「不可思議な答え方をする。劉表の援軍とあらば我らと一戦交えることになるが?」
「構わぬ。江夏を救援したならば劉表にも義が立とう」
謙信と光秀が睨み合い、肌を刺すような殺伐とした空気が漂う。
謙信一人に対して光秀と利三の二人、その上刀まで抜いているというのに、謙信には恐れや焦りは感じられない。
むしろ余裕が垣間見え、逆に光秀らが気押されているかのようであった。
鳥や虫の鳴き声さえ聞こえないほどの沈黙の中、光秀と利三の鎧の下を冷や汗が伝う。
「御屋形様!」
不意に謙信兵の一人が謙信に近づき耳打ちをした。
「何!信長!」
謙信からふと漏れ聞こえた言葉が光秀の心を大きく揺さぶった。
光秀の顔がどんどん青ざめていくのに気づいた利三が光秀に代わり「信長だと?」と謙信に問いかけた。
謙信は鋭い目つきで利三を一瞥したが、すぐに慌ただしく、部下に指示を出し始めた。
「この地で何が起きているというのだ!」
光秀が呟く。謙信だけではなく信長までここに居合わせるなど誰が想像出来ようか。
やがて騒動が嘘のような静けさが訪れるとともに、謙信隊が真っ二つに割れ、空洞ができた。
その空間をさも当たり前のように威風堂々と三騎の将が通り抜けてくる。
その最前の人物の顔を見た瞬間、光秀の心臓は飛び跳ねんばかりに激しい鼓動を繰り返し、目に見えないものに握り潰されるのではないかと思うほど心が締め付けられた。
「信長!」
ようやく絞り出した声にならない声。
主君と仰ぎ、尽くし、そして自らが殺した男、織田信長が今目の前にいる。その後ろに続くのは弥助と氏家卜全であった。
「殿、しっかりなされよ」
利三が小声で光秀の身を案じた。
信長の視線がちらっと光秀と利三の存在を認識する。だが信長は素知らぬ顔で馬を進めて謙信と向き合った。
互いに刀が届く範囲である。
「くくくっ……」
くぐもった笑い声が静寂の戦場を支配した。
「何がおかしい?」
「いかに軍神上杉謙信と言えど前後を挟まれてはどうにもならず、手打ちを持ちかけて来たかとおかしくなってな」
信長の顔には勝ち誇っているかの笑みが見えた。
「ふん、そういうことだ。それも戦上手の輩に挟まれては、こちらも無事では済まぬ」
謙信は憎らしさを押し隠すように、ひきつった顔を不自然に微笑ます。
だが目だけは険しいままで信長を威圧しようと企んでいる。
「我らは和議でも構わぬが……そちらの、孫家の御仁はいかがか?」
信長が再び光秀に目を移した。
「殿、ここは承諾なされた方が。信長と謙信双方を相手取るのは無謀ですぞ」
我を忘れるほどに心中を取り乱している光秀に、利三が提言する。
「承知いたした。この場は休戦としよう」
光秀は冷静を装い、信長と謙信に返答した。
「では一番不利な位置にいる我から兵を退こう。景家、江夏城と連絡を取れ」
景家を先頭とした謙信隊が江夏城へと進路を取り、謙信は悠々と殿軍を務める。去り際に、一言も発することなく甘寧を見下ろして通りすぎ、光秀にはすれ違い様に軽く会釈をした。
「では我らも退くとしよう」
信長は不敵に笑みながら、退却を指示した。