そこへ妙覚寺、二条城を攻めていた秀満らが帰還した。
「ただいま戻りました。妙覚寺、二条城共に我らが手に落ち、信忠殿、貞勝殿討死」
「そうか。信忠殿は抗戦されたか?」
「はっ。手を緩めればこちらが敗れていたかも知れぬ、そのくらい頑強な抗戦でした」
秀満の報告に半ば落胆したかのような表情で光秀が答える。
光秀は信長さえ討てれば良かった。凡庸な信忠ならばいかようにもできると自負していた部分もあった。
現織田家当主でありながら、あまりにも強烈な信長の威厳の前に、その能力は開花せず、他の重臣らも従わずに織田家の混乱は大きくなる、そう睨んでいたのだ。
他にも信孝や信雄もいるが、こちらは凡庸よりもさらに劣り、逆に織田家をまとめるために利用されるのではないか、とも思っていた。
(逃げようと思えば逃げれたのだ。それを当主の身でありながら抗戦するとは……信忠も凡愚であったか)
光秀は気を取り直し、
「秀満。儂は京へ向かい
秀満は疲れた体に鞭打ち、安土城へと急行した。
その日の夜には到着したが、安土に人の気配を感じない。
秀満が密偵を出すと、数人の武装集団がいるだけと言う。
思えば
その蒲生氏が変時に際し、すかさず信長の妻や子らを避難させたのであろう。
「盗人共に信長公の遺品を略奪されるのは忍びない。安土へ入るぞ」
秀満は大軍を装うために篝火をたくさん焚き、城へ押し寄せた。
盗人共は蜘蛛の子を散らすように逃げ散り、秀満はなんなく安土を占拠した。
だが占拠するなり、
「南近江は蒲生氏を中心に反明智でまとまっていると見て間違いない。安土は寡兵では守りきれぬ故、茶器や家宝を持ち坂本へ向かう」
と、部下に指示を出した。またその旨を書にしたため、光秀へと使者を走らせた。
それらを運びだすためには陸路だけでは時間がかかりすぎるため、坂本城にも使いを出し、船を出させた。
坂本城は琵琶湖南西に位置する水城である。
城内と琵琶湖の水路が接続されており、水運に適しているため安土への行き来は頻繁に行われていた。
だが明智本軍と大多数の兵は未だ京におり、おびただしい数の家宝を運ぶのは手間であった。
その合間にも小競り合い程度の戦が少なからずあり、運搬作業はさらに手間取った。
また光秀からもちょくちょく使者が来ていて、
秀満はその報告から、明智軍の不利を予感していた。
朝廷工作もはかどらず、当てにしていた細川幽斎も
それよりも、中国方面軍の羽柴筑前守秀吉が、凄まじい勢いで京へと軍を返してきているというのだ。
秀吉の偽書や呼び掛けにより摂津衆は信長の死を信じず、大半が秀吉方になびいていた。