、宰相の
「戦乱……!」
鋼先と呉文榮は、冷や汗をかいて唐流嶬を見た。
「なぜだ。宰相は何を考えてそんなことを?」
鋼先が詰め寄る。
「そこまでは知らぬ。本人に訊いてみるがいい。楊国忠にも
唐流嶬はそう言って笑うが、首からの出血は止まらず、顔が青ざめていた。
「安禄山にも、魔星がいるのか?」
鋼先が問うと、唐流嶬は頷いて、がくりと
呉文榮がそっと抱え起こす。
「お
細く呼吸はしているが、唐流嶬は目を覚まさない。
呉文榮が、鋼先を振り返った。
「聞いたとおりだ。もう、鉄車輪はお前たちに関わらない。賀鋼先、
しかし、鋼先はじっと唐流嶬を見ている。
「そうするが、行く前に一言、胡湖への詫びが聞きたい。
「……詫びなど、言わぬだろう。普通の人情を育むことのできなかった、哀れな女だ」
呉文榮の肩が、震えていた。鋼先には、それだけで彼の気持ちが分かった。――唐流嶬を許さぬというなら、致し方ない。だが、もう長くはない彼女を、ここで殺すのは止めてくれ――
「だろうな。言ってみただけさ」
鋼先は
「じゃあな」
と月光楼を出た。百威は懐で
宿へ帰りながら、鋼先は冷や汗をかきながらつぶやいた。
「安禄山が挙兵だと。こいつは結構、やばいことになったな」
(第三部 完)