十一月二十日。
雪が毎日降って、起きるのも本気で億劫になって来た。
だけど、どうにもテオの状態が悪い。もうかれこれ二週間はこの調子だ。精神的には元気そうだけど、何をしても良くなる兆しが無い。
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そこまで書いて、アルマはため息をつき、過去のページを振り返った。
二週間ほど前、テオファネスは「関節部位が痛い」と言った。
「希にある事」と聞いたのでその時ばかりは深く気にしなかったが、その日の晩も、翌日の昼間も彼は途端に痛みに耐える姿勢を取った。
本当に大丈夫なのかと
しかし、こうも頻繁になれば気がかりだ。原因が
そこで、カサンドラ准士官へエーファの兄の件のお礼と共にこの旨の手紙を出したが、二週間経過した今も返事はなかった。
相変わらず、軍務が忙しいのだろう。それでも、ここまであからさまに体調が悪そうな彼を見た事が無い分、アルマは焦燥に追いやられて、その一週間後にもまた手紙を送った。
何せ、日に日にテオファネスの顔色が悪くなってきたからだ。
元々色白ではあるが、今では血の気が失せて常に青白い。それでも精神的には安定しているのか、態度は普段と至って変わらない。
しかし、子どもたちの授業には出ても外に出ようとしなかった。
その理由について
────本当、どうしたのかな。どうにかできないの。なるべく休養を取って無理をさせないようにしてるけど。
アルマはパラパラと日記を遡った。
約半年、日記は毎日綴り続けた。その日のできごと他、心に働きかけるレメディーの知識、ハーブの効果など復習をかねてアルマは詳細にメモを取っていた。それから院長やゲルダから教わった有益な話なども。
何かヒントになるような事は無いだろうか。そう思いつつ遡る中、六月二十五日のページに辿り着き、アルマはぱっと目を丸くした。
──東の国々では血行を良くする事によって、未病を鎮める効果があると、マッサージが有効と言われている。
自律神経に働きかけ、心身を穏やかに保つ事が出来る他、血行が促されるので節々の痛みが軽減される。
自分の綴った一文を見て、なぜコレを忘れていたのか。とすぐに思った。だが、その日の日記を読めば理由は明白だ。触ったら照れられた……と。
確かに、あの時のテオファネスの取り乱し方はなかなかに酷いものだった。
あの時、自分は完全に無意識だったが、今となれば随分恥ずかしい事を無理矢理したように思えてしまい、アルマは首まで赤くなる。
───少しでも痛みが楽になるなら。これはアリかもしれない。だけど、血行を良くするだけならお湯で暖めたリネンで温湿布にして数分置くのも効果はありそう。
彼の身体は半分は金属だ。
もしかしたら気温の変動が関係あるのかもしれない。そんな憶測が過った。
ふと頭に浮かんだのはアルミニュウム製のスプーンだった。
アルミニュウムのスプーンで熱々のスープなんて飲めやしない。何せ金属は熱を伝えやすいからだ。その逆も然り。金属は冷えを伝えるのも早い。
真冬に鉄製のノッカーなんて冷たくて触りたくもない。それと同じ事が今彼の身体に起きているのではと
思えば、初めて痛そうなそぶりを見せたのは、寒くなり初めてからだ。彼曰く、寒さはあまり感じないとはいえ、人体には間違いなく影響を与えているに違いないと憶測出来て、この説は大いに正解に近い気がして仕方ない。
────リラックス効果の高いラベンダーの精油をお湯に入れて作っても良さそう。でも、日中に使うならラベンダーより甘みが抑えられたラバジンが良いかも知れない。
ラバジンとはラベンダーの交雑種。男のラベンダーとも言われる程。香りは上品なものだ。少しすっきりした心地もするし。昼に使うのは良さそうだ。
暖める、血行…………心に働きかける香り。と、ぶつぶつと呟きつつ、アルマは本日の日記の続きにそれを綴った。
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そして、翌日──朝食中。
食堂で黒いパンを頬張るテオファネスの隣でアルマは温かいミルクを啜りながら、彼の方を時折盗み見ていた。
食欲はあるようだが、顔色は相変わらず良くない。
だが、思い出すと食後
────間違いない。体温調整が上手に出来ないのかも。
ぼんやりとそんな事を考えていれば、咀嚼を終えた彼が少しばかり居心地の悪そうな顔をアルマに向けた。
「……で、アルマどうした。さっきから視線を感じるんだが」
そう言いつつも、彼はカップを手にとって温かいミルクをゆっくりと飲み始めた。
「あのね。テオにちょっとお願いがあって。今日は授業をやるなら午後からでしょ?」
「で……午前は部屋で過ごすでしょ? それでね、洗濯とか終わったら部屋に行くから、ちょっとテオの身体触っても良い?」
単刀直入に言ったと同時──テオファネスは、カップから唇を離して慌てて口元を押さえる。
「オゴォ」
彼の口から、変な音がした。
しかし、自分でも言葉が足りなすぎたように思った。否、足りなすぎただろうか。理由を言っていない。
やらかした……。アルマは、真っ赤になる。
それに妙に視線が突き刺さる。真正面でパンにバターを塗っていたアデリナはぽかんと口を開けており、その隣のゲルダはフォークを握ったまま、真っ赤になってプルプルと震えていた。
「……あ、えっと。あのね。結構前に血流良くするマッサージをやったでしょ? 今回はその、テオの節々の痛みに効くかもって昨晩ちょっと自習してたもので」
慌ててアルマが説明すると、彼は押さえていた口元を離すなり、ジトリとした視線をアルマに向ける。
「……あぁうん。してくれたね」
「そうそう、それ! テオって人に触られるの苦手みたいだし、あんまり触らないで済む方法思いついてね!」
慌てて言えば、テオファネスは少し照れくさそうに苦笑いを溢した。
「うん。それは構わない。っていうか、体調の事、気遣ってくれてありがと」
そう言って、彼はカップのミルクを飲み干すと「部屋に戻る」と言って立ち上がり、トレーを流し台に持って行くと、そそくさと食堂を出て行ってしまった。
そうして、彼の退出を見送った後、二つのため息が目の前から同時に響く。
その正体は、間違いなくアデリナとゲルダで……。
アルマは頬を掻きつつ、乾いた笑いを溢すと、二人は顔を見合わせた後またも大きなため息をつく。
「……アルマ。あれはまずいわ」
「まったくよ。殿方に身体を触っていいかなんて、はしたないでしょう。というか、変な勘違いされたっておかしくないでしょう?」
テオファネスさんじゃなかったら危ないわ。なんて、二人は同時に言う。
もっともな事だ。
「そ……そうだね、気をつけないと」
アルマは頬を掻きながら答えると、二人は同時にやれやれと首を横に振るう。
「……でも、アルマ本当に偉いわ。テオファネスさんの担当になってから、寝坊も減ったものね」
「確かにそれは言えてる。消灯時間ギリギリまで電気がついてるものね。薬草学とか色々と調べて勉強してるって分かるし。それに東洋医学のマッサージだっけ。あれだって図書室から探ってきた知識でしょう? すごいわよ、まるで薬師みたいじゃない。」
二人に褒められて、アルマはどんどん照れ臭くなり頬を赤くする。
「……うん。勉強なんて大嫌いだったけど、調べるのも今は苦じゃないの。テオ、ずっと体調悪そうで少しでも楽にさせてあげたいなって思ったの」
──ただ不器用なりの努力。恩もあるの、だからテオの事を助けてあげたい。
そう付け添えて笑むと、彼女らはどこか感慨深そうに頷いた。
「だけど……アルマ」
ゲルダが言葉を切り出すが、彼女は「やっぱり何でも無い」と直ぐに笑んで首を振る。
「どうしたの?」
思わず聞き返すが「大した事ないからわ」とゲルダはニコニコと笑む。きっと深刻な話でもないのだろう。そう思えて、アルマはそれ以上聞かぬ事にした。