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第8話

「貴殿の名は?」


 その立ち居振る舞いに並々ならぬものを感じ名を尋ねた。


「名乗るほどでもございません。では」


 男は振り向いて会釈すると、馬に鞭を入れ去っていく。


「遠くから見たことしかないのですが、あれはおそらく一条信龍いちじょうのぶたつ殿でしょうな」


 秀満が囁いた。


 信玄の弟でその信頼は厚く、信長包囲網の際は畿内の外交を請け負い信長を苦しめる要因となった。


 また兵を率いても優秀で、長篠合戦での猛将ぶりは語り草となっている。


「あれがそうか」


 まさしく伊達男にして華麗である、と信長が賞賛しているのを信忠は思い出した。


「信忠様」


 いつまでも見送っている信忠に業を煮やした秀満が話しかけた。


「柳城を落とせても、信玄公が相手では保てませぬ。撤退し、本隊と合流し再度進軍すべきでは?」


 信忠もその意見には賛成であった。


 状況が状況であったとはいえ、信長でさえ腰を低くして同盟を願った相手である。


 いかに張遼の武勇と郭嘉の知略を持ってしても苦戦は免れまい、と考えていた。


「馬を引け。秀満、張遼殿の陣に参ろう。留守は道三殿、お願いいたす」


 信忠は部下に馬の用意をさせ、張遼説得に赴いた。


 張遼の陣に着くと、張遼と郭嘉が怪訝な顔で出迎えた。


「どうしたのですかな?信忠殿」


 緻密に考案した作戦の最中の訪問は郭嘉を不機嫌にさせたらしく、態度や話し方にそれが現れていた。


 信忠は謝意を示しながら先ほどの出来事を話し、また敵大将武田信玄のことも伝えた。


「臆病風に吹かれたか?それとも我らを見くびっているのか?」


 張遼の顔色がみるみる赤くなっていく。


「そうではない。それだけ向こうの軍勢が強いと言っているのだ。特に騎馬隊は最強と呼ばれるほどである」


 この言葉が燃え盛る張遼に火を油を注いだ。


「最強の騎馬隊だと?」


 騎馬隊を率いさせては自分が誰よりも上手いと自負している。


 それを、ぽっと出の武田軍が自分を差し置いて最強などとは聞き捨てならない。


「その最強とやらがいかほどか試してみようではないか。それほど恐れるならば貴殿らは退くがよい」


 張遼隊を退かせるどころか逆に煽ることとなり、こうなると張遼は頑として意志を曲げない。


 それでも信忠は再三撤退を勧めたが無駄であり、郭嘉ですら戦うことを主張している。


「どうなさいますか?」


 これ以上の説得は無理だと感じ、秀満が信忠に問いかけた。


「我らだけ退くわけにはいかぬ。郭嘉殿の策を続行し、善後策を練ろう」


 信忠は作戦行動に戻る、と張遼らに伝え、その場を後にした。


 急ぎ帰陣すると、柳城攻撃続行の触れを出し、将を集めた。


 張遼隊が撤退を拒否し、それを見捨てるなどできないと力説する信忠に道三が同調する。


晴信はるのぶが名将英傑の器だとて神ではあるまい。皆、ちょっと過敏になりすぎではないかのう」


「道三殿は武田のことを知らないからそう言えるのであろう」


 守就が毒づいた。


「儂の死後のことは知らぬ。だが信濃制圧に乗り出していた頃の晴信ならば知っておるぞ」


 道三の反論に守就が黙り込む。


「戸石崩れなど考えてみれば、案外城攻めは苦手かも知れぬな。柳城が堅城かは知らぬが籠もる将が張遼殿や儂らならば持ちこたえることができるのではないかのう」


 道三が言葉を続けた。


 信玄が城攻め下手などとは聞いたことがないが、得意という話も聞かない。著名な戦は野戦ばかりであるのも確かである。


 それにしてもやはり自ら大名にのし上がって、諸国に蝮と恐れられた道三の言葉には説得力があった。

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