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20 季節は短い夏へ……

 ──それから一ヶ月。

 七月中旬。新参の孤児としてテオファネスがザフィーア修道院に入って一ヶ月ほどが経過した。


 季節は完全に夏に。とはいえ、緯度の高いベルシュタインの夏は非常に短く、一ヶ月も経たずうちに肌寒くなり秋を迎える。

 日照時間は未だ長いものの、これからは短くなる一方で冬至を迎える頃には陰鬱とした暗闇と曇り空に覆われる。だからこそ、この短き夏こそ皆、はつらつと外で過ごす事が多い。


 そよそよと吹く爽やかな風に洗濯物がヒラヒラと靡く。湖の方角から子供たちのはしゃぐ声が響き、アルマはそちらを振り向きつつ、胸元のポケットにしまったしんちゆう製の懐中時計を取り出して蓋を開けたと同時だった。


 ヒラヒラと靡くシーツの群れの隙間からアデリナが現れ、アルマを見つけると彼女は手を振って歩み寄る。


「アルマ? そろそろ子供たちも戻って来てお勉強の時間になるし、テオファネスさんのお迎え行った方が良いんじゃないかしら?」

「うん。そんな時間だなって思ったの」


 懐中時計をいちべつすると時刻はもうすぐ十一時に差し掛かろうとしていた。 

 そうして時計の蓋を閉じようとするが、噛み合わせが悪いのか、きっちりと蓋が閉まらない。

 ちようつがいのネジかツメが馬鹿になってしまいっているのだろう。アルマはジト……と目を細め、蓋の閉じない懐中時計をそのままポケットに突っ込んだ。


「アルマの時計、かなり年季が入ってるわね……」


 その様を見ていたのか、アデリナは苦笑した。


「ううん。これは私のじゃないよ。テオの外出許可が出てから、院長先生が時間を見るようにって貸してくれたの。借り物だから文句は言えないけど……見た通り壊れかけ。針も動くけど、蓋がどうにもね」


 笑みつつ言えば、アデリナは時計をしまったアルマのポケットをじっと見た。


「……そういえばテオファネスさんって手先が器用だし修理出来そうじゃないかしら?」


 ──聞くだけ聞いてみたら? と言われて、アルマは頷いた。


 外出許可が下りてから、テオファネスは限られた時間内で外に写生に行くようになった。そこでアルマは彼の異常な程の手先の器用さを知ったのである。


 絵を描くのが好き。と、聞いていたが、失礼ながらこれは凡人の描くレベルだと勝手に思い込んでいた。しかし……彼の描く絵は画家顔負けのレベル。圧倒される程に素晴らしかった。


 修道院には絵の具など色彩を付けるものなど一切無い。使用画材はただのスケッチブックと鉛筆のみ。それにも関わらず、彼はただの鉛筆一本で艶めかしい程の立体感のある描くのだ。


 手法をよく見ていれば、指で擦りぼかしを繰り返し陰影を付けている他、消しゴムの滓を丸めてそれでぼかしを行っているだけ。


 非常にシンプルな行程の繰り返しで、見ていて眠くなる程に地味な作業に違いないが、やがて素晴らしい絵を創り出す彼の手はまさに魔法の手のようにアルマは思った。


 そんな部分からアルマは彼が手先が器用でないのかと予測したが……どうやらこれは大当たりだった。


 孤児院の食堂に設置してあるテーブルランプが壊れた時、彼にそんな話を持ちかけた所、「工具一式とランプを持ってきて欲しい」と言われて従った所、翌朝には見事直してしまったのだ。配線の事まで分かるとは思いもしなかったので、ただただ驚嘆してしまった。


 しかし、それからというものの……幼児が使う木製のおもちゃが故障しただの、手押し車が壊れただの、事ある毎にアルマは話を振られテオファネスに持ちかけると、彼はそれら全てを見事に直してしまったのである。


「配線とかはカサンドラ准士官からの入れ知恵もある。あの人技術者だし、そういう系統全般的に強いから。あと俺自身こういう地味な作業って昔からかなり好き」


 そんな風に言っていた。

 しかし、こうも事ある毎に便利屋の如く頼るのはいかなものかと思ったが「暇つぶしになるから全然構わない、寧ろ喜んで手伝う」と言ってくれたもので……。


 その旨を伝えた所、未だ誰とも会っていないのに、彼は完全にエーデルヴァイスの裏方であり便利屋のような存在になってしまったのである。


 しかしながら、こうなってからというものの彼の調子はすこぶる良い。もはやどうからどう見たって健常者……レメディーの投与回数も減り、今では重度の不眠も嘘のように改善された。

 それもたった一ヶ月でだ。

 その上、彼の笑顔を見る事も確実に増えていた。


「あ。ほら子供たちが見えて来た。早く迎えに行ってあげなくちゃ……」


 アデリナにそう促され「また夕方に」と言うなり、アルマは慌ててテオファネスの元へ向かった。


 --- 


 テオファネスと外に出る際、アルマは彼と昼食を取る事になった。


 何せ、子供たちの食事時間が終わる頃には午後一時近く。

 さすがにその頃にはいい加減に腹が減る頃合いなので、朝食時にサンドイッチを拵え、それを持って外に出る。


 バスケットいっぱいの食事を持つアルマの隣で彼はスケッチブックを片手に持ちつつ、一本の鉛筆を器用にくるくると回して歩んでいる。


「今日は何だかバスケットの中身が多くないか……?」

 持つよ? と、彼は片手を伸ばし、片方の取っ手をもってくれた。


「この前、ゲルダがいつもより多くパンを作りすぎたみたいでね。カビが来る前に消化しなきゃって焦ってて……沢山テオにあげてって言ったの」



 そう言うと、テオファネスはバスケットの上に被せたクロスを持ち上げて中を確認すると、アルマを見て苦笑い。


「出された分は食べるけど、流石に俺にも限度はあるよ。多分この量なら食えると思うけど。でも、いくらヴィーゼンが豊かでも、このご時世じゃ食料がいつ入手困難になるか分からない。粉も勿体ないからゲルダには分量ちゃんと計りなって伝えて」


 困った顔で言われて、アルマは頷いた。


 ……アデリナにゲルダ。かしましい十六歳のカトリナ、イリーネ、ユリアの三人に最年少のエーファ。と、アルマは何気ない会話から自分以外六人の名前を彼に教えた。


 そのせいだろう。彼もすっかり六人の名を覚え、このようにアルマが間に入ったやりとりを日常的に行っている。


 同じ敷地内、毎日同じ建物内に居るのに実際に会っていないというのが不思議でならないが……アデリナにしてもゲルダにしても初めにアルマの言った「あまり干渉しないで欲しい」をいまだに優先してくれていた。


 規則を破り悶着をしたというのにだ。なぜにそうしてくれたかと言えば、そこにはテオファネスの気遣いが一因しているに違いない。


 二人に咎められた後日の事だった。

 幸いにも二人とは仲良くしているが、やはりアルマはアデリナにあんな顔をさせた事について罪悪感を抱えていた。


 その様子にテオファネスが気付き、問われて素直に吐露した所……後日「アデリナとゲルダに渡して欲しい」とスケッチブックを破いて作った二通の手紙を渡してきたのだ。


 内容について聞けば「俺からの謝罪。それだけ」と、彼は笑みつつ言った。

 そうして彼女ら手紙を渡したところ、二人は直ぐに返事を書きテオファネスに渡して欲しいと言ったのである。


 その内容について尋ねた所「うちのガサツな火曜の天使をお願いします」との事で……。

 テオファネスはアデリナとゲルダからの手紙を見せてくれたが、どちらも同じような内容だった。


 そう、これがあったからこそアルマも深々とその時の事を考えすぎるのを止めた。否、このお陰もあって以前より二人とは仲睦まじい状態になっただろう。


 ────だけど、ガサツガサツって……。私はそんな荒っぽいのかな。


 手紙の内容を思い出しつつ、アルマが唇を尖らせていれば「どうした?」なんてテオファネスに声をかけられる。


「なんでも無い。〝ガサツ〟っていつも言われて、腑に落ちないって思っちゃっただけ」


 そう言いつつ、アルマは立ち止まった彼を追い越し、先を歩めば直ぐに背後からクスクスと笑む声が聞こえた。


「大雑把って結局は〝いい加減〟に見せかけて〝良い加減が出来る〟って事。気にしない方が良いと思う。むしろ、アルマはそういう部分があるから放っておけないと思えて、愛されるんだ」


 愛される? アルマは立ち止まって彼を見ると、ふわりと優しい笑みを向けて歩み寄る。


「確かに三つ編みがかなり崩れてる時はあるし、レメディーの瓶が開かないからって蓋を割って壊そうだのガサツとは思うけど。そんな部分、俺は可愛いって思うけどさ」


 隣まで来た彼の優しい眼差しはアルマに注がれた。

 それが驚く程綺麗な顔で、そえでいて少し年上の男性らしい色香もあるので、胸が早鐘を打つ。


 何気ない会話から酷く心が揺さぶられる言葉を言われるのは妙に気恥ずかしい。


「そうだったら良いけどね」


 顔が熱くなる事を自覚して、アルマはテオファネスから顔を背け、再び足早に歩み始めた。

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