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27 それが〝送り出す〟という事

その日、夕食を終えた後だった。


「懺悔に来た人がいます。どなたか二人、礼拝堂までお願い致します」


 突如駆け込んで来た修道女にそう言われて、アルマとアデリナは自ら率先してそれを引き受けた。


 単刀直入に言えば、皿洗いの当番で無かったからだ。


 同じく当番でないゲルダに関しては、夕食の席で子どもたちに本を読んで欲しいと捕まっていた。エーファはまだ、この務めには就いていない。

 そこで一番場数を踏んでいる自分達が出向いたのである。


 懺悔に来た人、そして自分たちエーデルヴァイスが呼ばれる場合は間違いなく、人の心の影と対峙するためである。

 しかし、こういった事は年間で十回も無い。


「久しぶりだから、上手くいくか不安になってきた……」


 思ったままを言うと「大丈夫大丈夫」と、アデリナに軽い調子で言われて僅かに心の強ばりが和らいだ。


 そうして二人は礼拝堂に辿り着く。

 暗い祭壇の左右には数多の蝋燭の炎が揺らいでいた。  

 礼拝堂の座席の端には小柄で細身の女性の姿があった。細い背や白髪交じりの毛髪を見る限り初老女性とおぼしい。だが、振り向いた女性の顔を見て、存外そこまで歳を取っていない事が分かった。


 四十代半ば、或いは五十代程だろうか。

 その背にはふわふわと黒い影が蠢いており、まるでおぶさるように彼女の背に纏わり付いていた。


「お待たせ致しました。私、金曜に宛てられたエーデルヴァイス、アデリナと申します」


 レースをふんだんにあしらったスカートの裾を摘まんでアデリナはれんに一礼する。それに倣ってアルマも同じように名乗り礼をした。


 そうして今一度、婦人の顔を見ると、彼女はつぶらな目でアルマとアデリナを交互に見るなり。「どうか愚かな私を赦して下さい」と大粒の涙を溢して俯いた


 しかし、その途端、どこか聞き覚えのある音がした。しゃらりと軽い金属音──その正体は。


 アルマがその正体を辿れば案の定だった。彼女の手に鎖付きの認識票が握られていた。

 それを持つ……つまり軍に服役した身内が死した事が結び付く。


「どういったお悩みでしょうか」


 見当が付こうが聞くしかない。すると、案の定〝一人息子が戦地で死んだ〟と、彼女はさめざめと答えた。


 ──召集令状が届いたものの、息子は服役したくなかったらしい。

 国の為に戦える事は男として誇らしいこと。刃向かうなど言語道断。「嫌だ」という息子に痺れを切らし、夫と無理矢理に送り出してしまったそうだ。


 戦争に行こうが死ぬ筈無い。何せ、無敵の三帝国だ。きっと生きて帰ってくるだろう。誰も死にやしないだろうと信じていたらしい。

 だが、帰ってきたのはこの認識票だけ。息子は僅か十九歳でこの世を去り、異国の地に埋められたらしい。


 婦人はさめざめと泣き〝どうして送り出してしまったのか〟と懺悔をする。そして、無敵の三帝国でないのか。と悲痛な声で叫んだ。


 しかし、それに対してどう返して良いか分からない。自分たちはこの人の心に直接干渉し、赦しを与える事しかできないのだ。

 赦しの力とは人の心に干渉する事。実際に何から何まで救える訳でない。〝気付かせる事〟がこの務めである。


 しかし、この嘆きを聞き続けているのも心苦しくなってきた。

 アルマはアデリナをいちべつすると直ぐに視線が交わり合った。言葉にせずとも「そろそろ始めよう」と言っているに違いない。そう確信して、アルマとアデリナは婦人の肩に手を触れる。


「分かりました。その嘆き、私たちが受け入れます」


 そう告げた後、アデリナは胸のポケットから小さな金のベルを取り出した。


「目を瞑って下さい。その心どうか私たちを入る隙をお与え下さい」


 アデリナがそう語りかけ、ベルを二つ鳴らしたと同時──次第に視界が暗くなり始めた。


 --- 


 その女性の救済を終えたのは午後八時近くだった。

 この務めは人の心そのものに飛び込み、深層にいる影を赦す。

 影とは、本人が作り出した意識のひとつだ。それと語らい、ただただ祈りを捧げるだけだが、祈る時点で影は薄まるなり消えるなりする。


 しかし、この務めの本質は気づきや戒めを与えるものだ。


 あの女性の場合は「決して息子を忘れぬ事」「敬い、思い続ける事」「同じ過ちを繰り返さぬ事」それらを彼女は自ら心に刻んだ。


 これこそがエーデルヴァイスだけが行える務めだが、人の心奥深くに飛び込むので、儀式後は疲労困憊するものだった。


 こうして二人体制で務めを行う理由は、人の心の中に飲み込まれる事を回避する為だ。


 人の心とはまるで深い水の中のよう。

 或いは迷宮ともたとえられる。


 初めは影が助けを求めるように蠢いているので、深層まで辿り着くのは容易だが、帰る方が困難だ。道しるべもなく感覚だけで戻ってくる。だからこその二人。互いが命綱となり、帰り道が分からないなんて事を避ける為である。

 別に人の心から戻れなくなるとしても死ぬ事は無いが、数日気を失う羽目になる。また干渉時間が長すぎると、数ヶ月酷い頭痛に悩まされるなどという事も。


「なんだかドッと疲れちゃった。でも良かったね。あのご婦人、少しほっとしたような、何か悟ったような顔で帰って行ったし」


 肩を回しつつアデリナは苦笑いで言う。


「そうだね。本当に久しぶりだったし疲れちゃった。私も今日はもうテオの部屋に寄ったら、宿舎に戻ってシャワーを浴びたら直ぐ寝たい気分……」


 気怠げに返した途端だった。


「──いい加減にしろよ!」


 中庭から男児の罵声が響き渡ったのである。

 声だけで分かる。間違いなくあの双子のうちのどちらかだ。アルマは直ぐにアデリナと顔を見合わせて、声がした方に向かって急ぎ走った。

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