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Chapter6.生きる喜びと永遠の約束

40 秘密が割れた日

 真っ白な花──エーデルヴァイスが咲き乱れる高山地帯にアルマはいた。頭上に青々と広がる空は、手が届きそうな程。

 吹く風は暖かく穏やかで緑の匂いを存分に含んでいた。

 眼下に広がる景色は牧草地。青々とした湖の近くには見慣れた修道院がある。


「ここは……」


 私はどうしたのだろう。テオファネスの心から現実へ戻ってきた筈だ。アルマは訝しげに眉をひそめていれば、少し先からテオファネスが呼ぶ声がした。


「テオ!」


 アルマは少し離れた先に居る彼の姿を見つけて、急ぎ駈け出した。その途端、煌々とした光に視界が覆われアルマは目を瞑る。暫くして、目を細めて開ければ彼の背後に金に光る扉があった。


「ごめん。ちょっと俺、行ってくるよ」

「行くって、どこへ?」


 不安に思ってアルマが尋ねた瞬間だった。彼の背後に現れた金の扉が音も無く開く。


 扉の先の世界は瓦礫の山。烈しい音を立てて真っ赤な炎が揺れていた。

 やがて聞こえ出すのは腹に響く重低音。恐らく砲弾を放つ音だ。人の悲鳴に怒号、悪夢のような共鳴にアルマは畏怖に顔を歪ませる。


 彼は何も言わなかった。

 寂しそうな、どこか申し訳なさそうな顔をしてアルマを一瞥すると背を向ける。


 途端に、彼の患者衣は灰色の兵士の服になった。

 背には長銃を持ち。腰のポーチには小型銃や薬莢、ナイフ、手榴弾のようなものまで携えている。


 ほんの少し名残惜しそうにこちらを見て。震えた唇で何か言葉を紡いだ。


 ───行ってくる。


 簡単にそれは読み解けた。


「ダメ! 待って! なんで、どうして……!」


 アルマは叫び、彼を追う。しかし、一向に扉に近付けず、歩み出したテオファネスは扉の向こう──炎の中に消え去った。


 光る扉は音も無く閉まり、一瞬にして金色の光となって消え失せた。まるで光虫のよう。それは一面の白の花畑にふわふわと漂う。


「いや……嫌、どうして? どうしてなの……」


 まるで水底に沈んだかのよう、視界がぐにゃりと歪んだ。ぼたぼたと熱い雫は垂れ落ちてアルマは背を震わせ嗚咽を溢す。


 もういいじゃないか。充分に彼は戦った。

 最後の時を幸せに過ごす為にこの修道院に来たのだ。なぜにまたも戦場に行かねばならない。


「嫌。離れないで。愛してるって言ってくれたじゃない……テオ、テオ……ねぇ、こんなの酷いよ。私を置いて行かないで……」


 両手で顔を覆ってアルマは啜り泣く。

 その途端だった。またもどこか遠くから自分を呼ぶ声が聞こえ始めた。その声は複数だ。


 アルマ……アルマ、しっかりして……。と……。


「起きて」と、はっきりと聞こえた瞬間だった。視界がぱっと明るくなる。歪んだ視界の先にはアデリナやゲルダ、エーファの姿……そして久しく見た母の姿がそこにある。


 彼女らの合間から覗く天井はよく見慣れた木目調。少し視線をずらせば、チェスナットブラウンの古びた書き物机がある。


 それだけで宿舎の自室と気付いた。アルマは涙で濡れた目を擦り、身体を起こそうととするが妙に気怠い。喉もひりつくように痛く、息苦しく感じた。


「だめよ。まだ動かないで。横になっていなさい」


 そう諭した母は、アルマの前髪を撫で、上掛けを首元までかけた。そうされている合間にふわふわと彷徨っていた意識は定まり、これが現実だと直ぐに悟る。


 ……そう。自分はあの夜、寿命を迎えたテオファネスの心に入り、彼の影を赦した。


 本来ならば二人で行う筈の儀を一人で行ったのだ。

 かろうじて現実へと帰って来たものの、とんでもない負荷がかかり倒れてしまったのだと想像は容易い。そして悪夢を見ていたのだと……。


 しかし、なぜにこの場に母がいるのか。テオファネスはどうなったのか。彼は無事か。ここに母が居るという事はテオファネスの事が割れたのではないか。そんな不安がドッと過る。


「まったく、あなたって子は。誰に似たのか、本当に無鉄砲なんだから……」


 呆れたように母は言って、アルマの頬を優しく撫でる。


「アルマ。心配してるようだから先に言うけど、テオファネスさんは無事よ。彼はもう起きている。事情は全て聞いたわ」


 ため息交じりにゲルダは言う。無事と分かりアルマは安堵するが、母の前だ。

 彼の存在は門外不出……隠蔽しなくてはならない。


「でも、その……それは」


 痛む喉でアルマが言えば、ゲルダは首を横に振り、一つ息をつくと話を続けた。


「アルマ。貴女、彼と湖の畔で倒れていたの。アルマが夜半に出て行った事は気付いたけど、一向に帰ってこない。心配になってアデリナと探しに行けば、二人が湖畔で倒れていたの。明け方三時くらいかしら」


 今はそれから十二時間以上、もう夕方になるわ。と付け添えて、彼女は時計に視線を向ける。

 同じように壁掛け時計を見ると、針は午後三時五十分を示していた。


「テオファネスさんは昼前には目を覚ましたわ。あの不調が嘘みたいに元気よ。貴女が赦しの力を一人で使ったと言ってたわ」


 ……それで、どうにか二人でアルマを担いで部屋に運んだ。

 その後、急ぎ湖に戻ってテオファネスを二人で担ごうとしたが無理だった。


 金属を含む身体の所為か彼の身体は異常に重たい。それも力が抜けた状態だ。流石に運ぶ事ができず、急ぎ院長に急ぎ相談した所、彼を運ぶには男性の手があった方が良いだろうとの事。


 止む終えない事態だ。そこで、アルマの実家に駆け込み、アルマの父を呼び雪車そりを使って彼を運んでもらった。と……。事の経緯をゲルダは熟々と語った。


「そうだったんだ……」


 門外不出の案件だ。これが親に割れたとなると、ややこしくて頭まで痛くなってくる。しかし少し喋っただけで、やけに喉がひりつく。


 風邪を引いたのだろうと、すぐにわかる。その証拠と言わんばかりにベッドサイドのナイトテーブルに薬袋が置かれていた。


 それからアデリナやゲルダ、エーファは孤児院の仕事に戻ると席を外した。

 母親と二人きりになってしまい、妙にアルマは気まずく思った。


 アルギュロス最悪な兵器を修道院が匿っていただの、ましてそれを娘が付きっ切りで看ていただの親としてみれば心配必須だ。軍に明かしたっておかしくない。


「……お母さん」


 アルマが弱々しく言えば、母はニコリと笑んでまたもアルマの頬を優しく撫でる。


「お医者様が言ってたけど、貴女……肺炎を起こしかけてるのよ。今はゆっくり休みなさい。貴女が不安がる事なんか何も無いわ」


 優しく母は語りかけるが〝不安がる必要は無い〟という言葉が引っかかる。


「テオは……テオはその……」


 その言葉に、母はアルマにニコリと笑んだと同時だった。こうもせずに部屋の扉が開き、そこには自分と同じこういろの髪の父と……隣にはテオファネスの姿があった。

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