「や、病野様……それでその……犯人は?」
オーナーが子供の様に怯えた眼で、俺に様子を伺ってきた。
俺は何と言えばいいものか頭を悩ませたが、ふと沙魔美を見ると、「あなたに任せるわ」といった目線を送ってきたので、結局俺は、事実をありのまま伝えることにした。
「……非常に不可解ではありますが、犯人の姿はこの部屋のどこにも見当たりませんでした」
「なっ!? そ、それじゃあ、犯人はどこに!?」
……それはこっちが聞きたいくらいですよ。
「オーナー、この部屋には、隠し通路の様なものはあったりしませんか?」
「え、隠し通路? ……いえ、そんなものはないはずです。宿泊施設として、信用に関わりますので」
「……そうですよね。すいません、変なことをお聞きして」
「い、いえ……滅相もございません」
正直オーナーが噓をついている可能性もゼロではないが、今はそこまで疑い出したらキリがない。
とりあえず、まだこの周辺に殺人鬼が潜伏している可能性が高い以上、各々が一人でいるのは危険だ。
「オーナー、まずはこの宿に泊まっている方達を、全員一ヶ所に集めませんか? 犯人はまだこの近くにいると思われますので、一人でいたら犯人に狙われてしまうかもしれません」
「わ、わかりました。各お部屋を回って、先程の食堂にみなさんお集まりいただくようにお声を掛けてまいります」
「俺達も一緒に行きます。……奥さん、大丈夫ですか?」
俺は、余りのショックに呆然と立ち尽くしている愛人さんに、そっと声を掛けた。
「え……ええ……大丈……夫、です」
とても大丈夫そうには見えなかった。
とはいえ、一人でここに残しておくわけにもいかない。
「……ここは危険です。まずは一旦、俺達と一緒にこの部屋を出ましょう」
「…………わかりました」
去り際、愛人さんは上木の遺体を一瞥して嗚咽を漏らしたが、今はゆっくりと慰めている余裕はなかった。
「黒田様! 黒田様! いらっしゃいませんか!? 黒田様!」
オーナーが1号室の扉を叩いて、黒田の名前を呼んだ。
黒田は1号室に泊まっているのか。
ちなみに1号室は食堂とロビーに一番近い部屋だ。
そして俺達の泊まっている5号室が、一番遠い部屋ということになる。
「おかしいですね、返事がありません。あれ? 鍵が開いてる……」
!?
鍵が開いてるだって!?
普通こういうところに泊まる人は、部屋の鍵は掛けておくものではないだろうか。
それなのに、掛けてないってことは……。
「オーナー! 部屋に入って黒田さんの安否を確認しましょう!」
「え、ええ、そうですね。黒田様! 緊急時ですので、失礼させていただきます!」
オーナーは律義にそう断ってから、1号室に足を踏み入れた。
だが、結論から言うと、1号室の中に黒田の姿はなかった。
例によって俺達は部屋の隅々まで黒田を探したのだが、黒田はどこにもいなかった。
……これをどう考えるか。
やはり、黒田が最有力の容疑者ということになるのだろうか。
確かにあの男は、ただならぬ雰囲気を纏っていた。
有り体に言ってしまえば、まるで殺し屋の様だった(もちろん俺は、実際に殺し屋に会ったことはないが)。
やつなら一瞬で胴体を切断し、あの部屋から煙の様に消え去ることも、できなくはないような気がする。
どうやって? と、聞かれたら、閉口せざるを得ないが……。
「オーナー、黒田さんの捜索は一旦後回しにして、先に他の方の安否を確認しましょう」
「あ、そうですね。でも、あと残っているお客様は、
「わかりました」
宅麻っていうのは、もしかしてタックンのことかな?
タックンって苗字だったの!?
普通こういうあだ名って、下の名前から取るものなんじゃないの!?
この分だとユミユミも、
つくづく変なカップルだ。
「あれ? みなさん神妙な顔してどうしたんですか? そんなにユミユミの下着のデザインが気になりますか?」
「やーん、タックンのエッチー」
食堂に戻ると俺達があれだけ騒いでいたにもかかわらず、タックン&ユミユミは平常運行でイチャイチャしていた。
この二人、ホラー映画だったら真っ先に殺されるタイプだな。
「宅間様、大変申し上げにくいことなのでございますが、たった今4号室でお客様が何者かに殺害されるという事件が起きてしまいまして、犯人がまだこの付近に潜伏している可能性があるのです。くれぐれも、お気を付けください」
「ハアッ!? ホントですかそれ!? じゃあ俺は今夜、ユミユミの下着のデザインが確認できないってことですか!?」
「やーん、タックンのエッチー」
っ!?
マジかこの二人……。
人が一人殺されてるっていうのに、緊張感がなさすぎる。
これは最早、ゆとり世代なんて言葉では弁明できないレベルだぞ。
それとも、この二人が犯人だから、余裕にしてられるという見方もできるか?
ただ、さっき俺と沙魔美がこの食堂から出る時にこの二人がまだここにいたのは、俺がこの眼で確認している。
となると、この二人に犯行は無理か……。
「あなた、大変よ! 電話線が切られてるみたいで、警察に電話が繋がらないの!」
「な、何だって!?」
オーナーの奥さんが、備え付けの固定電話を握り締めながら、泣きそうな声で訴えてきた。
くっ!
これは犯人が切ったと見て間違いないだろう。
俺も自分のスマホを確認したが、相当山奥ということもあって、電波は圏外になっている。
これでは俺達は袋の鼠だ。
どうすればいい……。
いったいどうすれば……。
――その時だった。
「ねえねえタックン、何かちょっと焦げ臭くない?」
「そうだねユミユミ。あ、もしかして今日のユミユミの下着の色は焦げ茶とか?」
「やーん、タックンのエッチー」
ちょっと黙ってろお前ら!!
いや、でも確かに何か焦げ臭いな。
何の臭いだ?
「ああっ!! つ、吊橋が!!」
「!?」
ロビーのほうからオーナーの声がしたので駆けつけると、玄関先に見える俺達がここに来る際渡ってきた吊橋が、炎で焼かれて崩れ落ちるところだった。
なっ!!
こ、これじゃ、俺達は完全にこの山荘に閉じ込められた形じゃないか!?
しかも吊橋は、明らかにこちら側から火をつけられていた。
つまり、犯人はまだこちら側にいるということになる。
これは本格的にピンチだ。
何がピンチって、電話線を切ったり、吊橋を焼いて俺達を閉じ込めたことからもわかるように、犯人は逃げるつもりはなく、まだまだ犯行を重ねようとしているということが推測できるからだ。
余りの現実離れした現状に、本当に伝承の天邪鬼が厄災を振り撒くために天から降ってきたと錯覚しそうにさえなる。
――だが、もちろんそんなことは有り得ない。
これは確実に、実在する人間の手による犯行だ。
こうなると、黒田が依然怪しく思えてくる。
数時間前、黒田がこのロビーで天邪鬼の伝承を声高にのたまっていたのが、遥か昔のことのようだ。
ん?
その時ふと、ロビーの隅に飾ってある笹の木を見て俺は、異様な違和感を覚えた。
そしてその違和感の正体は、すぐに判明した。
笹の木に吊るされていた魔除けの短冊が、全てなくなっていたのだ。
……あれも犯人が持ち去ったのだろうか?
上木の遺体に添えられていた短冊は、ここに吊るされていた短冊だったのか?
だとすると、やはり犯人は天邪鬼の詩に見立てて、殺人を重ねようとしている可能性が高い。
問題は、何故そんなことをする必要があるのかということだが……。
っ! 待てよ。
もし本当に詩の通りに俺達を殺害するつもりなら、次の殺害は、詩の二行目の、『忍者は湖の底に沈められるだろう』という一説に見立てられることになる。
となると、現場はあの湖しか考えられない。
どうする?
危険を承知で、あの湖を確かめてみるか?
それともここで、みんなと一緒に誰かが助けに来てくれるのを、じっと待つか?
……いや、ここは湖に行くべきだ。
こんな山奥では、すぐに誰かが来てくれるとは到底思えないし、もたもたしている内に、犯人が次の犯行に及んでしまうかもしれない。
であれば、少しでも手掛かりになりそうな場所を、一刻も早く調べておくほうが賢明だろう。
虎穴に入らずんば虎子を得ずだ。
「オーナー、できれば懐中電灯をお借りしたいんですが」
「え? そんなもの、何にお使いになるんですか?」
「もしかしたら犯人が潜伏しているかもしれない場所に心当たりがあるんです。今から俺とこいつで、その場所を確かめてきます」
俺は親指で沙魔美を差した。
「いいだろ? 沙魔美」
「がってん承知座衛門!」
「今の俺はツッコミをしてる余裕はないぞ……」
沙魔美もイマイチ、緊張感に欠けてる気がするんだよな。
魔女だからって、人の死に慣れてるわけでもないだろうに。
「し、しかし、危険ですよ! お二人だけで行くなんて!」
「大丈夫です。詳しくは言えないんですが、俺達にはとっておきの秘策がありますから」
「とっておきの秘策?」
沙魔美が魔女だから犯人に襲われても問題ないと言ったら、余計事態がややこしくなるだろうから、今は適当に誤魔化すしかない。
「俺達を信じてください。本当に俺達なら、心配いりませんから」
「……わかりました。ですがくれぐれも、お気を付けください」
「もちろんです」
俺と沙魔美はオーナーから懐中電灯を借り、一路あの湖へと、夜の闇にその身を投げ出した。
「なあ沙魔美、お前はロビーに詩が飾ってあったのを知ってるか?」
俺は懐中電灯で辺りを慎重に照らしながら、湖に向かう道すがら沙魔美に聞いた。
「ええ、知ってるわよ。天邪鬼の詩でしょ?」
へえ、知ってたのか。
「七夕山荘をネットで予約した時に、ホームページにあの詩が載ってたの。この辺りでは、凄く有名な詩らしいからね」
「ああ、そういうことか」
あんな不気味な詩を載せたら客足が遠のきそうなものだが、昔から慣れ親しんでいる地元の人には、その辺の感覚が麻痺しているのかもしれない。
『かごめかごめ』の童謡も、本当は怖い内容だって都市伝説もあるしな。
「大方堕理雄も、犯人が天邪鬼の詩に見立てて殺人を犯してると思ったんでしょ? だからあの湖に、忍者が沈められていないかを確認しに行こうとしてるのよね?」
「……ああ、そうだ。『堕理雄も』ってことは、お前も犯人が見立て殺人をしてると思ってるのか?」
「もちろん。というか、それしか考えられないわ。ただ人を殺すだけなら、あそこまで手の込んだことをする必要はないもの。犯人にとって、デメリットしかないわ」
「まあ、そうだよな」
それは俺も同意見だ。
「ただ、その前提で考えると、犯人はまだまだ人を殺そうとしてるってことになるわよね。さながら最後は、『そして誰もいなくなった』とでもするつもりなのかしら」
「!」
それだけは絶対に阻止しなければ。
いや、できればもうこれ以上、一人も犠牲者は出したくない。
「あ、堕理雄、湖が見えてきたわ。あれ? 堕理雄! あれを見て!」
「え、どうした!?」
沙魔美が指差したほうを見ると、湖面に一枚の短冊が浮いているのが見えた。
っ!!
クソッ! 予感が悪いほうに当たってしまったか!
俺は急いで短冊が浮いている辺りに駆け寄って湖の底を懐中電灯で照らしたが、そこに広がる光景を見た途端、一瞬で絶望の淵に叩き落とされた。
――そこには黒田が、虚ろな眼を湖面に向けたまま沈められていた。
全身を黒づくめで包んだ黒田は、さながら忍者の様にも見えた。
「く、黒田さんッ!!」
「無駄よ堕理雄。……残念だけど、とっくに亡くなっているわ」
「ク、クソッ! クソオオオオオッ!!」
俺はあまりの自分の無力さに、頭を掻きむしりながら、天に向かって絶叫した。
「……でも、これで犯人が見立て殺人をしているのは確定になったわね」
対する沙魔美は、至って冷静にこの事件を分析している。
やはり俺なんかよりも、沙魔美のほうが余程探偵役には向いているらしい。
「っ! マズいわ堕理雄。そうなると今度は、宿に残してきた人達が危ないわ!」
「あっ! そ、そうか! 急いで宿に戻ろう!」
「ええ」
俺達は踵を返し、七夕山荘へと全力で駆け出した。
辺りの暗闇の中から犯人である『天邪鬼』の、俺達を嘲笑う声が聞こえてくるようだった。
『事件の外見が奇怪に見えれば見えるほど、その本質は単純なものだ。平凡な顔ほど見分けがつきにくいように、ありふれた犯罪ほど、本当は厄介なんだよ』(シャーロック・ホームズの名言その2)