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24 戦禍に壊された少女の幸せ

 ──七月十八日。雨。

 経過観察日記を初めて早いこと一ヶ月が経過しようとしている。私にしては、長く持っている方だと自ら感心。

 彼については至って健常で元気。昨日のあの後も特に取り乱した様子も無く、今日は部屋で穏やかに絵を描いて過ごしていた。


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 そこまで書いて、アルマはペンを置き昨日を振り返る。

 アルマが飲み物を取りに行っている合間、突如テオファネスの前にエーファが現れた。


 彼に言った言葉は「お兄ちゃん、どうして置いていったの」と……。


 そうしてエーファは散々にテオファネスの腕の中で泣いた挙げ句、眠りに落ちてしまった。


 なぜここに居るのか。孤児院での務めは。問い詰めたい気持ちもあったが、彼女の心底安堵したような寝顔を見ていれば、叩き起こす気になれなかった。


 そうしてゲルダに事情を説明し、エーファを回収して貰ったので、この件は大きな騒ぎにならなかった。


 彼はゲルダと会っても別段取り乱す事もなく、淡々と状況説明をした。ゲルダはというと最初こそ動じていたのが分かったが、すぐにいつも通りのしっかり者で冷静な彼女に戻っていた。


 ────ゲルダ、あの件でテオと手紙でのやりとりをしたからかな。それにしても……。


 エーファに兄が居た事などアルマは初耳だった。

 この件を夕方礼拝の後にゲルダにけば、彼女はエーファの兄の存在を存じていた。


「……そうなの。初めてテオファネスさんを見て思ったけど、エーファのお兄さんとは少し似た髪色なのよ。あとね、背格好や雰囲気がそっくり。だから私、驚いたの。エーファのお兄さんは私と歳が同じくらいだった筈。だからテオファネスさんと年も変わらないわ」


 複雑なおもてでゲルダは言うと、更に続けた。


 孤児院に入って二年程は、エーファの兄は月に一度足を運んでいたらしい。冬のホリデーには必ず訪れ、カードとプレゼントを渡していたそうで、その間柄は非常に仲睦まじく、幼い妹が愛おしくて堪らないといった雰囲気を感じたそうだ。


 その頃のエーファは、口数も少なく引っ込み思案であるものの、今よりも少しは喋ったらしい。


 しかし、彼女の兄は三年前──開戦してからピタリと来なくなってしまった。


 ホリデーのカードも送られてこない。それっきりエーファは口も心も閉ざしてしまったそうで……。


「アルマやアデリナがエーデルヴァイスになる直前の話よ。それ以降、あの子は喋らなくなった。お兄さんは戦争が始まって姿を現さない、音信不通……どう考えても徴兵されてる。あの子の耳に入って悲しませたくないから誰もこの話はしなかった。私の知ってる話はこれだけ。あの子が孤児院に来る前の事は知らないわ……」


 ──自立していてもおかしくない年齢のお兄さんが居るのに、孤児院に預けられた時点で相当なワケアリに違いない。

 そう付け添えて、ゲルダは深い息をついた後に仕切り直した。


「……だけど、院長先生ならきっと事情を知ってそうね。今回の件は私がエーファから目を離したミスもある。ごめんなさい。だけど、この件は気になるわ」


 だから一緒に行く。とゲルダは頷き、夕食後二人は院長を訪れた。


 院長の語ったエーファの兄は……そっくりそのままゲルダの想像通りだった。


 父親の存在は不明だが、帝都にほど近い都市部のアパルトメントでエーファ達は母子三人で生活していたそうだ。しかし、母親は病気で急逝した。

 兄は日夜問わず働いていたそうだが、戦前は恐慌状態。次第に仕事が無くなったそう。アパルトメントの家賃を払う事も困難になり、二人は親戚の家を転々とする生活を送ったそうだ。


 そうして落ち着いた先はヴィーゼンの南方、三つ程離れた領地にいる親戚の元だったらしい。

 だが、このご時世で二人を家に置くのも厄介だと思ったのだろう。


 まして稼ぐ事も家事もできない幼いエーファを荷物に思ったのか、親戚は兄のみの同居を許し、エーファを孤児院に預けるように言いつけた。


 言う通りにしなければ、二人で路頭に迷う事となる。

 だからこそ、彼の兄はエーファをザフィーア修道院に預けたそうだ。


 その後はといえば、まさにゲルダの想像通り。

 開戦後、エーファの兄はベルシュタイン軍の兵士になった。


 徴兵されたとの見解もあるが、志願兵だった可能性も無きにしも非ず。その頃の軍というと〝愛すべき家族や故郷を守ろう〟と……そこら中に張り紙をして、若い男を捕まえては金をチラつかせていたと院長は重々しく語る。


「間違いなくそうだと思いますよ。金銭面に喘いでいたのですから飛びつかぬ訳がない。それにですね、何度かエーファの親戚にお手紙を送っています。届きはするので、恐らく親戚はご健在。けれど……返事が一切来ないもので」


 そう語った院長は深い息をつくと、アルマの方に視線を向ける。


「……それと、アルマ。貴女、私たちの前でもテオファネスさんを愛称で呼ぶことがあるでしょう?」


 そうかれて頷くと、院長は「恐らく」とため息まじりに切り出した。


「そこも一因しているかと……。エーファのお兄様はさんにお名前が似ているのですよ。確かさんといいましたか。愛称は同じですからね」


 ……そこか。アルマは沈痛なおもてでこめかみを揉む。。


  エーファはそれで気になったのだろう。そうして、二人で湖畔に出掛ける最中、彼女ははどこかで自分たちを見ていたのだとおぼしい。

 そうして知ってしまったのだ。兄とそっくりな背格好と後ろ姿を。だからこそ、人目を盗んでエーファは彼に会いに来てしまったのだと……。


 しかし、エーファに兄だと勘違いしたままでは彼も大変に違いない。随分と不眠も改善されたのに、とんだ気苦労を増やしてしまう事になる。


 たった十二歳。そんな幼気な少女に酷かも知れないが、エーデルヴァイスとしての立場上このままではならない。


 それでもこんな背景を知ってしまうと彼女があまりに不憫だと思えた。たった十二歳、まだ子どもに違いない。


 どうにかして兄の消息を調べられぬものかとアルマは院長に相談を持ちかけたところ、院長は今一度手紙を送ると言ってくれた。

 そして今日の夕方礼拝の後、手紙を出したと院長から報告を受けたもので……。



 昨日から今日までの出来事をはんすうした後、エーファに何かしてあげられる事は無いか。と考えた途端にアルマはハッと目をみはる。


 そうだ。今となっては自分だって軍にツテが無い訳で無い。

 それをすぐに思い出し、ノートを閉じるとアルマは机の引き出しから封筒と便箋を取り出した。


 ──他国の軍であるが、同盟軍であるだけベルシュタイン軍に全くのツテが無いとは言い切れない。それにこれはテオファネスが大いに関わる事だ。極めて希望は薄いにしても、万が一にも答えてくれる可能性は無きにしも非ず。


 アルマはノートに挟んだメモを取り出すと、便箋に住所を書き〝カサンドラ・アンガミュラー様宛〟と書き記した。


 そうして手紙を書き終え、封をした頃には丁度消灯間際だった。

 そよそよと入る夏の夜風が心地良い。穏やかな夜だと思った。だが、こんな穏やかな夜は戦知らずのヴィーゼンだけでないかとふと思う。


 大戦。頭だけで理解はしていたが、まるで他人事であって非現実的なものだと思っていた。だが、それはこの世で起きている現実だと思い知らされた。


 アルギュロス最悪の兵器と呼ばれる機甲マキナに出会った。それも今では毎日顔を合わせている。あまりに悲しくやり場の無い思いを聞いた。


 帰りたいのに帰れない故郷。もう見る事も叶わない海の見える景色。少年だった彼に抱えるにはあまりに重たすぎたしんらつな現実に違いない。


 ましてやこんなにも身近に、あまりに悲しい過去を背負う少女がいたもので……。


 エーファの小さな背から影なんて見えた事は一度も無いが、何もかも全てを塞ぎ込んだとうかがえる。それでも内心は不安が霧のように広がっている気がしてならなかった。


「戦争が無ければ、誰も傷付かずに済んだのかも知れない。国の誇りだの、確かにあるかも知れないけど……」


 ぽつりと呟いたアルマは、瞼を伏せる。


 ──奪い合い、殺し合いの果てに何が残る。なぜ、そこまで領土を広げたいのか。資源が必要なのか。大がかりな喧嘩にしては惨すぎる。


 重苦しい息をつくと、アルマは静かに窓を閉じて明かりを消した。

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