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第21魔:堕理雄君

「お、菓乃子、俺があげたブックカバー使ってくれてるんだ」

「うん、毎日使ってるよ」


 堕理雄君がテーブルの端に置いてある、文庫本のブックカバーを見て言った。


「その本の厚さから言って、B同人小説でしょ菓乃子氏?」

「沙魔美、お前はいつもそればっかだな」

「あははは」


 当たってるけど。

 流石壁サーの沙魔美氏、Bに対する嗅覚はキイロショウジョウバエ並みだ。


 今日は堕理雄君と沙魔美氏が、私の家に遊びに来てくれている。


「ところで私が誕プレであげた百合漫画は読んでくれた?」

「う……読んだけど、あんなにエッチな内容だとは思わなかったよ」

「そんなにもか(ゴクリ)」

「あなたには読ませないわよ堕理雄。あれは私と菓乃子氏だけの、秘密の花園なんだから」

「べ、別に読みたくはねーよ」


 ……読みたかったのかな?

 まあ、私もアレを堕理雄君に読まれたくはないけど。


「未来延さんの製麵機は使ってみた?」

「あ、それはまだだけど、今度使ってみるよ。二人にもご馳走するね」

「いや、菓乃子! そんな無理して使わなくてもいいんじゃないかな!? 素人には扱いが難しいだろうし!」

「あ、そうかもね……」


 何だか最近、堕理雄君が私の前で、料理の話題を避けてるような気がする。

 なんでだろう?


「ではこの流れで、マイシスターの誕プレのアルバムを見せてもらおうかしら。何なら全写真のマイシスターの額に『内』って書きましょう」

「『肉』じゃなくて!? ……ごめん、あのアルバム、どこかにしまったはずなんだけど、場所を忘れちゃって……」

「何だ、残念。じゃあ次来る時までに探しておいてね。堕理雄、そろそろ私達はおいとましましょっか」

「そうだな。お茶ご馳走様、菓乃子」

「どういたしまして。二人共また来てね」

「あたぼうよ!(江戸っ子)」

「またね、菓乃子」

「うん、またね」

「あっ、そうだ(唐突)」

「え?」

「そういえば菓乃子氏、私諸星つきみ先生とお友達になったのよ」

「えっ!? あの諸星つきみ先生と!?」

「その話も今度ゆっくりするわね。じゃあの」

「う、うん……」


 ……行ってしまった。

 とはいえ、二人が帰る堕理雄君の家は薄い壁を隔てたすぐ隣なので、耳をすませば二人の生活音も聞こえるのだけど。

 しかし、流石沙魔美氏。

 あの諸星先生とお友達になるとは……。

 それはそうと、沙魔美氏にアルバムのことを聞かれた時は焦ったな。

 実はアルバムの置き場所は忘れていなかったけど、絶対に二人に見られるわけにはいかなかったのだ。

 私は抽斗の奥からアルバムを取り出して、パラパラとページをめくった。


 全てのページの写真は、真衣ちゃんの部分だけが切り取ってあった。




 私と堕理雄君が初めて会ったのは、高校一年生の時。

 私はお父さんの仕事の都合で、高校一年の二学期から堕理雄君と同じ高校に転校して来て、その時堕理雄君ともクラスメイトになった。

 席も隣同士だった。

 とはいえ、当時はただ席が隣というだけで、特別親しかったわけじゃないんだけど。

 私は転校したてで友達が出来るか不安だったけど、運良く梨孤田りこたさんという女の子とすぐ仲良くなった。

 梨孤田さんは美人でコミュ力が高く、かつ頭も凄く良かったので、クラスの中心的な存在だった。

 いつも梨孤田さんの周りには、取り巻きの女の子達がたくさんいた。

 そんな梨孤田さんと友達になれたのは、僥倖と言ってよかったと思う。


 でも、中間テストの結果が出た途端、状況は一変した。


 勉強くらいしか取り柄がなかった私は、それまでずっと成績が学年一位だった梨孤田さんを抑えて、学年一位になってしまったのだ。

 それ以来私は、露骨に梨孤田さんから無視されるようになった。

 クラスのみんなも、梨孤田さんに迎合して皆一様に私を避けた。


 そんな中、堕理雄君だけは今までと変わらず、私といつも通りに接してくれた。


 だが、皮肉にもそのことが、私を更なる苦境へと誘った。

 梨孤田さんは堕理雄君のことが好きだったのだ。

 私が堕理雄君に優しくされるのが面白くなかった梨孤田さんは、私を徹底的にイジメるようになった。

 上履きを隠されたり、教科書に落書きをされたり等のお決まりのイジメだったが、まだ高校生になって間もない私には、とても耐えられるものではなかった。

 私は学校を休みがちになり、遂には不登校になってしまった。


 そんなある日、私の家に堕理雄君が一人でやって来た。


 私は堕理雄君の突然の訪問に大層慌てたが(パジャマ姿だったし……)、堕理雄君は一言、「もう大丈夫だから学校に来いよ」とだけ言って帰って行った。

 私は何のことかわからず混乱したが、堕理雄君の顔を思い浮かべたら、不思議と勇気が湧いてきて、次の日、緊張しながらも久しぶりに登校した。

 すると、クラスの雰囲気が噓の様に変わっていた。

 今まで私のことを無視していた人達は、みんな罪悪感に満ちた顔で私に謝ってきた。

 梨孤田さんだけは私と目も合わせようとはしなかったが、悪質なイジメは一切なくなった。


 あの時、私がいない間に、クラスに何があったのかは未だにわからない。

 ただ一つだけ確信しているのは、堕理雄君が何かをしてくれた結果、こうなったのだろうということだ。

 しかし堕理雄君はそのことをおくびにも出さず、何事もなかったかの様に、私に笑いかけてくれた。


 そんな堕理雄君に私が恋心を抱いたのは、ごく自然なことだった。


 でも、私はその気持ちを堕理雄君に伝えられないまま、いたずらに時は過ぎていった。

 幸い私と堕理雄君は三年間ずっと同じクラスで、席も隣になることが多かったから、私達の仲は少しずつ、だが確実に深まっていった。

 そして三年生の緑が紅く染まる頃、私はズルい手を使った。

 ある日、堕理雄君と二人で下校する機会があったのだけど、その帰り道、私は堕理雄君にこう言ったのだ。


「……そういえばさ、私達って、みんなから付き合ってるって思われてるみたいだよ。知ってた?」


 私は少し上目遣いで、堕理雄君を覗き込む様に言った。


「あ、そうなんだ……」


 嘘ではなかった。

 実際あの頃私と堕理雄君は学校ではいつも一緒にいたし、二人だけで出掛けたことも何度かあった。

 恐らくだけど、堕理雄君も私のことを憎からず思ってくれているのは感じていたし、ズルいとは思いつつも、ジャブを入れてみたのだ。

 すると堕理雄君は、


「……じゃあ、いっそ付き合っちゃう?」


 と言ってくれ、晴れて私達は恋人同士になった。




 今思えば、あの頃が私の人生で最良の時期だった。

 毎日がフワフワとした温かい膜に包まれた様で、堕理雄君と一緒に見る景色は、全てがキラキラと輝いて見えた。

 私の両親が仕事で遅い日は、私の家で何度も身体を重ねた。


 だがそんな幸せな日々は、長くは続かなかった。


 堕理雄君は私が推薦を貰えていた国立大学を志望してくれた。

 堕理雄君の成績では合格は難しいと担任の先生には言われたが、堕理雄君は勉強をやらなかっただけで、元々頭の質は良かったのだ。

 その証拠に、私と一緒に受験勉強を頑張っていく内に、見る見る成績は上がっていった。

 これは合格確実だと思われた矢先、不幸は襲ってきた。

 勉強を頑張りすぎた堕理雄君は、受験日前日に体調を崩してしまったのだ。

 当日、38度以上の熱にうなされながらも必死に戦った堕理雄君だったけれど、合格には惜しくもあと一歩及ばなかった。


 こうして私と堕理雄君の旅路は別れた。


 今でも私は、あの頃のことを後悔している。

 私がもう少し、堕理雄君の体調に気を配ってあげられていたら――。

 不合格になってしまった堕理雄君に、励ますような言葉をかけてあげられていたら――。

 今でも私達の関係は続いていたかもしれない。


 いや、違う。

 それらは所詮言い訳だ。

 一番の問題は、塞ぎ込んで私から離れて行こうとする堕理雄君に、自分から歩み寄れなかった私が悪いのだ。


 でも全ては後の祭り。

 私がどれだけ後悔で心が焼け焦げようとも、二度とあの時間が戻ってくることはない。


 結局私は臆病者なのだ。

 大事な局面でいつも自分から一歩踏み出す勇気が持てず、目の前で大切なものが手から零れ落ちていくのを、ただただ見ていることしかできない。

 そのくせそれを諦める覚悟も持てず、いつまでもダラダラと幸せだった頃の思い出を引きずっている。


 そんな中、この街で偶然堕理雄君を見掛けたことは、今から見れば運命の悪戯としか思えない。

 しかしそれは同時に、私を絶望の淵に叩き落す濁流でもあった。

 堕理雄君は、この世のものとは思えない程、美しい女の子と並んで歩いていたのだ。

 そして二人は小さなアパートの中に消えていった。

 郵便受けの名前を確認すると、そこには確かに『普津沢』と書かれていた。


 その日はどうやって家に帰って来たのかも覚えていない。

 ご飯も喉を通らず、ベッドに横になってからも、堕理雄君が彼女と幸せそうに歩いている光景が何度も目に浮かび、結局朝まで一睡もできなかった。


 思えばあの時の私はどうかしていた。

 私は一睡もしていないボーっとした頭のまま、堕理雄君のアパートの近所にある不動産屋に赴き、あのアパートに空きがないかを尋ねた。

 幸か不幸か、堕理雄君が彼女と消えていった部屋の、まさにその隣だけが空いているという。

 私は一瞬だけ逡巡した後、覚悟を決めて、その場ですぐその部屋を契約した。

 家に帰って両親に一人暮らしをする旨を話すと、随分訝しい目で見られたが、適当に出まかせを言って、無理矢理誤魔化した。

 心の中は罪悪感で満ち溢れていたが、不思議と後悔の気持ちだけはなかった。

 あの瞬間、私は生まれて初めて自分の意志で、一歩を踏み出したのだ。

 それが決して誰からも称賛されることのない、穢れた道だったとしても。


 私にとって残る一番の問題は、堕理雄君の部屋に挨拶に行く際に、あくまで偶然の引っ越しを装うことだった。

 幸い堕理雄君とその彼女にも、私が意図的にここに越してきたことは悟られなかったようだ。

 その彼女が魔女で、更に腐魔女で、私と腐レンドになるとまでは、夢にも思わなかったけれど。

 でも沙魔美氏のことは、本当に大切な友達だと思っている。

 私と違って自分に正直で、好きな人にあんなにも真っ直ぐ自分の気持ちをぶつけられる沙魔美氏を、私は心の底から尊敬している。

 ただ、私の中の全く別の場所で、沙魔美氏に対して延々と燃え続けている嫉妬の炎は、堕理雄君と沙魔美氏が二人で歩いているところを初めて目撃したあの日から、一秒たりとも消えることはなかった。


 私は本当に卑怯者だ。

 表向きは堕理雄君や沙魔美氏と友達として接しておきながら、心のどこかで堕理雄君が、また私に振り向いてくれるのではないかと期待している。

 そのためにいろいろとズルいこともやった。

 本当は昔程ゴキブリが苦手ではなくなったのに、キッチンにゴキブリを見掛けた途端、部屋の鍵を開けてから堕理雄君に助けを求めた。

 みんなで海に行った時のビーチバレーでも、ワザと水着をはだけさせて、堕理雄君に抱きついて誘惑した。

 私の誕生会の時も、本当はあの日、誕生会を開いてくれることを私は事前に知っていた。だってこのアパートの壁はとても薄い。みんなが誕生会の準備をしている声は丸聞こえだった。

 だからこそ私はミニスカートを穿いていき、ここでも堕理雄君を誘惑しようと試みたのだ。

 お酒を飲んでからの記憶が一切ないのは怖かったけれど……。


 でも私がどんなズルい手を使っても、堕理雄君の気持ちは沙魔美氏から一ミリも離れることはなかった。

 あの二人は私なんて足元にも及ばないくらい強固な、絆という名の鎖で結ばれているのだ。

 悪い言い方をするなら、それは『呪い』と表現するのが一番適切かもしれない。

 ただ、だからこそそれは、この世のどんな愛の形よりも強い。

 たとえ神であろうとも、あの二人の仲を引き裂くことは決してできないだろう。


 それはわかっている。

 何度も自分に言い聞かせて、それはわかっているはずなのに、私は未だに堕理雄君への気持ちを断ち切ることができずにいる。


「堕理雄……アァ……堕理雄……堕理雄……」

「沙魔美……くっ、沙魔美……」


 今日も薄い壁の向こうでは、そんな私の気持ちを一蹴するかの様に、二人は愛を確かめ合っている。


「……堕理雄君……ハァ、堕理雄君……」


 そんな二人の情事を盗み聞きながら、今日も私は自分で自分を慰める。


「……堕理雄君」


 私は最低だ。

 私は私が大嫌いだ。

 でも卑怯者の私は、明日もきっと善人の仮面を被って、何食わぬ顔で二人に微笑みかけるのだろう。

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