秀満が徐州にたどり着いたのは、出立してから約三カ月後であった。
それほどゆっくりと歩いてきたわけではないのだが、悠久とも思える長江の川べりを最初は西へ向かい許都を目指した。
道中、そこかしこで民の噂になっている武将の話をよく耳にしていた。それはどうやら信長のことらしい。
秀満は信長の足跡に興味を抱き、思い直して東へと戻り、渡河した。
徐州が近づくにつれ、信長のこととわかる、はっきりとした話題が囁かれていた。
関羽を降した戦や北海での戦、官渡での信長軍の働きなど、枚挙に暇がない。
やがて徐州の彭に到着すると、信長の話もさることながら、信長の妻の話題も増えた。どうやらいまだに彭城内に住んでいるらしい。
(信長公の妻、濃様かな)
などと思い描き、城へと歩みを早める。
当然ながら、城内へ入る前に門衛に呼び止められた。秀満は身分を偽ることなく、
「私は濃様の旧知、明智秀満と申す。濃様にお取り次ぎ願いたいのだが」
と、用件を伝えた。
城兵はすぐさま濃姫に使いを送り、対処を尋ねた。
「秀満殿が?」
門衛からの言伝を聞いた濃は驚いた。同時に怪我の癒えた可成が濃に尋ねる。
「明智秀満?光秀殿の家の者ですかな?」
「えぇ、光秀殿の婿殿です。可成殿が亡き後ですので存ぜぬかと」
濃の胸が大きく鼓動を打つ。信長を、信忠を、そして濃自身を討った光秀の重臣が訪ねてきたのだ。
「……ならば、謀叛人ですな」
可成はどうする?といった顔を濃に向けた。その手にはすでに刀が握られている。
「よろしい。何か魂胆があるにせよ、私にも伺いたいことがあります。お呼びなさい」
濃はそう伝えると、すぐ可成をむき、
「不審な動きをしたら切り捨てて構いませぬ」
と、言い放った。
妖艶な濃の目が鋭く冷たい光を放つ。
隙あらば夫である信長を殺そうとしていた、若き頃の目であった。
「……はっ」
その冷たい威圧感は信長のそれにも通じ、歴戦の可成の背筋をも寒からしむほどであった。
「明智秀満殿をお連れしました」
門衛の後ろに一人の男が見えた。
背はすらっと高く、鷹のように鋭い目ときりっと締まった口元は、紛れもなく、濃の知る明智秀満であった。
秀満は腰に佩いてある刀を門衛に頼み外してもらい他意のないことを示すと、深々と頭を下げ、
「お久しぶりでございます」
と、敬うように挨拶をした。
「秀満。そなたがいるということは、そなたも敗れ、死したか」
濃は冷たい視線でそれを見やると、いつもよりも数段低い声で秀満に声をかけた。
「はっ。
頭を下げたまま秀満が答える。
「主殺しをしたのじゃ。当然の報いよのぅ」
これに関しては何も言えない。
「して、殺した相手の所へ何をしに参ったか」
濃は変わらずに低い声質のまま問いただす。
「信長様が許都にいると聞き、訪ねようとした所、あちらこちらで信長様の武勇伝を聞かされて、足跡をたどりたく思い、参りました次第」