「ほう。大殿に会っていかがいたす?また殺すつもりか?」
「そのような気はございませぬ。以前はやむなく義父光秀に従いましたが、此度はその罪ほろぼしも兼ね忠勤を尽くす所存」
「偽りを申すな、騙されぬぞ」
濃の態度には感情的な部分など全く見えず、相も変わらず冷淡であった。
「どうあっても信じられぬとあらば、この首掻き切り、信長様にお持ちになってくだされ」
秀満は襟をはだけ、首をさらけ出した。
「姫様」
それまで黙って様子を窺っていた可成が口を開いた。
「この者の言葉、百は信じられませぬが、まるっきり嘘とは思えませぬ。この可成が一命を賭して信長様も濃様もお守りいたすゆえ、今一度信じてみては」
可成の言葉に濃の愁眉が一瞬開いた。しかし再びきりっと眉をあげ、
「良いのか?この者は可成殿の息子蘭丸、力丸、坊丸をも殺した者ぞ?」
と、念を押す。
「それは我が子らの不甲斐なさゆえ、気には止めませぬ」
こうなったら頑固であることを知る濃は、声を出さず頷いた。
「可成殿がそこまで申すならば承知しました。秀満、可成殿によく礼をするのですぞ」
秀満は可成の方へ体を向けると、頭を地につくぐらいまで深く下げた。
「可成殿、ありがとうございます」
「良い。だがおかしな真似をしたら即座に切り捨てるぞ」
「はっ」
「よろしい。では秀満、頭をあげよ。これより可成と共に私の警護の任にあたりなさい」
濃の表情からは氷のような冷たさと刺すような攻撃性が消え、秀満の知る優しげな顔に戻っていた。
(とりあえず潜入できたか)
秀満は胸をなで下ろし、光秀のことに話題が及ぶ前に話しだした。
「可成殿といえば、攻めの三左の異名が有名でしたな。また坂本での激闘奮戦ぶりはよく聞かされておりました」
秀満は瞳を輝かせて可成の戦功を讃えた。
「そんなこともあったなぁ」
先ほどまでと打って変わって、可成からも厳しさが抜け、照れて頭を掻く仕草は好々爺然としていて好ましい。
それでも、そこかしこに見える古傷や一本欠けている指に、相当の場数を踏んだ勇士の証が窺える。
信長の尾張統一戦から常に信長軍の中枢を担い、上洛時は家中随一の猛将、
続く野田・福島城の戦いにおいて、信長軍の後方、近江坂本、宇佐山城を堅守し自身の命は散らせたが信長軍の瓦解を防いだ。
後に光秀と共に坂本に移り住んだ際、可成の数々の逸話などを散々と聞かされたものであった。
そのため、可成とは直接的な絡みはなくても、とても身近に感じ、旧知のような気にさえなってくる。
「可成殿、お会いできて光栄に思いまする」
「おいおい、そんな持ち上げても何もでぬぞ」
可成は赤面しながら大口を開け笑い飛ばす。釣られて濃も口元を手で隠して微笑んだ。場の緊張感も薄れていき、和やかな雰囲気が漂う。
秀満はこの一時の平和に身も心も満たされるような心地よさを感じていた。