そんな仮初めの平和が数日続いた。
その間、秀満は曹軍の動きや信長の現況などの情報を収集していた。
華北の袁紹が病没し、後継をはっきりと決めなかったことで、長子袁譚と末子袁尚の間で火種がくすぶっているという。
その隙を逃さず、華北制圧のために近々曹操が軍を動かすらしいということ、同盟軍の信長も同調し制圧軍に加わるということなど、本来なら機密事項である情報が民間でまで囁かれていた。
また濃と可成からは信長軍の足跡と編成を聞くことができた。
曹操軍と戦い、認められて同盟を組み、独立した劉備軍を破り、袁紹との戦いでは北海にて松永久秀を滅し、官渡では勝敗を決定づける烏巣襲撃を成功させ、と英傑ぶりは以前以上である。
配下も斎藤道三や竹中半兵衛といった戦国時代屈指の智将が加わっている。
他にも現地採用しているらしいが、詳細までの情報は入手できなかった。
秀満はその情報の中から曹操軍と信長軍に関してのみ書に書き記し、光秀へと送った。
その翌朝、秀満が出仕したのと時を同じくして、濃宛てで信長より書状が届いた。
内容は北伐の段取りがつきそうなので許都へ向けて移動してほしい、とのことであった。
濃はそれを黙読すると可成と秀満に兵をまとめるよう指示し、自身も出立の準備に取りかかった。
可成は秀満を引き連れ、兵らの下へ向かうと、
「よろこべ、信長様より合流せよと下知があったぞ」
と、告げた。
兵らは意気盛んに、各々両手を挙げて喜び、あるいは隣同士で抱き合ったりしている。
徐州での対劉備戦、北海での対松永戦で傷ついた兵たちである。信長を慕い、付いてきた者が大半で、精鋭と言っても過言ではない。
傷が癒えるまで合流するのを禁じられており、可成麾下に組み込まれ、濃の護衛を担当していたが、ようやく解放され戦線に復帰できるのが嬉しくてたまらない、といった喜びようであった。
「出遅れた分を取り戻すぞ」
兵の一人が叫んだ。
官渡で仲間たちが戦功をあげていくのを羨ましく、そして悔しく歯噛みしていた鬱憤を晴らすべく、
「おぅ!」
という喊声が響き渡った。
その軒昂な兵らに、秀満は名を明智秀満以前の三宅姓に戻して接した。
顔はそこまで知られてはいないが、明智秀満の名は彼らにとって許すことのできない仇の名前である。
「
「三宅殿は私の縁者である。文武に優れた者ゆえ、彼の指示に従って欲しい」
突如現れた聞き慣れない名の武将に兵らは戸惑ったが、すかさず濃が援護する。
「では許都へ向け進軍開始」
可成の号令で秀満率いる先陣が出発する。
許都までの道のりは曹操の領内であるし、治安も良く、賊の類が横行していることもないため、緊張感に欠ける行軍となることが想定できた。
だが行程半ばでそれを翻す情報が濃の軍に届いた。
「関羽殿が劉備殿の家族を引き連れ出立。途中の関を次々と強行突破している模様」
これには軍もどよめいた。
このまま進めば関羽一行と邂逅するかもしれず、場合によっては戦いになるかもしれないのだ。