「曹操様の命令に背くおつもりですか?」
関羽を庇うように張遼が両手を広げて、夏侯惇の必死の説得を試みる。
こうなると関羽を斬るにはまず同僚の張遼から斬らねばならず、いくら関羽が憎くてもそれはできない。
夏侯惇は再び舌打ちをし、剣を鞘に納めると、踵を返して愛馬を呼んだ。
愛馬が夏侯惇の下に駆け寄ってくると、そのまま振り返りもせずに立ち去っていった。
「張遼、すまなかった」
「いえ、大事に至らずほっとしました。ですが、次は完全なる敵味方。同僚を止めはしないし、遠慮もいたしませんぞ」
「望むところよ」
張遼が右手を差し出す。関羽がそれに応じる。
「では」
「さらばだ」
こうして二人は別れ、張遼は許都に、関羽は劉備の下へと駒を進めた。
「ここが許都……」
あまりの巨大さに秀満が感嘆の声をあげる。
呉も彭も日本のものに比べれば相当大規模だが、許都はそれよりもさらに大きい。
高く頑強そうな城壁の向こうには、城壁より高い宮殿らしき建物が見える。
秀満はもとより、濃や可成、そして兵たちからも感嘆の声が漏れる。
町まで内包しているため、近隣の田畑まで通う民の姿が多くみられ、また商業や工業も盛んであるようで、護衛に守られた馬車や貨物が数多く行き来していた。
夏侯惇の部下の案内で城門に連れていってもらい、入城の手続きをする。
案内と別れてしばらく城門の外で待機していると、
「濃様、父上」
と、聞き慣れた声が聞こえてきた。
「蘭殿か」
濃が自分の子を見るような優しい笑顔で蘭丸を出迎えた。
「ご無事で何より、父上も護衛の任お疲れさまでした」
「うむ、怪我も癒えたし、ようやく役に立てるようになったわい。だがこの歳になると長旅は堪える」
可成特有の大袈裟な笑いで蘭丸の肩をばんばんと叩く。
「今は特に重要な懸案もございませぬ。しばらくゆっくりとなさいませ。……ん?」
蘭丸も満面の笑顔で可成をいたわった。が、その後方には思い出したくもない顔が見えた気がした。
蘭丸は気になり、濃の後方を覗き見る。
その瞬間、蘭丸の顔はこわばり、冷水を浴びせられたかのように背筋が凍った。
「き、貴様は、明智秀満!」
蘭丸はその名を叫ぶと、咄嗟に腰に手を持っていった。
「よさぬか、濃様の面前だぞ」
様子を見ていた可成が蘭丸の手を止める。
「し、しかし」
「濃様が許しておるのだ。臣下の我らがとやかく言うことではない」
と、強い口調で叱りつけた。
濃は親子の姿を微笑ましく見守り、ひと段落したところで、
「蘭殿、信長様の所までの案内、よろしくお願いいたします」
と、叱られ落ち込んだ我が子を慰めるような優しい話し方で語りかけた。
「はっ。しかし秀満は殿に謀叛した者……」
「よいのです」
蘭丸の言葉を途中で遮り、強い意志を感じさせる瞳で見つめる。
蘭丸は見つめていられずに目をそらし、
「わかりました。ですが怪しい動きをしたら斬ります」
と、踵を返しながら囁くような声で話した。