「それはご苦労。して、早く用を言え。おぬしらの所業で関羽を逃したとあらば、いかに同盟軍とはいえ、容赦はせんぞ」
両軍の兵らは固唾を飲んで見守っていた。
一見して友好的な面は見られず、夏侯惇と可成の間には激しい火花が飛び交っているかのようである。
「ふん、天下に名高い夏侯惇将軍がこれほど野蛮な男であったとはな」
「何を!」
夏侯惇は可成の言葉に、思わず腰の剣に手をかけたが、すぐにはっとし、その手を戻した。
「斬りますかな?」
可成はにやりと微笑む。
その彼の手に武器は握られておらず、腰にも佩刀すらしていない。
「貴様!」
「同盟軍総大将の奥方様の使者たる儂に、なんたる無礼。これが曹操殿の軍の中核の実体か」
しまった、という顔をしている夏侯惇を一喝し非難した。
「おのれ、たかが信長軍の雑兵ごときが」
夏侯惇の肩が怒りに震える。
「将軍、なりません」
その様子を見ていた夏侯惇の部下が押し留める。
「両名とも、そこまでです」
一触即発の二人の間に、騎将が割って入った。
「ぬっ、張遼」
張遼であった。関羽憎しで追っている夏侯惇を止めるよう、曹操から指示を受けて、急いで駆けつけ、ようやく追いついたらこのような状況であった。
「夏侯惇将軍、無手の相手に挑発されたくらいで取り乱すとは、あなたらしくないですぞ」
剣の柄を握った夏侯惇の腕は張遼によってがっしりと掴まれ、その上強く窘められた。
続けて張遼が可成の方を振り向く。
「貴殿もだ。聞けば信長殿の奥方の警護らしいな。夏侯惇殿の慇懃無礼な態度は申し訳ないと思う。だがだからといって煽る必要はあるまい」
可成は張遼の迫力に圧され、口を噤んだ。
一方の夏侯惇は「ちっ」と一度舌を打つと、
「わかった。張遼、手を離してくれ」
と、怒気を鎮めた冷静な口調で張遼に語りかける。
張遼が腕を離すと、夏侯惇は可成に歩み寄り謝罪した。
「信長殿の奥方の使者、失礼いたした。私は先を急ぐ身。これにて」
そう言うと、部下に馬を引いてこさせ、それに跨る。
同時に、可成の後方から兵に守られた御車が近づいてくるのが見えた。
今、要人と会うのは時間を無駄に費やす。そう考えた夏侯惇は、後事を張遼に託し、馬を走らせた。
「いかん!夏侯惇殿!」
張遼が慌てて叫ぶが、聞こえないのか、ふりをしているのか、何ら反応を示さずに駆け去って行った。
可成はもう少し時間を稼ぎたかったのにと、内心張遼を憎んだが、面にはださずに、
「あちらに見える御車に信長様の奥方の濃姫がお乗りしております」
と、うやうやしく張遼に話しかけた。
張遼も夏侯惇を止めるべく、先を急ぎたかったのだが、如何せん要人である。無視するのはもちろん、出迎えて一言でも挨拶しないわけにはいかない。
二人は並んで御車の到着を待った。
やがて秀満が先導して御車が到着する。
「張遼と申します。遠路さぞお疲れでしょう。この先しばらく進めば許都がございます。信長殿も御滞在ゆえ、もうしばし辛抱いたしますよう」
「張遼殿、ご勇名はかねがね存じ上げております。丁重な挨拶と道案内感謝いたしまする」