それから一週間近く──アルマは孤児院での務めの中で頻繁に視線を感じるようになった。
掃除の時も、薬草畑の手入れをしている時も……どうにも背後から見られている気がして仕方ない。そして今、アデリナと花のレメディーの生成を行っている最中だが……やはり背後から痛い程の視線を感じていた。
「また……」
木の桶に張った水の上にインパチェンスがふよふよと浮いている。それを見つめたままアルマはジト……と目を細めて深いため息を吐き出した。
「アルマ、大事な作業中にそんな顔したらダメでしょ。悪い気が全部水に入っちゃう」
アデリナは直ぐ咎めるが、アルマはそれでも目を細めたままだった。
「だって、絶対また見てるもの……」
そう言って気怠げに背後を向けば、少し離れた先にエーファの姿があった。
手には箒を持っており、まさに庭掃除の最中と物語る。否、身長一四〇センチ程の小さな彼女が持っているにはどうにも不釣り合い。まるで箒に掃除させられているように映ってしまう。
そうしてアルマが見つめる事
……あからさまだ。否、露骨すぎる。アルマは額に手を当ててゆるゆると首を横に振った。
「何か言いたいなら言えばいいじゃない。別に怒ったりしないのに」
やれやれ。と、独りごちると、隣でしゃがむアデリナはクスクスと笑みを溢す。
「愛されてるわねぇ……大人しい子の方が意外と熱烈なのかしら」
「いやいや。私じゃなくて……私の担当する
多分。と、付け添えれば「だよね」とアデリナは苦笑いを浮かべる。
──先日の出来事は、ゲルダだけではなくアデリナにも話をした。
親友だ。困った時こそ頼れと一人で抱え込むなと二度も言われた間柄。だからこそ、エーファの身の上と彼女の兄によく似たテオファネスについての話をした。
「院長先生が手紙を送ってくれたのは二週間近く前だっけ。三つ先の領地じゃ、とっくに届いてるでしょうけど、まだ返事は無いの?」
「えーっと、カサンドラさんだっけ……そっちは?」
「そっちもまだ。隣の国とはいえ、ベルシュタインの王都よりは近いし、こっちもとっくに届いてるとは思うけどね」
「まぁ、軍人さんだしね。返事が来ると良いわね……」
アデリナの言葉にアルマは頷き、また一つため息をつく。
間違いなくエーファはテオファネスに会いたいが為に担当者である自分に視線を送っている事は容易く想像出来た。
しかし彼はエーファの兄で無い。まるっきりの別人だ。それにベルシュタイン人でもない。
「貴女のお兄さんじゃない」そう言えてしまえば簡単だが、
眉を寄せていれば、アデリナはアルマの眉間を
「だからダメだって難しい顔しちゃ。アルマはさぁ、ガサツで少しいい加減が良い所でもあるのよ? 頭で考え込むのは得意な人に一緒に考えて貰えば良いの。私たちだってアルマに頼る事もあるんだし。それに、きっとテオファネスさんだって言えば力になってくれるでしょ。その件は伝えたの?」
アデリナに訊かれて、アルマは頷いた。
「一応エーファの生い立ちもお兄さんの件は翌日に話したよ?」
……別に俺はエーファの兄貴のフリするのは一向に構わないし、部屋に連れてくるのも構わない。だけど、それであの子をかえって傷付ける恐れがあるのは怖いと思う。
彼の言った言葉をそっくりそのまま出せば、アデリナはやれやれと首を振る。
「そうよね……。テオファネスさん本人が一番気を遣う問題かも知れない。けれど、そんな気遣いのできる優しい人がアルギュロスの最悪の兵器だなんて考えられないわね」
そう言ってアデリナは微笑むが、途端に何か思い出したようで、直ぐに真顔になってジッとアルマを射貫いた。
「あ。そういえばさ。私は直接会っていないけど、ゲルダ曰く……テオファネスさんって背が高くて、かなり格好良い人らしいじゃない?」
──どうなの。と、まじまじ
半身が真鍮色の金属に浸食されていて、片方の強膜は真っ黒……と人で非ず要素があるものの、確かに見てくれは小綺麗で
そもそも男自体、父親や弟、近所の農夫に日曜の参拝者以外に知らないので、あの整った容姿は衝撃的といえば衝撃的だったが……。
さて、どう答えるべきか。アルマは固まったままでいれば、アデリナは噴き出すようにケラケラと高い笑い声を上げた。
「テオファネスさんがそんなに素敵なら、アルマがそのうち禁忌を破りそうで怖いわねぇってゲルダとそんな話になったのよねぇ」
「禁忌って……」
眉をひそめると「恋愛関係」とアデリナは答えてクスリと笑む。それを聞いてアルマは顔をドッと赤くした。
「ないないない! 絶対にありえない」
慌てて否定するが、アデリナは目を細めて呆れたように笑む。
「だってさぁ~半分くらい人間じゃないとはいえテオファネスさんって普通の男の人と変わらないでしょ? 毎日顔合わせて傍に居て……アルマが霊峰で花になった天使みたいに愛されちゃうんじゃないのかなとかさ、逆にアルマがテオファネスさんの事を好きになっちゃうんじゃないかなって思ったのよ」
「は、はぁ……?」
なぜにそうなる。聞いてるこっちが恥ずかしくなる。アルマは目を丸くして唇をあわあわと動かすと、アデリナは真っ赤に染まったアルマの頬を突いて悪戯げに笑む。
「実際にどうかは知らないけど、〝人間の男性とほとんど変わらない〟なら、どう考えてもアルマの力を奪えるでしょ?」
つまりそれは……。
想像できる事に、アルマは首まで真っ赤になる。
そして、ふと頭に過ったのは初日のあの言葉だ。
『……裏切ったら君の純潔奪って良い?』
すっかり忘れ去っていた筈なのに鮮明に蘇った。
「ア、アデリナ。お願いだからもうやめて……そういう話、私は無理、恥ずかしい」
あまりに恥ずかしくて涙目になってきた。「無理」と、何度も訴えると彼女は「ごめんごめん」と軽い調子で言ってアルマの肩を摩る。
「思えばアルマとは今まで恋の話ってしたことなかったけど、あんたちょっと
「しょ、しょうがないでしょ。そんなの無縁だし、恥ずかしいもの」
あわあわと言えば、アデリナは噴き出すように笑い出す。
「だったら尚更気をつけた方がいいかも。〝男の人は途端に狼みたいに豹変する事あるから気を付けるべき〟だって、姉さんから聞いてたもの」
流石は貴族出身だ。
貴族の基本は政略結婚だが、社交の場もあるのでそこで男女の恋に発展する事もある。彼女の姉はそんな場数を踏んできたのだろう。
だが、狼とは……初日にカサンドラからも聞いたが、見かけに反して存外気弱な彼の豹変など想像できない。
とは思ったが、意外にも簡単に想像出来た。
ふと浮かぶのは、
……テオファネスは随分と優しい笑み方をする。その上、性質も穏やかなので、どちらかと言うと優しく甘ったるい気もしてくる。
「ちょっと、アルマ顔真っ赤……変な想像させちゃった?」
アデリナに言われてアルマは目を丸くして首をブンブンと振るう。
────あぁ、変な事を考えるんじゃなかった。何考えてるの私。
ありえない。不純だ。あぁ神様! ごめんなさい!
心で懺悔しつつ、アルマは熱を払うよう