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第五十一回 欺く者たち




 百威ひゃくいあんろくざんを攻撃すると見せて、急に向きを変えて扉の外に出た。そしてこうせんたちをさがして飛ぶ。やがて、一人で歩いているフォルトゥナを見つけた。彼女の通ってきた方向を逆へ行くと、倉庫で服を見ている鋼先たちがいた。


「見ろ、百威だ。入れてやろう」


 らいせんが気付き、入口からまねきしたので、百威はあわただしく羽ばたきながら入る。魯乗ろじょうの危機をなんとか知らせようと騒いだが、うまく伝わらない。


「百威、何かあったんだな。魯乗はどうした?」


「鋼先、この慌てようは尋常じゃない。急いで安禄山の部屋へ行こう」


 雷先が飛び出そうとしたが、百威はそれをさえぎって入口で羽ばたいた。そしてへいかく腰元こしもとへ飛び、彼女の筆をくちばしで突く。


 萍鶴が、くびかしげて筆を取った。


「……百威、こうしろということ?」


 萍鶴は、百威の小さな額に「じん」とぼくを打った。百威は、かたわらの机に降りて呼吸を整える。


「……そうだ、萍鶴。さっしがいいぞ」


 とてもしぶい声で、百威は人の言葉を話した。鋼先たちが目を丸くして驚いている。百威は続けた。


「驚くのは後だ。聞いてくれ、魯乗のだんが危ない。安禄山の部屋から助け出したいが、しんちょうにやらねばならぬ」


「一体、何があった?」


 そう聞いた鋼先に、百威はうなずいて答える。


「安禄山は、旦那のきゅうてきだったんだ。安禄山がそれに気付いてしまったので、旦那は逃げようと幻術を使った。だが、奴は目が見えないらしく、幻術が効かなかった。それで力を使い果たし、旦那は動けなくなっている」


「なんだって」


「しかし、慌てて行くのもまずい。時間をかせげれば、旦那はりきで逃げ出せる。俺はそれを助けるから、お前たちは、先に逃げろ。ここにいるのは危ない」


 百威が言うのを聞いて、鋼先はあごに手を当てて考えた。そして言う。


「普通に考えれば、百威の言うとおりだ。だが、安禄山はただの暴漢ぼうかんじゃない。慎重で、忍耐力がある。魯乗をやぶっても、すぐには手は下すまい。だから、取引ができるかもしれない」


「おい、相手は今や皇帝だぞ。相変わらず大胆だな」


 雷先が青ざめて言うと、鋼先は背を見せながら言った。


けつらずんば虎児こじず、って状況だな。だがそれは、今の安禄山も同じなはずだ。さあ、行くぜ」




 鋼先たちは、揃って安禄山にどおりした。魯乗の姿は無い。安禄山は、何事も無かったかのように座っていた。


「陛下、医師の衣装は準備しました。長兄はどちらにおりますか」


 鋼先が礼をして言うと、安禄山は目を閉じたまま笑った。


「ふふ、もうお互い、皮をかぶるのはそう。……お前たちが竜虎山りゅうこざん収星陣しゅうせいじんであることは、最初から分かっていた。ちんにも情報網じょうほうもうはある」


「……恐れ入りました」


 鋼先はさらに礼をする。安禄山は、構わぬ、と手で示す。


「お前たちに朕の配下を調査させたが、実際には魔星を取りのぞかせるためだ。どうせかんいていただろう、こう?」


 安禄山は、鋼先の本名を呼んだ。鋼先は、丹念に身元が探られているのが解り、さすがに震える。


 安禄山は、笑って続けた。


「……魔星を持った者の働きは目覚めざましいが、野心がまさるようになればやがてがいをなす。まだ唐をほろぼしてはおらぬが、ここらで粗熱あらねつを取っておくのがとう。朕はそう考える」


「はい」


「特に面倒なのが、朕の側近たちだ。我が軍は洛陽らくようもって半年近くなるが、まだちょうあんを取れない。しかし戦線せんせんは伸び、軍は分断ぶんだんされ始めている。……朕はいったん、范陽はんようまで退いて力をたくわえたいのだが、あと一歩だからここに残ろうという声が強くて、統制とうせいが取れぬ」


「だから、しゅうせいをお望みなのですね」


 安禄山はゆっくりと頷く。


一国いっこくち上げて皇帝となった以上、慎重に国家をつくり上げたい。それゆえ撤退てったいだ。だが、朕にちゅうせいを尽くす者は少なく、さきよくばかりを追っている。これでは、えいを極めた唐をしのげない。かげりはあっても、そう簡単には唐は死なぬ。そのことは、ずっと唐を守ってきた朕だからこそ、よく分かる」


 その言葉に、李秀りしゅうが立ち上がりかけた。しかし鋼先が素早く制して、本題に戻る。


「では、収星は我々にお任せを。長兄を、いえ、魯乗をお返しいただけませんか」


 安禄山は、ふっふと笑って、壺を取り出して鋼先に渡した。


こうえんの死にぞこないめ、弱々しいこんぱくになってまで朕を追ってくるとはな。だが、朕の配下を収星するには、こやつの力も必要であろうと思い、手荒にはしていない。まあ、少しようじょうしておけ」


 そう言って笑う安禄山に促され、鋼先たちは退出した。




 自分たちの部屋に戻り、鋼先は壺のせんを抜く。のぞき込むと、黄色い煙のようなものがうずいており、それが声を発した。


「やれやれ、どうやら消えずにんだか。助かった、みな。礼を言うぞ」


 鋼先が頷いて言う。


「百威が報せてくれたおかげだよ。それより魯乗、あれは本当か? 安禄山が、あんたを羅公遠と呼んでいたが」


 壺は答える。


「ああ、そうじゃ。昔、張果ちょうか葉法善ようほうぜんきゅうていに出入りしていたが、何故なぜかあの頃は、宮中に魔星の気配は無かった。らく好きの皇帝に術を見せ、せがまれるままにそれを教えたりもして遊んでおったが、安禄山に天殺星を感じたので、宮廷を去り、奴を追った」


 そして、三人で安禄山にいどみ、やぶれた話をした。


「……わしまで敗れてしまったせいで、二人を救済できず、魂魄がしょうめつしてしまった。もうよみがえることはできない。


 わしは肉体を壊されたものの、屋内おくないにいたせいで魂魄が散らず、なんとか消えるのをまぬがれた。そして魂魄のまま逃げながら力が戻るのを待ち、百威やお主たちに出会った。じゃが、羅公遠のままでは安禄山に近付きにくい。だから仮の名を使ったんじゃ」


 そのとき、雷先が壺の前に出て平伏した。


「し、知らなかったとはいえ、しんじん様に対する今までの無礼ぶれいもうわけありませんでした。どうかお許しください!」


 壺が、ため息をつく。


「ああ、あとはこれじゃよ。わしが羅公遠と知ったら、たぶん雷先がこうなると思ってな。なかなか言い出せなかったんじゃ」


「確か羅公遠は、張天師ちょうてんし様もいちもくく神仙だ。だから推薦すいせんの手紙のとき、そっけないしょうかいにしてかくしていたのか」


 鋼先は客観的きゃっかんてきな意見を言った。雷先がたしなめる。


「鋼先、ひかえろ。失礼だぞ」


「いや、本人がそうしろと言うなら別だが、やっぱり魯乗で良さそうじゃないか?」


 それを聞いて、魯乗が答える。


「鋼先の言うとおりじゃ。雷先、わしも楽しくやってきた。これまで通り、同輩どうはいでいてくれんか」


「は、はあ」


 そこまで言われて、ようやく雷先は体を起こした。


 鋼先が言う。


「さて。安禄山も俺たちの力を必要としている、と言ったしな。便利がられているうちに、収星を進めておくとしよう」




 ◇




 魯乗が動けないので萍鶴と百威はたいし、賀兄弟がきょうだいと李秀の三人で行くことになった。


 まずは、安禄山の参謀さんぼうを務める、厳荘げんそうという男を狙う。


 頭が良く、すきのない計画を立てるこの人物は、安禄山の叛乱はんらんをずっとたすけていた。しかし、最近はみずから権力を集めるようになり、だんがならないという。


 鋼先たちは厳荘のしきを訪れ、薬のさんをすると告げる。厳荘が許可を出し、部屋を出て行った。鋼先たちは、厳荘の屋敷全体に薬をく振りをしたが、終わった頃には夜になっていた。


 やがて、厳荘が戻ってきた。


「ご苦労。慣れない土地で体調をくずすこともあったが、これで安心だ」


 厳荘が部屋から出るときに李秀がこっそり朔月鏡さくげつきょうを向けると、てんこうせいの名が出た。李秀がくばせすると、鋼先はついけんを隠し持って呼び止める。


「厳荘様、ちょっとお聞きしますが」


 そう言ってばやく刺そうとしたが、厳荘は振り返って剣をしらりにした。


「何の真似まねだ、これは」


「いえ、あの、薬をりつける道具でして」


 鋼先があいわらいをすると、厳荘も冷たく笑う。


「とぼけるな。安禄山に頼まれて、私の魔星を奪いに来たな。奴もそろそろ、私の思惑おもわくに気付いた頃だろう」


「なに」


 鋼先は、追魔剣を引こうとしたが、厳荘は怖ろしい力で追魔剣をもぎ取り、逆に鋼先を突いてきた。


「うわっ、やめてくれ! 刺さったら、俺の魂魄が散る!」


 鋼先は大慌てでけるが、厳荘の剣は、執拗しつように追ってくる。


「ほう、自分で使っていながら、この剣が怖いのか。妙な奴だ」


 厳荘はにやりと笑い、鋼先の足下を狙ってとつを繰り出した。避けにくい攻撃に鋼先は困惑し、あたふたと逃げる。


「それっ」


 厳荘が、いきなり狙いを顔面に変えて突いてきた。上下に振られる攻撃は、闘い慣れている者でも避けられないことがある。鋼先は、まったく予測できていなかった。


「うあっ!」


 鈍い音がして、追魔剣が鋼先の右頬みぎほおを捉えた。木剣なので刺さりはしなかったが、鋼先は勢いで首を大きく捻られながら、後ろに吹っ飛ばされた。


「ああっ、鋼先!」


 慌てて、雷先と李秀がものを手に、厳荘の背後からおそった。しかし、厳荘は振り返りざま剣ではじき、また鋼先に向き直る。そして言った。


「安禄山に撤退などさせぬ。唐を滅ぼし、天下の非難を奴に集めさせる。その上で奴を殺せば、私が大手を振って大燕帝国だいえんていこく仕切しきれる」


「ち、そういう腹かよ」


 鋼先は言いながら逃げ、屋敷の外に出た。


 走りながら、鋼先は自分の頬をさすり、ふと考える。


(おかしいな。俺に、追魔剣が刺さらなかった。おかげで命拾いしたが――呉文榮みたいに、耐えられるようになって来たのかな)


 鋼先の後ろから、厳荘が追ってきた。雷先と李秀も走り、だんだんと追いついてくる。


 暗がりの中を走るうちに、四人は安禄山の皇居こうきょの裏にやって来た。まだつくりかけなので、足場が組まれたままのところがある。


 それを見て、鋼先はひらめいた。


「ここを登らせれば、あいつの両手もふさがる。やってみるか」


 鋼先は足場をするすると登った。厳荘は追って登ったが、追魔剣が邪魔になったので帯に差して両手を使う。鋼先はわざと足場を登り切らずに橫移動をし、厳荘を誘う。


 雷先はそれを見て、自分も棒を置いて登ろうとしたが、李秀が止める。


「あたしが登って、上から厳荘を追い落とす。そしたら下でやっつけて」


「分かった」


 李秀は双戟そうげきを腰に差して足場を登った。そして未完成の屋根に上がり、厳荘の頭上を狙って移動する。しかし、


「うわっ!」


 鋼先が足場を踏み外し、転落してしまった。厳荘はそれを追って足場を飛び降りる。雷先が急いで駆けつけた。


 屋根の上から見ていた李秀も、驚いて降りようとする。そして屋根のへりに近付いたとき、後ろから声がした。


「待て。お前、何者だ。皇居の屋根に登るとは」


 驚いて振り向いた李秀は、その巨体を見て二重に驚いた。


「あ、安禄山……!」

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