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第6話

 張遼の後続の信忠からである。


 信忠隊は渡河すれば今日中にでも合流できるというほどの位置まで進軍していたのだが、氾濫のためできずに留まっているらしい。


 曹操本隊ではないが、孤立無援を覚悟していた張遼たちには吉報であった。


 郭嘉はすぐに大まかな地図を広げ、信忠隊の位置を確認すると、


「我らが囮となり、その隙に柳城を落とせんものか……」


と、ひとりぶつくさと呟いた。


 こういう時の郭嘉には、何を言っても無駄である。


 あらゆる可能性を考慮し、その中から最良と思われる策をいくつか脳内に留め置き、状況に応じて使い分ける。


 だが、これだけならばただの有能な軍師と変わりない。


 郭嘉はその良策を更に細分化し、多い時には数十もの型を脳内に留めていた。


 そのため、いざ合戦となっても指示にぶれがなく、また天性の戦術眼で状況判断も的確であった。


 あまりにも細かな指示のため、同僚の将軍らからも呆れられるほどであるが、それでも勝ちを拾うため信頼は厚い。


 それが曹軍の頭脳、郭嘉という男であった。


「よし」


 郭嘉は何か思い立ったようで、紙と筆を持ってこさせた。


 時々、はっきりと聞き取れないくらいの声で呟くだけで、すらすらと書を書き連ねていく。


 その間、誰も言葉を発することなく静かに郭嘉を注視していた。


「これを信忠殿に届けよ」


 書き終えて筆を置いた郭嘉が振り向くなり、信忠の使者に書を渡した。


 使者は丁重に受けいただき、自陣に戻るべく雨の中を駆けていった。


「郭嘉殿、何を?」


「信忠殿に柳城を落としていただこうと思ってな。今後の行動と、いくつかの策を記しておいた」


「ほう、我らは如何に動く?」


「まずは山県昌景を全力で打ち破り、後ろに控える部隊を引っぱりだそう」


「なるほどな。信忠殿の部隊はまだ敵に発見されていないであろうからな」


「その通りだ。柳城さえ奪ってしまえば、張遼殿の籠もる城だ。数万の兵で囲まれても落ちはしまい」


 郭嘉が楽しそうに笑う。


「買いかぶりすぎだな。だが曹操様が到着するまでは保たせよう」


 張遼は苦笑しながらも意を決した。


 使者が信忠の下に戻ったのは、地平線から日が昇ろうとしている早朝だった。


 昨夜来の雨は小降りになったとはいえ降り続き、まだ空は薄暗い。


 通常なら夜明け前には戻れる距離なのだが、豪雨や氾濫の影響で回り道を余儀なくされた。


 信忠はすでに目覚めており、道三や秀満らと雑談を交わしていた。


 報告を受け、信忠は軽装のまま使者を呼んだ。そして郭嘉からの書を受け取り黙読する。


 信忠もその内容のあまりの細かさにくぐもった笑いがこぼれた。


「どうなさいました?」


 前線近くというのに、笑いを誘うような書を送ってくるはずもない。


 不思議に思った秀満が信忠に問う。信忠は何も言わずに書を秀満に手渡した。


 秀満が読み終える頃を見計らって、


「この必要以上の細かさ、笑えよう?」


と、秀満の顔を窺った。


「はあ、これはまた……」


 秀満もなんとも言えない、といった表情で書を道三に回した。


「だが、非常に重要な役目を与えられた。迂回し、柳城の後方へ出れる道を探らせよ」

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