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24 予想外の面会者

  ※


 その日、昼食を運びに来たアルマは妙によそよそしかった。

 何があったのかは分からぬが、テオファネスは無駄な詮索をしないよう、いつも通りに彼女に振る舞っていた。


「今日は日曜日だし、午後から一般の方が修道院に来る事もあるから外出は無し。退屈かもしれないけど、いつも通り部屋で過ごしてくれてたらありがたいな」


 ──夕食時と就寝前にまた来るから。と付け添えて、食後すぐに彼女は退出した。


 外出が無い時は大抵いつもは、少し休憩して行くと部屋で雑談する他、ソファで昼寝をする事さえあるのに……。


 本当にどうしたのか。そそくさと去ったアルマを気にしつつも、テオファネスは直ぐにスケッチブックと鉛筆を手に持った。


 ────さっき、目も合わせてくれなかった。俺、何かしたかな。


 考えるが思い当たる節は何もない。

 そんな気分だったのだろうか。


 だが、彼女は気分で動いたりせずムラが無い性質だ。だが、思い当たる節は幾らかある。その中で濃厚な説はエーファ絡みの事で悩んでいるのではないのかとうかがえた。


 一応彼女の身の上話はつい最近聞いたが、テオファネスは複雑な気分になった。

 なにせ、自分にも同じくらいの歳の妹が居たからだ。


 下の妹に関しては、存命であれば十三歳程度とエーファと変わらぬ年端だ。容姿はおろか声も似ていない。それでも「お兄ちゃん」と悲痛な声で呼ばれた時は酷く心臓が締め付けられる気分になったもので。


 ────あの子に何かしてあげられる事があれば良いけど。けど俺、こんな見た目だし。


 怯えてはいなかったが、それでも怖いと思ったに違いない。テオファネスは鉛筆を握る己の左手を見つめて小さく息をついた。


 くすんだしんちゆうを思わせる金属質の手は触覚も痛覚も無く熱を感じない。


 機械仕掛けの片目に関しては、遙か遠方の敵さえ見つけ出す他、視線さえ向ければ物陰に身を潜める人の体温を察知する。夜間でも真昼のようによく見える。


 しかしこの目がなかなかに曲者だ。使いすぎれば目の奥が焼けるように痛む。そして数日、目が見えなくなる事もある。

 だが、戦場を離れてからというものの目が痛む事は無くなった。


 たったそれだけではあるが、この数ヶ月でどことなく、〝ただの人間〟に戻れた気がした。それでも、やはり自分の容姿をまじまじと見れば、人で無いと改めて思い知る。


 ──人に戻りたい。

 心の中で呟いた言葉はもう何千、何百回目か。とはいえ、叶わぬ事をテオファネス自身も分かっていた。


 何せ、機甲マキナは戻す術など考えずに作られている。

 決定的理由は、メンテナンスなどの手入れは皆無に等しいからだ。


 銃や砲台と違い、完全に使い捨て。

 肉体を蝕む金属はまるで呪いの如く年々身体を蝕み広がる一方で止まらない。


 機甲マキナは皆短命だ。

 個体差はあるが、大抵二年程度で全身を侵す痛みに悶え叫び、ひとしきり暴れた後にピタリと事切れる。


 そして、最期はこの世の者とも思えぬ程、無様な容姿となる。

 両目の強膜は真っ黒に濁り、肉体の大半が腐食した金属に覆われる。なんとも言えぬ焦げ臭い激臭を発し……そう、それこそまるでバケモノだ。そんな姿は彼女に見られたくもない。


 だからこそ、終わりは一人で迎えようとテオファネスは既に心に決めていた。


 幸いにも近辺に湖がある。金属の身体は水に浮かず溺死は出来る。一人で終わるには充分な環境だった。


 ────でも、まだもう少し長生きしたいな。


 アルマと居たい。と、漠然とそう思ったと同時だった。


 キィ……と音を上げて、背後の扉が開いた気がした。

 戦場でもないのですっかり気が抜けており、周囲の気配に注意を払っていなかったので気付かなかった。


 アルマが来たのだろう。そう思い、テオファネスは振り向くが、目に映した存在に息を呑む。


 つい先週出会って泣き付かれた少女──エーファの姿がそこにあったからだ。


 今日はレースのふんだんにあしらわれた純白の礼装でなく、町娘が着るような愛らしい民族衣装に身を包んでいる。しかし、どういった訳か泥だらけだ。それにどことなく血の香りが鼻腔を掠めるものでテオファネスは瞳孔を絞って目をみはる。


 そういえば以前、男児に暴力を振るわれそうになっていただの、アルマから聞いた事があった。まさか、本当に暴力を振るわれたのか。


「……その傷、どうしたんだ?」


 テオファネスは立ち上がり、直ぐさま棚の中を探った。

 引き出しの中に消毒薬やガーゼの一式他、胃腸薬や喉の薬が置かれていたのは知っていた。テオファネスはおぼつかない手つきで、消毒液とガーゼを取り出してエーファに視線を向ける。


「ソファに座りな。傷の手当てをしよう」


 そう言うが、彼女はテオファネスに近付くと首を横に振り、小さな唇を開く。


「……この前、ごめんなさい」

「え?」


 きっとあの時の事だとすぐに分かるが、謝る要素などあったのか。テオファネスが首をかしげれば、彼女は頬を赤く染めモジモジと更に続ける。


「人違いだって、ちょっとして分かったのに……甘えて泣いて困らせてごめんなさい」


 鈴の鳴るような声は恥じらいを大いに含んでいた。しかし、それを聞いたテオファネスは驚きのあまり目をしばたたく。


 自分で気付いたのか。ならばこれはしっかりアルマに伝えるべきだろうと思う。なにせ、即刻情報を集めようとするなど、アルマが一番彼女を心配していたに違いないのだから。


「別にそれは構わないが」


 ──それより、怪我の処置をする。と仕切り直すが、彼女は首を横に振るいテオファネスの金属質な手の上にそっと小さな手を重ねた。


 触れられた事に驚いた。

「怖くないのか……」と訊くと、彼女はほんのり微笑んで頷いた。


「大丈夫。お兄さんは泣いてたエーファ抱っこしてくれたからとても優しいの。ねぇ、お兄さんは兵隊さんだよね? 聞きたい事があって、エーファ内緒で会いに来たの……」


 喋らない子。そう聞いていた筈だが存外彼女はよく喋る。面食らいつつも、なるだけ優しく「何だ」とけば、彼女は真っ直ぐにテオファネスを見上げた。


「……エーファの本当のお兄ちゃん、兵隊さんに行っちゃったの。お兄さんに雰囲気は似てるの。白い髪で背が高くてスラっとしてて……テオドール・チェルハっていう名前。お兄さんは私のお兄ちゃんを知らない?」


 そう聞かれて、テオファネスは眉を下げた。


「悪いが、俺はシュタール兵。エーファの兄さんがベルシュタイン兵だとしたら、同盟軍とはいえ、さすがに俺にも分からない」


 そもそも軍人の数など腐る程いる。同じ配属先なんて奇跡に等しい。それも戦場では三帝国がごちゃ混ぜの混沌状態。味方だとしてもまず名前は分からない。


 ほとぼりが冷めた後に、地面に転がり死亡者の認識票を回収するにも、その名を見ようが全ては覚えていられない程だ。


「そうなんだ……」

「ごめんな。力になれなくて」


 詫びれば、彼女は首を横に振るい「ありがとう」と愛らしい声で礼を言う。しかし、彼女は壁掛け時計を見るなりに慌てた様子で目を丸くする。


「いけない。エーファもう帰るね。アルマもうすぐ来るでしょ。秘密で会いに来たのバレたら、アルマに嫌な思いさせちゃう。お願い、アルマに私が来たこと内緒にして欲しいの」


 そう言うなり、彼女はパタパタと慌ただしく走って部屋を出て行った。


 ……しかし、嫌な思いをさせるとは。どうにも妙に言葉が引っかかる。

 エーファの消えたドアを見つめたまま、テオファネスは深く息をついた。

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