信忠の命により、再び物見の部隊が出立する。
信忠は机の上に大きな地図を広げ、郭嘉の書に添えられてあった、細かな地形が書かれた地図を書き写す。
「場合によっては山林の行軍もありますな」
徐々に埋まっていく地図を見ながら道三が嘆くように呟いた。
「うむ。高齢の道三殿や守就にはつらかろうが……」
信忠が恐る恐る二人の顔を見比べる。
道三は年寄り扱いするなと言わんばかりに鼻息を荒げ、守就は長帯陣の疲れからあまり好ましい表情をしていない。
「しかし、あの張遼殿と郭嘉殿が我らを頼ってくるとなると、相手は相当な手練れなのでしょうな」
まるで敵なしのように快進撃を続けていた二人からの書状に、秀満は不安を感じていた。
「見ず知らずの土地に攻めこんでいるのだ。風土や地理など不安な要素は山ほどあろう」
光忠の言うことももっともであるのだが、秀満の心は晴れない。
「よし、これを郭嘉殿に届けよ」
地図を写し終え、更に返書をしたためた信忠が部下に命じた。
「そうだ、ついでに敵の様子を尋ねて参れ」
書を受け取り、幕を出ようとする部下を呼び止めると、秀満同様に不安を感じた信忠が重ねて指示を与えた。
郭嘉への使者が旅立つと、信忠は諸将を集め郭嘉からの書を公開した。
この先細かな指示を与える場面が多くなるため、それぞれが臨機応変に動けるようにするためである。
その間も、戻っては出て行く物見からの情報を地図に書き記していった。
悪天候のため地図の作成は難航していたが、それでも周囲の状況がわかるくらいまでにはなった。
将らも郭嘉の書の内容をなんとか詰め込み、残すは柳城までの道と敵勢力の情報を得るのみ。
そんな中、信忠の陣に吉報と凶報が舞い込む。
「それは……真か?」
物見の発した言葉により、陣内は通夜のように静まり返った。信忠が青ざめた顔で問う。
蒼白なのは信忠だけではなく、その場にいた者全てであった。
「はっ。捕縛してあります」
「すぐに連れて参れ」
信忠は未だ半信半疑のまま、捕らえている者を引き立てさせた。
後ろ手に縛られている男が歩かされ、信忠の前で跪かされた。
その横で信忠の兵が男の荷である木箱を重そうに持ち、信忠に捧げる。
木箱には武田家の紋である武田菱が書かれてあった。
「おぬしは武田家の者か?」
「いかにも」
「どこへ向かうつもりであった?」
「曹操の下へ。この箱に入っている首を届けるため」
「誰の首か?」
「袁尚と袁煕」
「ほう。曹操殿が追っているものであるな。それを土産に和睦でもするつもりか?」
「否。袁家のために戦うのではないという宣戦布告の証」
「なるほどな。戦いは避けられんか。して、武田の大将は信玄公か?勝頼か?」
「信玄公である」
将たちがざわめく。勝頼ならば、戦には強いが家臣団はまとまらず、攻略する隙もあっただろう。実際信忠は勝頼を破り武田家を滅亡させている。
だが最強と謳われた信玄とその騎馬隊となると、川中島や三方ヶ原などの逸話を知る者たちにはただ絶望感が漂う。
「丁重な受け答え感謝いたす」
信忠は捕らわれた男に深々と頭を下げ、配下の者に縄を解くよう命じた。
「曹操殿の下へ向かえば貴殿は殺されるやもしれぬ。代わって首を届けてやってもよいが?」
「心遣い傷み入る。ですが、これは私が内藤昌豊様より与えられた使命。死を恐れ途中で放り出すわけには参らぬ」
敵ながら天晴れと信忠は感じ入り、捕虜に馬を与えて曹操本陣へと送りだした。