「ハァ、ハァ……」
夕陽に染まる河原にへたり込みながら、俺は乱れた息が整うのを待った。
やっぱ目に見えて体力が落ちてるな。
これでも中学の頃は、陸上部にも負けないくらい足は速かったんだけどな。
寄る年波には勝てないとはこのことか(まだ21だが)。
俺の親父は「麻雀打ちに一番必要なのは体力だ」が口癖の脳筋野郎で、俺は子供の頃からその辺の強豪野球部並みの筋トレを親父に強いられていた。
だが、俺が高校の時に親父が例の件で家を出て行って以降は、全てが馬鹿馬鹿しくなってしまい、筋トレもやめてしまった。
そんな俺だが、伊田目さんにIGAに誘われたあの日以来、沙魔美に隠れてコッソリと筋トレを再会したのだった。
といっても、今はまだ朝晩に軽くジョギングをしたり、自宅で腹筋や腕立て伏せをするくらいの軽いものだ。
それでもここ数年運動とはほぼ無縁だった俺の身体はこれでもかという程錆付いており、今はその錆を一つ一つ取り除いている最中といったところだ。
正直俺はまだ迷っていた。
伊田目さんからの誘いを、受けるかどうか――。
実を言うと、IGAに入りたいという気持ちは少なからずある。
伊田目さんが忍者だったと発覚する前から、伊田目さんは俺にとって憧れの大人像だったし、忍者として日本を影から支えていると知ってからは、尚一層その気持ちは強くなった。
俺も伊田目さんみたいな大人になりたい。
いつしか俺は、無意識のうちにそう思うようになっていたらしい。
だからこそ伊田目さんからIGAに誘われた時には、戸惑う一方で、憧れのヒーローから手を差し伸べられた子供のように歓喜している自分もいた。
しかし、そんな俺の浮ついた気持ちは、恋人である沙魔美の手で容赦なく現実に引き戻された。
あの後沙魔美と朝まで互いの主張を忌憚なくぶつけ合ったのだが、結局話は平行線のまま終わるかと思われた刹那、沙魔美がこんなことを言ってきた。
「……堕理雄、本当のことを言うとね、私は別に女性が多い職場だから嫉妬心で反対してるわけじゃないの」
「……え?」
そうなの?
寝ずに議論し続けた挙句、最後の最後にそんなちゃぶ台をひっくり返されるようなことを言われたので、俺の頭は軽くショートした(今思えば、それも沙魔美の作戦だったのかもしれないが)。
「私ももう子供じゃないんだもの。彼氏が本気で就きたいと思っている仕事だったら、そこに女性がいようが許容するくらいの度量はあるつもりよ」
「……」
本当かな?
それはちょっと噓くさい気がするが。
「でもね、服部シェフの前でも言ったけど、堕理雄が危険な目に遭うのだけは、私耐えられないの」
「……沙魔美」
沙魔美は今にも泣き出しそうな顔をしていた。
「堕理雄は私の全てよ。私は堕理雄さえいれば、他には好みの同人誌とやり甲斐のある
「結構要るじゃないか……」
「でも一番大事なのは堕理雄なの!」
「……!」
「堕理雄にもしものことがあったら、私本気で生きていけない……」
「……」
……沙魔美。
「きっとこの星に住む人みんなを道連れにして、堕理雄の跡を追っちゃうわ」
「なっ!?」
沙魔美は
こ、こいつ……、久しぶりにワールドクラスのヤンデレを発揮しやがった。
――そうだった。
すっかり忘れていたが、本来こいつはこういうやつなんだった。
愛が重すぎるが故に、ひとたび俺のことに想いが向くと、それ以外のことがまったく見えなくなってしまう。
その上、ガチで地球人みんなを道連れにできるくらいの
「堕理雄も、それは嫌でしょう?」
沙魔美は口元だけで微笑みながら言った。
「……それは」
……そうだけど。
でも、それじゃ俺は――。
「じゃあ、この話はこれでお終い。私は今日は帰るわね。おやすみなさい」
「え!? ま、待ってくれ沙魔美!」
俺の声が聞こえていないかのように、沙魔美は俺から眼を逸らすと、指をフイッと振って忽然と俺の前から消え去った。
「沙魔美……」
俺は今さっきまで沙魔美が座っていた空間に手を伸ばした。
まだ少し沙魔美の体温が残っているような気がしたが、ただの気のせいかもしれない。
時計のカチカチと秒針を刻む音だけが、俺の部屋を満たしていた。
次の日大学で沙魔美に会った時には、沙魔美はいつもの沙魔美に戻っていた。
昨日放送されたアニメで沙魔美の推しカプがイチャイチャしていて狂喜乱舞した話を延々したり、真衣ちゃんの貧乳を弄って定例の「クソがあああ!!」を引き出したりと、良くも悪くも明るくアホな沙魔美だった。
でもそれは言い換えれば、沙魔美の中では本当にあの話は終わったということなのだろう。
俺は伊田目さんの誘いには乗らず、今まで通りの平凡な大学生として毎日を過ごす。
そう確定しているからこその、この振る舞いなのだ。
当然俺の中ではまだそんな結論は出ていないので、隙を見ては沙魔美にその話題を振ろうと何度か試みたのだが、そのたびに沙魔美から見えない圧の様なものを感じ、結局は口ごもってしまうということを今日まで繰り返していた。
俺が隠れて筋トレを始めたのは、IGAに入ることになった時のために、少しでも身体を鍛えておかなければいけないからというのが一番の理由だが、それと同じくらい、このモヤモヤとした気持ちを汗をかいて発散させたいという思いもあった。
……沙魔美の言いたいこともわかるのだ。
もし俺と沙魔美が逆の立場だったなら、俺もきっと反対したに違いないのだから。
沙魔美の言うように、自分の大切な人が進んで危険な目に遭おうとするのを黙って見ていられる人なんていない。
戦国時代ならまだしも、今の世の中、他にいくらでも安全な仕事はあるのだから、わざわざ危ない仕事を選ぶ必要性はない。
それはそれで、まったくの正論だとも思う。
――だが、俺は知ってしまった。
俺達のこの当たり前の生活が、当たり前ではなかったということを知ってしまった。
俺達が安全に夜道を歩ける裏では、伊田目さんみたいな人達が身を削って昼夜悪と戦ってくれていたということに気付いてしまった。
――そうなったらもう、俺はじっとはしていられない。
理不尽に尊い命を蔑ろにする悪の手から、みんなを守りたい。
もちろん俺一人が粉骨砕身したところで、大した足しにはならないことはわかっている。
だが、それはやらなくていい理由にはならない。
それでは、自分一人が選挙に行ったところで政権には影響がないから行かなくていいと言っているのと同じだ。
一人一人の力は弱くとも、みんなで合わせれば途轍もない力にもなり得る。
今までの数々の戦いで、俺はそれを学んだ。
だったら後は、行動を起こすのみだ。
……しかし、そのためには難攻不落のあの沙魔美を説得せねばならない。
「……はあ。堂々巡りだな」
そう、堂々巡り。
ここ数日、俺はずっとこんなことを独りでグルグル考えていた。
「おっ!
「え?」
ふと顔を上げると、そこには長身な上イケメンでガタイも良いが、ガラが悪く明らかにカタギには見えない風貌の男が立っていた。
だ、誰だこいつ!?
俺はこんなやつ知らねーぞ!?
……いや、待てよ。
この顔……どこかで……。
「ハッハッハ、そりゃ俺もこんだけ見た目が変わってたら堕理兄も気付かねーか。俺だよ俺、
「なっ!? お、お前……あの太一か!?」
「そうだよ(便乗)。あの太一さ」
「マジか……。随分と変わったな」
「堕理兄は全然変わんねーな!」
「ああ、うん」
太一は俺の従弟だ。
俺の親父のお兄さん(つまり俺の伯父さん)の一人息子で、歳は俺の一つ下。
俺のことを『堕理兄』と呼んでくれていて、昔はよく一緒に遊んだりしたのだが、親父が家を出て以降は、俺も親父の実家の桜紋会とは疎遠になり、それきり太一とも今日まで会っていなかった。
でも、最後に太一に会った時はまだ俺より背も低かったし、体つきも華奢で顔も女の子みたいな可愛らしい感じだったぞ!?
それがこんな数年で、いかにも雄々しい、沙魔美が好きそうな攻め様っぽい容姿になってしまうとは……。
「ハッハッハ、育ち盛りの男子の成長速度を舐めちゃいけねーぜ堕理兄」
「それにしたってだな……」
魔法少〇俺の変身前と変身後くらい変わってんじゃねーか(あっちは性別も変わってるが)。
俺は立ち上がって太一と相対したが、やはり太一の方が俺より10センチ近くは背が高い。
昔はあんなに可愛かったのに……。
「でも太一、お前もしかして……」
「ああ、俺も今や桜紋会の一員だよ。一応若頭をやらせてもらってる」
「そうなのか」
そりゃそうか。
何せ太一のお父さんは桜紋会の会長なのだ。
俺が前に夢で見た、親父の高校生時代の伯父さんはまだ若頭だったが、今では会長として桜紋会を切り盛りしている。
いずれは伯父さん同様、太一も会長の座を継ぐことになるのだろう。
それにしても、今の太一と若頭時代の伯父さんは、性格こそ真逆だが顔はそっくりだな。
蛙の子は蛙ってやつか。
「ところで堕理兄、最近師匠には会ったかい?」
「え、師匠? ……ああ」
師匠というのは俺の親父のことだ。
太一は叔父である俺の親父のことを何故か昔からいたく慕っており、師匠と呼んで会うたびに麻雀の稽古をつけてもらっていた。
将来は親父の『夜叉』の名を継ぐというのが、太一の口癖だった。
あんな盆暗親父のどこに太一が惚れたのかは定かではないが、俺が口を挟むことでもないので静観していたというのが実状である。
しかし、親父が代打ちを引退してしまった今、夜叉の名は空座になっているということか……。
そういえばそのことには、今まで思い至らなかったな。
「うん、たまに会ってるよ。といっても主な目的は、俺の腹違いの妹の顔を見ることなんだけどな」
「ああ、そっか……娘さん産まれたんだよな。師匠の娘さんだったら、カワイイだろうなぁ」
太一は眼を細めた。
……もしかして。
「……太一は親父に会ってないのか?」
「……ああ。
「……」
太一が言う『あんなこと』とは、親父が追われる身となった挙句、腕を失ってしまったことだろう。
「……でも、それは太一には何の責任もないだろ? 親父がああなっちまったのは、全部親父の自己責任だよ」
「いや、それは違うよ堕理兄」
「え?」
途端に太一の眼が険しくなった。
「本当は師匠のことは、桜紋会が責任を持って何が何でも守らなきゃいけなかったんだ」
「……!」
「長年代打ちとして桜紋会に貢献してくれてた師匠には、一生かかっても返せないくらいの恩が桜紋会にはあったんだ。だからたとえ桜紋会の看板を血で汚すことになったとしても、師匠のことだけは守る義理があった。それなのに……」
太一は下を向いて眉間に皺を寄せながら、握り込んだ拳をワナワナと震えさせている。
……太一。
「太一、お前こそ間違ってるよ」
「……え?」
「俺にはわかる。親父は絶対にそんなこと望んじゃいなかったよ。――自分一人を守るために桜紋会に血が流れるくらいなら、自分だけが犠牲になればいいって、そういう自己犠牲精神に酔ってる、精神年齢14歳のオッサンなのさ、あの男は」
「そ、そんな……!」
「だから親父が桜紋会に一番望んでることは、そんないい歳コいたオッサンのせめてものカッコつけを、黙って見ていてくれることなんじゃないかと俺は思うぜ」
「……堕理兄」
「それに当時まだ学生だったお前には、どちらにせよ責任はないよ、太一」
「……」
太一の眉間には依然深い皺が刻まれていたが、口元だけは少しほころんだ。
「……ありがとう、堕理兄」
「礼には及ばんよ。――太一さえよければ、今度親父の家に行って俺の妹の顔を見てやってくれよ。真理ちゃんていうんだけどな、親父に似ないで、滅茶苦茶カワイイぞ」
「……ハハ、そっか。考えとくよ」
「おう」
「……なあ、堕理兄」
「ん? 何だ」
「……堕理兄は、夜叉の名を継ぐ気はないかい?」
「っ!」
何だと……。
急に何を言い出すんだよこいつ。
「……いや、俺にその気はないよ。それに夜叉の名はお前が継ぐんだろ? 子供の頃から言ってたじゃないか」
「……最近やっと気付いたんだ、俺には麻雀の才能がないって」
「え」
「でも堕理兄は違う! 師匠の実の息子だけあって、物凄い才能を持ってるじゃないか!」
「……太一」
「昔はよく堕理兄とも麻雀で勝負したけど、俺は一度も堕理兄に勝ったことはなかった……。俺じゃダメなんだ……。だから頼む! 堕理兄が代々続く、由緒ある夜叉の名を継いでくれ! 夜叉の名は、決して途絶えさせちゃいけないものなんだよッ!」
太一は俺の両肩を掴んで、凄い剣幕で捲し立てた。
こいつ……、そこまで真剣に……。
「……いや、ダメだ」
「っ!」
俺は太一の腕をそっと掴んだ。
「夜叉の名はお前が継ぐんだよ太一。そうじゃなきゃいけない」
「な……なんでだよ……。だから俺じゃ無理だって言ってるじゃないか……」
「それはお前が勝手に言ってるだけだろう!」
「っ!!」
「……実は俺の彼女はプロの漫画家なんだが――」
「え!? だ、堕理兄、彼女いんの!?」
「あ」
やっべ。
勢いで言っちゃったけど、よく考えたらいろんな意味で、沙魔美のことはあまりひとには言わないほうがいいんだった。
……とはいえ、言ってしまったものは仕方ない。
「……まあ、それはいいとして」
「あ、ああ」
無理矢理押し切ることにした。
「その彼女が言ってたんだよ。自分も最初から絵が上手かったわけじゃないって。むしろひとよりも圧倒的に下手だったって。才能があるかないかだけで言ったら、自分は間違いなく才能がない側の人間だってさ」
「……」
「でも自分は結果的にこうしてプロになれた。それは夢を諦めずに、ただ遮二無二努力を重ね続けたからだ。そもそも一生分の努力もし終わる前に、才能がどうのこうの言ってる時点で論点がズレてる。才能があるかないかなんて本当は誰にもわからない。わかるとすれば、才能が
「……堕理兄の彼女は、カッコイイな」
「……まあな」
カッコ悪いところも星の数程あるけどな。
「太一、お前はまだ若い。だから自分で自分の才能に勝手に蓋をするなよ。――麻雀が好きなんだろ?」
「……ああ、好きだ。俺の人生全てを賭けてもいいって思えるくらいな」
太一はただ真っ直ぐに、俺の眼を見据えて言った。
「だったら諦めずに突き進めよ。今はまだ現役の頃の親父の腕には及ばなくとも、お前ならいつかきっと親父を超えられるさ。――知ってるか? 一番の師匠孝行は、『師匠を超えること』、なんだぜ」
「! ……堕理兄」
まあ、これは親父の受け売りだけどな。
正確に言うと、夢の中で親父が親父の師匠から求められていたことだ。
「……わかった。何十年掛かっても、いつかきっと夜叉の名を継いでみせるぜ!」
太一の眼には、もう迷いの色は消えていた。
「おう、頑張れよ」
「……でも、堕理兄は本当にいいのか、俺が継いじまっても?」
「ああ、構わないよ。……元々俺は、お前程麻雀が好きだったわけじゃないしな。――それよりも今は他に、やりたいことができたんだ」
「え、何だよそのやりたいことって?」
「え? ……ああ、まあ、何というか、その……」
「?」
マズいな。
流石に国家機密であるIGAの存在を太一に教えるわけにはいかないしな。
――ここは無理矢理でも話題を変えねば。
「そ、そんなことよりも太一、お前なんで
太一の実家は俺の実家と同じ阿佐田だ。
同じ千葉県とはいえ、肘川からは大分離れている。
こんなところに天下の桜紋会の若頭が用があるとは思えないが……。
「ああ、それはな……。堕理兄」
「え……え?」
太一はまたも俺の両肩を掴んで、真剣な表情を向けてきた。
だがその表情は、先程のものとはまた違った逼迫感を孕んだものだった。
え……なになに!?
何だか超怖いんだけど!?!?
「実は――」
「ハァ、ハァ……」
「「っ!!」」
突如極めて聞き慣れた吐息がすぐ横から聞こえてきたので思わずそちらを向くと、全身が半透明になった沙魔美が、眼をハートにしながら俺達を見つめていた。
「さ、沙魔美!? なんでお前がここに!?!?」
今日は漫画の締め切りが近いから、一歩も家から出ないって言ってたじゃないか!?
それになんで半透明なの!?
「あ、やっべ。あまりに興奮しすぎたせいで、認識歪曲の魔法が解けかかってたわ」
「えぇ……」
沙魔美が指をフイッと振ると、沙魔美の全身は実体化した。
いつからいたかは定かではないが、つまりまた沙魔美は魔法で透明になって、俺達のことをすぐ側でガン見していたってことか……。
まったくこいつは。
「……いつからそこにいたんだよ沙魔美」
「そうね、こちらのスーパー攻め様である太一きゅんが、『おっ! 堕理兄、堕理兄じゃねーか!』って言ったところからかしらね」
「ハイハイ最初から最初から」
知ってた知ってた。
てか勝手にひとの従弟をスーパー攻め様の太一きゅんにするな。
「どうせ女の勘が働いたって言うんだろ?」
「今回は女の勘というよりは、腐魔女の嗅覚ね。あの瞬間、ここら一帯から私の家まで届くくらいの腐臭がしたの。もう一も二もなく駆けつけたわよね」
「どちらかと言えば腐臭がしてるのはお前だろ……」
もはやほとんどゾンビィやないかーい。
「な、なあ堕理兄……、この人がもしかして」
「……ああ、こいつが俺の彼女の、沙魔美だよ」
「おーはようございまーーーす! 肘川のゾンビ魔女こと、伝説の病野沙魔美でっす!!」
沙魔美は某ゾンビアイドルのプロデューサー並みにウザいキメ顔とキメポーズをキメた。
……恥ずかしいがすぎる。
だから沙魔美のことは太一には教えたくなかったんだ。
案の定太一は、「おっと、こいつはとんだ厄介事が舞い降りたみたいだぜブラザー」てな具合の、洋画の吹き替えにありがちな台詞を今にも言い出しそうな顔をしていた(どんな顔それ?)。
「ねえねえ太一きゅん、未来の従姉のお姉さんから、一つだけお願いがあるんだけど、いいかしら?」
沙魔美は眼を爛々と輝かせながら言った。
「オイ沙魔美! 会ったばっかなのに、あんま調子乗んなよお前!!」
「あ、いや、俺は別にいいですよ沙魔美さん。何でしょう? 俺にできることなら何でもやりますよ」
「太一!?」
お前、それはこの世で一番言ったらダメな台詞だぞ……。
「ん? 今何でもするって言ったよね?」
「え?」
ほらこうなる。
「じゃあお言葉に甘えて、堕理雄のことをここでお姫様抱っこしてみてもらえないかしら!!」
「は?」
「沙魔美ッ!!」
お前男同士のお姫様抱っこ好きすぎだろ!?
……まあ、腐った人なら誰でも好きなのかもしれないが。
「あ、ああ、そんなことですか。お安い御用ですよ」
「太一!?」
「じゃ、じっとしててくれよな堕理兄」
「ちょ、待っ! ……って、うわ!?」
物凄い力で俺はヒョイと太一に抱きかかえられた。
恥ずかしいがすぎるッ!!(パート2)
「エクストリームヘヴンフラーーーッシュ!!!!」
はい出たエクフラ。
出ると思ってたよ、俺は(諦観)。
沙魔美はどこからともなくいつもの8ミリビデオカメラを取り出し、俺達を舐め回すように撮り始めた。
「あー素晴らしい。尊い。素晴らしくて尊い。資料にする。私はきっとこれを資料にする」
「資料にはするなよ!?」
「堕理兄、資料って何の?」
「頼むからそれだけは聞かないでくれ!!」
「オ、オウ……」
「活かす。私は絶対にこれを漫画に活かす。私は原稿を描く。まずはゆっくりとお風呂に入って、身も心も綺麗にしてから原稿を描く」
「だから活かすなって!?」
あとお前はどんだけ風呂に入っても、心は腐ったままだからなッ!!
「あー潤った潤った。ありがとう! そして、ありがとう! お陰で大分潤ったわ、太一きゅん」
沙魔美はツヤッツヤした顔で太一にサムズアップを贈った。
「それはよかったです。あ、そういえば俺、これから大事な用事があるんでした。じゃあ俺はこれで失礼します」
太一は俺を地面にそっと下ろすと、そそくさと立ち去ってしまった。
「え!? 太一! お前さっき何を言いかけたんだよオイッ!」
……行ってしまった。
何だったんだろう、ホント……?
まあ、ここで言わなかったってことは、然程重要なことでもないのか。
「さてと、じゃ、私達も帰りましょうか、堕理雄」
「……ああ」
何か今日はいろいろと疲れたから、帰ったら俺もすぐ風呂に入ろう。
「よいしょ」
「ん?」
沙魔美は俺と手を恋人繋ぎにしてきた。
「……どうしたんだ沙魔美。お前らしくないピュアな行動だな」
いつもはオチが近付くと、何かとエロいことをしてくるクセに(べ、別にエロいことを期待してるわけじゃないよ!?)。
まあ、往来でそんなことをされたら流石に全力で止めるけどな。
「フフフ、最近堕理雄と二人で、こうして外をゆっくり歩くことなかったなって思って。――ダメ?」
沙魔美は上目遣いを向けながら、猫撫で声で言った。
なっ!?
こ、こいつ…………カワイイじゃねーか(ノロケ)。
「別に……いいけど」
「フフフ」
……そっか。
今わかった。
沙魔美は沙魔美で最近の俺達の間に流れる、微妙な空気感を気にしてたんだなきっと。
だからこそ、こうしてまた少しずつ二人の溝を埋めようとしてくれてるんだ。
……いかんな俺は。
いつも沙魔美にリードしてもらってばっかりで。
俺も彼氏らしく、いい加減ちゃんとしないと――。
俺は自分の不甲斐なさを噛みしめながら、夕陽を背に沙魔美と二人で茜色に染まった河川敷を歩き出した。
「カーラースー、何故鳴くのー。一刻も早くイベントで買った同人誌を帰って読みたいからよー」
「……」
最後の最後で台無しだよ。