「ねえねえ菓乃子氏、これ、この間の堕理雄の女装に着想を得たB漫画のネームなんだけど、ちょっと読んでもらってもいいかしら?」
沙魔美は胸の谷間から原稿用紙を取り出して、菓乃子に手渡した。
「え!? う、うん。……では、拝見します。…………エクストリームヘヴンフラーーーッシュ!!!!」
早いよ菓乃子。
最近エクフラ(※エクストリームヘヴンフラッシュの略)しまくってるせいで、栓が緩くなってないか?
いい加減スパシーバで腐リートークに勤しむのは勘弁してもらいたんだけどな。
まあ、今は他のお客さんはいないから、とやかくは言わないけどさ。
まったく、いろいろなことがあった長い夏休みが明け、大学3年の後期が始まったっていうのに、沙魔美は今日も平常運行みたいで羨ましいよ。
「オウ普津沢、ちょっといいか?」
「あ、はい。今行きます」
厨房から伊田目さんに呼ばれた。
何の用かな?
今はオーダーは出てないけどな。
俺は早歩きで厨房の中に入った。
「お待たせしました。何でしょうか?」
「ちょっと一緒に裏庭に来てくれ」
「? はい」
あれ?
何か前もこんなことあったな。
ああそうだ。
キャリコ達と星間戦争をした時だ。
あの時も最初こうして伊田目さんに裏庭に呼ばれたんだった。
てことは、今回も何か厄介な事件が起きたのだろうか?
だとしたら、あまりにも日常パート短すぎない?
もう少し俺は、平和な日常を謳歌していたかったのだが……。
俺は心に小林〇美のスタンド攻撃(心臓に錠前が付くやつ)を喰らった様な気持ちになりながらも、伊田目さんに続いて裏庭に出た。
伊田目さんは裏庭に出ると、シュナイダーの餌入れに今日の分の餌を入れた。
シュナイダーはその餌を、いつも通りあむあむと美味しそうに食べている。
か、可愛い(鼻血)。
やっぱりシュナイダーは天使や。
俺に天使が舞い降りた!(動画〇房)
「……なあ、普津沢」
「は、はい!?」
動画〇房――もといシュナイダーに思いを馳せているところだったので、変な声が出てしまった。
「普津沢はよ、もう就職活動は始めてんのか?」
「え」
就活?
……これは痛いところを突かれたな。
ある意味シリアスバトル展開に雪崩れ込むよりも、俺にとっては辛い話だ。
何故なら俺はまったくと言っていい程、就活に手を付けていないからだ。
早い人は3年生の6月くらいには就活を始めているらしいが、あくせく奔走する同級生達の姿を、俺はずっと見て見ぬフリをして過ごしてきた。
親に学費を出してもらって大学に通っている以上、そろそろ将来について真面目に考えなければいけないことくらいわかっているつもりなのだが、つもりは所詮、つもりらしい。
沙魔美の相手に忙しいだとか、時々異星人が襲ってきて大変だとか自分に言い訳をして(大変なのは事実だが)、就職という何よりも間近にして一番大事な事柄から、今日まで目を逸らしてきた。
恋人である沙魔美は、既にプロの漫画家としてデビューも果たしているというのに……。
「……すいません。情けない話なんですが、実はまだ全然就活はしていないんです」
「いやいや、俺に謝る必要はねーよ。それに早く始めればいいってもんでもねーだろ、そういうのは。ま、かく言う俺も就活なんてしたことねえから、その辺の事情はよくわかんねーけどよ」
「そうですか」
そりゃそうか。
生まれた時から服部半蔵の名を継ぐことを半ば義務付けられていた伊田目さんは、自分で仕事を選ぶ権利すら与えられていなかったんだからな。
そういう点では、俺なんか及びもつかないくらい、壮絶な半生を送ってきたはずだ。
まあ、その反動が、
「でも、なんで急にそんな話を俺に?」
「ああ、それはな」
伊田目さんは口角をニヤッと持ち上げながら言った。
「お前をIGAにスカウトしようと思ってよ」
「…………は?」
今、何と?
「えーと……どういった意味でしょうか?」
「どういう意味もクソも、そのまんまの意味だよ。お前もIGAの一員になって、俺達と一緒に働かないかってことさ」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ!」
「IGAゆうえんちで僕と握手」
「今だけはフザけないでもらえますか!?」
「すまんすまん」
そう謝りつつも伊田目さんは、いつもと変わらない屈託のない笑顔を浮かべている。
……俺がIGAに?
「……本気で言ってるんですか」
「そりゃあな。こんなこと冗談じゃ言わねーよ」
「いやいやいや……無理ですよ俺に忍者なんて! 俺は伊田目さんや未来延ちゃんと違って、正真正銘の一般人ですし、実は隠れた才能があったとか、都合のいい裏設定も一切ありませんから!」
「そんなこたあねえよ。ピッセちゃんから聞いてるぜ。西の魔女との決戦の際は、お前の機転で沙魔美ちゃん達を勝利に導いたそうじゃねえか」
「いや、機転っていうか……」
俺はただ、沙魔美の胸を揉んだだけなんですが……(ここだけ切り取ると、俺がただの変態みたいだが)。
「それにな普津沢、お前は何か勘違いしてるようだが、忍者になるのに一番必要なのは、優れた頭脳でも、人並み外れた身体能力でもねえ」
「え」
じゃあ、いったい……。
「それはな――人を影から支えたいって気持ちさ」
「――っ!」
「お前にはその才能があるんじゃねえか?」
「……それは」
ある……のかな?
確かに俺は人前に出て目立つのは苦手だし、沙魔美みたいなタレント性がある人間をサポートする役が性に合っているとは常々思っていたが。
でも……。
「それって才能っていうんですかね? 誰かをサポートするだけなら誰でもできると思いますし、取り立てる程のものでもないと思うんですけど」
「ハッハッハ、まあ、お前ならそう言うと思ったよ。……でもな、黒子に徹するってのは、それはそれで難しいことなんだぜ」
「……!」
「人間てのは自己顕示欲の塊だからよ。どうしたって自分が一番にならないと気が済まないって連中は多い。若い頃は特にな。だからテレビによく出てる芸能人と、その芸能人に付いてるマネージャーだったら、芸能人の方が上で、マネージャーが下だって大抵の人間は無意識に思ってる。――でもお前は違うだろ?」
「……そうですね」
「お前は今、自分のことだから、卑下して『サポートするだけなら誰でもできる』なんて言ったが、本心じゃそう思っちゃいない。芸能人もマネージャーも、どちらも世の中には必要な存在で、どっちが上とか下とかなんて物差しじゃ考えちゃいないんだ。――むしろ、タレントを支えるマネージャーのほうこそ、内心カッコイイなと思ってるんじゃねーか?」
「……」
この人はまったく。
やっぱ人となりを読む力は人間離れしてるな。
多分他のIGAの局員の人達も、こうして伊田目さんがスカウトした人も多いんだろうし、その御眼鏡に適ったことは、素直に誇ってもいいことなのかもしれない。
「それにな普津沢、話を覆すようで悪いが、俺はお前も十二分にタレント性は持ってると思うぜ」
「は!?」
そんなバカな!?
俺なんかのどこが!?
「だってお前は、
「っ!」
「俺の見てる限りじゃ、沙魔美ちゃんは女の子には気が多いみたいだが、男に対しては病的に身持ちが堅いぞ」
「……そうかもしれませんね」
確かに言われてみれば、沙魔美が俺以外の男になびいているのは見たことがない。
クズオとかのことはあくまで社員として扱ってるみたいだし、エストと初めて会った時も、『イケメンの視線を自分に向けさせちゃ台無しだ』とまでハッキリ宣言していた。
「つまりお前は、攻略難度マックスの女の子を一瞬で堕としたってことだ」
「その言い方はどうかと思いますけど……」
「それだけじゃねえ。ピッセちゃんやキャリコ、それに西の魔女であるエストみたいな名立たるレディ達も、全員一目惚れさせたんだ。こりゃその辺の下手な芸能人なんか、目じゃないくらいのタレント性だと思わねえか?」
「……いや、それはたまたまだと思いますし、ただ単に俺が厄介な女に好かれやすい体質ってだけなのかもしれませんよ?」
「ハハハ、まあそういうことにしといてもいいよ。――でもな普津沢、その『人から好かれやすい』ってのは、忍者として何よりも貴重な才能だぜ」
「え?」
「だって忍者ってのは何も凶悪な敵と直接戦うだけが仕事じゃないんだ。そもそも事件を未然に防ぐことこそが最重要なのさ。――そのために必要なのは、『情報』だ」
「……情報」
「最近近所で怪しい人間を見たとか、胡散臭い連中が居を構えているとか、事件が起きる前には何かしらの前兆があるものなんだ。その情報を零さず掴み取れるかどうかに、忍者としての存在価値が懸かっていると言っても過言じゃない」
「……なるほど」
確かにそれはそうかもしれない。
事件が起きてしまった時に速やかに対処することはもちろん大事だが、事件が起きないのであれば、それに越したことはないもんな。
「そしてその情報を集める上で、お前の『人から好かれやすい』って才能は、何にも勝る武器になるぜ。本物の情報っていうのは、本当に気を許した人間にしか教えてくれないもんだからよ」
「……本当に俺に、『人から好かれやすい』なんて才能があるんでしょうか?」
「ハッハッハ、それは惚れた本人に聞くのが一番早いんじゃねーか?」
「え?」
「流石服部シェフ、とっくにお気付きだったんですね」
「っ!! ……沙魔美」
俺のすぐ隣に、忽然と沙魔美が現れた。
「……もしかしてお前、ずっとそこにいたのか?」
認識歪曲の魔法を使って。
「ええ、服部シェフが『もう就職活動は始めてんのか?』って堕理雄に聞いた辺りからね」
「ほぼほぼ最初じゃねーか!?」
なんでお前はいつも、そんな麻薬犬並みに嗅覚が鋭いんだ!?
「フフフ、私の最強魔法、『女の勘』が発動したからね」
「あ、そう……」
もうツッコむのも面倒くさいからいいけどさ。
でも、最初から聞いてたってことは、俺がIGAにスカウトされたことも沙魔美は知ってるってことか。
沙魔美はそれをどう思ったんだろう……?
「服部シェフ」
「何だい沙魔美ちゃん」
沙魔美は伊田目さんに向き合って、毅然とした態度で言った。
「堕理雄が『人から好かれやすい』かどうかは、議論するまでもないことなので割愛するとして」
割愛しないでよ。
そこ重要なとこじゃない?
「堕理雄がIGAに就職するというお話ですが…………お断りさせていただきます」
っ!!
「さ、沙魔美」
なんでお前が勝手に断ってんだよ!
「私はいずれ堕理雄の妻になる女なんですもの。夫の就職先に口を出す権利はあるはずよ」
「……えぇ」
そんな無茶苦茶な……。
それにしたって、お前の一存だけで決めるのはどうなんだよ。
「ふむ、なんで沙魔美ちゃんは反対なんだい」
「そんなの言わずもがなじゃありませんか。どこの世界に、夫が危険な目に遭うのを黙って見ている妻がいますか」
……!
……沙魔美。
「なるほどね」
「先日のオタサーの姫の下僕との戦いでは、服部シェフも瀕死の重傷を負ったと聞き及んでいますわ」
「ハハハ、耳が痛いねこりゃ」
そうは言いつつも伊田目さんに、恥じ入っている様子はない。
自らの命を賭けるのも、仕事の内だと割り切っているからかもしれない。
「堕理雄がIGAに入局したら、堕理雄もそうなる可能性があるってことですよね?」
「まあ、ないとは言い切れないね」
「だとしたらやはり、私は反対です」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ沙魔美!」
俺の意見も聞いてくれよ!
「堕理雄は黙ってて!!」
「っ!」
「――堕理雄、安心して。堕理雄は一生、私が守ってあげるから」
「……沙魔美」
沙魔美は俺の手を握りながら、天使とも悪魔とも取れる笑みを浮かべていた。
「実はバラローズでの私の漫画ね、結構アンケートの評判が良かったの」
「そ……そうなのか」
それはおめでとう。
「だからこのままなら、単行本の売り上げもそこそこいくと思う。そうなったら堕理雄は仕事なんかしなくても、一生私が何不自由ない暮らしをさせてあげるから。ネ?」
「……!」
『だからあなたは何もせず、ずっと私の隣にいて』とでも言いたげな顔を沙魔美はしていた。
……沙魔美。
「…………悪い沙魔美、その願いは俺は聞けない」
「っ! ……堕理雄」
「別に俺は専業主夫の人達を否定するつもりはないんだ。夫婦の生活の仕方は人それぞれだし、収入が上の奥さんが働いて、旦那さんが家のことをやるっていうのも、一つの立派な生き方だと思う」
「……」
「だからこれは俺の完全な我儘だ。……俺はな沙魔美、お前に養われるだけの人生は嫌なんだよ」
「……堕理雄」
「少なくとも自分の食い扶持くらいは自分で稼げる男に俺はなりたいんだ。そしてできることなら、やり甲斐のある仕事に就きたいとも思ってる。……まあ、今の今まで就活から目を背けてた人間が言っても、説得力はないだろうけどさ」
「……」
沙魔美は感情を読み取るのが難しい、複雑な表情を浮かべていた(伊田目さんなら読み取れるのかもしれないが)。
だが俺は視線を伊田目さんに移して、姿勢を正した。
「伊田目さん、そのお話、もっと詳しく聞かせていただいてもいいですか」
「ハハッ、お前ならそう言ってくれると思ってたぜ」
伊田目さんは腕を組みながら、満足そうに一つ頷いた。
「でもな、ここまで言っといて何だが、別に普津沢には前線に出て戦ってもらおうとは思ってねえんだよ」
「「え」」
俺も沙魔美も、伊田目さんの思わぬ一言にリアクションが被った。
「いい機会だから普津沢の未来の奥さんの沙魔美ちゃんにも聞いておいてもらいたいんだが、IGAには大きく分けて3つの課があるんだ」
「……ホホウ、3つの課ですか」
『未来の奥さん』というワードが琴線に触れたのか、沙魔美は一転して満更でもない顔つきになった。
……相変わらずチョロい女だ。
いや、この場合は伊田目さんの人心掌握術が図抜けていると言うべきか。
「1つ目はイチが課長を勤めている『
「フムフム」
へえ。
イチさんはそんな凄い人だったのか。
まあ、イチさんも服部半蔵の血を引いている一人だし、局長である伊田目さんの実子にして右腕でもあるんだから、当然と言えば当然か。
「で、2つ目は一旦飛ばして3つ目。『
「ヒロ〇カのサポート科みたいなものですね」
「まあ、そうだね」
咄嗟の例えでジャ〇プ漫画が出てくる辺りが、何とも沙魔美らしいな(俺も人のことは言えないが)。
てことは多分、ボンバー爆間は参課に所属してるんだろうな。
この間の防衛戦の時に、IGAの科学ラボで爆弾を開発したって言ってたしな。
「そして最後に飛ばした『
「そういうことでしたか」
なるほど。
それなら特出した取り柄がない俺でも、できないことはないかもしれないな。
「とはいえ、弐課でもまったく危険がないとは言い切れない。裏の情報を集めるってことは、常に闇の世界に片足を突っ込みながら生活するってことだからな」
「……」
少しだけ
でも、伊田目さんの言うことはもっともだ。
それはつまり、凶悪な犯罪者達の影に、自ら歩み寄るってことなんだからな。
まあ、太古の昔から、忍者の仕事が危険じゃなかったことなど、一度もないのだろうが。
「ただ、どちらにせよ普津沢が正式にIGAに入局するのは大学を卒業してからになる」
「あ、そうなんですか」
俺は思わずマヌケな声を出してしまった。
てっきり忍者になる以上は、大学は今すぐ辞めろとでも言われるかと思っていたのだ。
「そりゃそうさ。忍者っていっても公務員なんだからよ。ちゃんと学歴は必要なんだぜ」
「はあ……」
そんなもんなのか。
忍者の世界も世知辛いんだな。
「ま、例外も多いがな。――というわけで、普津沢にその気があるなら、まずはインターンとして大学の空いた時間に少しずつ仕事を覚えてもらおうと思ってる。今すぐ答えを聞かせてくれとは言わねえから、ゆっくり沙魔美ちゃんとも将来について話し合ってくれ」
「……わかりました」
「……一つだけよろしいでしょうか服部シェフ」
……?
ここに来て沙魔美の顔が、今までで一番険しいものに変わった。
まだ何か言いたいことでもあるってのか……?
「……IGAにはくのいちの方も多いんでしょうか?」
っ!
……ヤバい。
これは何よりもヤバいぞ。
前程ではないとはいえ、沙魔美の嫉妬心はスーパーヘビー級だ。
伊田目さんの返答次第では、この話が真っ向からご破算になる可能性も高い……。
「そうだね、昔は忍者っていえば、男の方が圧倒的に多かったらしいんだけど、今は時代の波というか、くのいちのほうが多いくらいになったよ。むしろ情報収集には、女の人のほうが向いてるシチュエーションも多いしね」
「そうですか」
沙魔美から刹那に、禍々しいオーラが立ち上るのが見えた。
「ではやはりこのお話はお断りさせていただきますッ!!!」
「沙魔美ッ!?」
沙魔美は仁王の様な顔で、伊田目さんを睨みつけた。
嗚呼……、何となく流れ的に、このまま沙魔美も折れてくれそうだったのに……。
「ハッハッハ、まあ、そうなるよな。――普津沢、さっきも言ったが、今すぐ答えを出す必要はないからよ。今日はもう上がっていいから、膝を突き合わせて、沙魔美ちゃんと話し合ってみろよ」
「……はい」
「そうさせていただきますわ。それではごきげんよう」
沙魔美は素っ気なく指をフイッと振った。
すると俺と沙魔美は、瞬時に俺の家にワープした。
「ぬあっ!? 沙魔美! お前菓乃子のことスパシーバに置いてきぼりにしてんじゃねーか!? 可哀想だろ!」
「大丈夫よ。菓乃子氏なら事情を説明すれば必ずわかってくれるわ」
「だとしてもだな……」
まったく、俺も菓乃子も、本当に厄介な女に捕まってしまったものだ。
「……堕理雄」
「え、何? ……って、うお!?」
沙魔美にベッドに押し倒された。
「……いやいやいや、さっきのことについて話し合うんじゃなかったのか?」
「もちろんそうよ。でもその前に、話を有利に進めるためにも、堕理雄を骨抜きにしておこうと思って」
「……えぇ」
そ、そんなことじゃ、俺は
フ、フラグじゃないからなッ!!