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第8章 遼東の虎

第1話

 曹操は逃げる袁兄弟を追い、遂に長城を越えた。信忠も守就を麾下加えた後、曹操に随軍していた。


 袁家は袁譚と郭図が曹操の攻撃によりすでに亡く、主だった重臣たちもすでにこの世を去るか、曹操や信長に降っており、袁尚と袁煕他数名が残っているだけである。


 長城を越えてまでも袁家を滅す、という曹操の覚悟は北方の異民族らにも伝わり、日毎服従や朝貢の使者が謁見に来るほどであった。


 曹操はそれらの者から主に地理や乱立する異民族の情報を収集し、敵対する者らを次々と滅ぼしていった。


 やがて、袁兄弟が柳城りゅうじょうに向かうとの報を得、この北伐に抜群の戦功を挙げている張遼と郭嘉を先発させた。


 ただ不思議なことに、柳城から先の情勢には異民族らも一様に口が重く、


「遼東には虎がいる」


と、それのみを語るだけであった。


 信忠はその虎という言葉に言われようのない不安を感じ、張遼隊の後発として進軍することを直訴し許され後を追っていった。


 だが、道は整備されているでもなく、道無き道や険しい山道を進む厳しい行軍に悪戦苦闘し、対してこの地を治めるのは烏桓うがん族と呼ばれる遊牧民であり、そのため騎乗技術や騎馬の戦に長けており、その差は歴然である。


 単于ぜんう、すなわち族長である蹋頓とうとつは、かつて袁紹と公孫瓚こうそんさんが争っている際に、袁紹に誼を通じ、それ以来の友好関係であった。


 その兵力は十万とも二十万とも称され、そのために袁兄弟はこれを頼り、再起しようと企んでいたのだ。


「どういうことだ。我ら袁家の恩義を忘れたか!」


 長い旅路で貴公子とも呼ばれるほどの美貌を誇った袁尚も、服はぼろぼろで顔も頬が痩け、無精髭なのか泥なのかわからないほどに汚れきっていた。


「忘れるものか。儂としてもおぬしらを助けてやりたい気持ちは強く持っておる。だが……」


 蹋頓は袁尚に怒鳴られ反論するも、はっきりとしない口振りであった。


「単于!」


 蹋頓の部下が強くたしなめる。


「もう隠せまい」


 蹋頓は仕方ないといった表情で部下を制した。


「なんだ!はっきりと申せ!」


「実はな、儂はすでにこの地を治める単于ではないのだ」


 突然何を言うか、と驚愕の表情を袁尚はするが、汚れにより表情が読み取れない。


「儂の主に引き合わせよう。今は遼東におるはず。その方に頼み込んでみるがよい」


 蹋頓は二人を促すと先頭に立ち歩き出した。そして何かを思い出したように振り向く。


「そうだ、このことは口外しないようにな。もし誰かに話したら、命の保証はできぬ」


 蹋頓の真剣な表情に気圧されたのか、袁兄弟は素直に首を縦に振った。



 柳城から遼東までの道のりは、さらに熾烈であった。舗装された道など全くないに等しく、切り立つ崖や、人がすれ違えないほどの細い道もあり、烏桓族の案内と彼らが鍛えた馬がいなければ何度命を落としたかわからない。


 袁兄弟は心身ともに疲れ果て、ようやく遼東城に到達した。


 二人の知る遼東とは、公孫氏が漢帝国に属しながらも半独立して権勢を振るっており、周辺の小国から漢への朝貢の品々をかき集めては横領している、ということくらいであった。


 蹋頓の緊張した面持ちに対し、袁兄弟は疲労と自尊心からか尊大な態度のままで城門をくぐった。

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