昌信は無駄に兵力を損ねる選択をするならば、信玄からの返答に従うべしと猛る昌景をなだめた。
いつもならば激しい気性を内に秘め、決して表に出さない昌景なのだが、先の敗戦のせいか焦燥感が露わになっているように見えた。
話し合いは平行線を辿り、やがて信玄からの返答を携えた使者が戻ってきた。
「明日の昼くらいには到着する。それまでは仕掛けず、周辺を探れ、とのこと」
信春が読み上げる。昌信は直ちに再度密偵を放ち、信春と昌景は周囲の警戒に当たった。
夜が明ける。
なんら変化も見せない柳城は、日の光を浴びて輝き、荘厳な雰囲気を醸し出していた。
開かれたままの城門から神のような尊い存在が姿を現しそうな錯覚さえ覚える。
「ん!?」
眠気覚ましに見回りをしていた昌信が目を疑い、何度もこすった。
先の錯覚が現実になったかのようで、白装束の人物がゆっくりと歩いてくる。
「なんだあれは?」
見張りの兵らもそれに気づき、俄かに騒ぎ出す。
その白装束の男は城門の前で立ち止まると、腰に差してある剣を抜き、武田方の陣に向かい大きく振り下ろした。
すると、武田から見て右やや前方にある小山の上部から大小織り交ぜた岩が落下し、地響きを起こした。
「ひぃ、あの城を攻めちゃならねぇ!」
「妖術だ!」
などと烏桓の兵が恐れだした。
昌信らは兵を静めようとするが、混乱は収まらず、遂には逃げ出す者も現れた。
感染した恐怖に捕らわれ、また一人また一人と次々に逃げ始める。
その逃げ出した兵の数名を昌景が一刀両断にすることで逃亡は防げたが、兵らの士気は低く、とても戦える状態ではなかった。
この白装束の男は明智光忠で、小山から岩を落としたのは張汎である。
郭嘉により、敵が攻撃して来なかった場合の方策であった。
一般にまだ妖術の類などがあると信じられていた時代。
白装束という不可思議ないでたちの男が剣を振るい、小山の岩を打ち砕き地に降らすという芝居は、郭嘉の想定していた以上に敵兵の戦意を削いだ。
さすがに信春らはこのような芝居には騙されることなく、敵方の策略と気づいていたが、いくら兵に伝えようとも全く効果がない。
戦う気力のない兵を率いて戦うわけにはいかず、信春らは陣を堅く閉じ敵襲に備えた。
やがて本隊到着の報が届き、三人は早速信玄を出迎えた。
状況報告を終え、信玄自らが視察をし、将を集めて軍議を開く。
信玄は手に持つ箸くらいの棒で地図の先ほど落石を起こした小山を差した。
「ふん、空城の計にくだらぬ芝居とは考えたものだ。だがそれがこの山にいる伏兵を表に出してしまったな。昌景、隈無く探索しあぶり出せ」
続けて、城を差す。
「これだけのことをして責め寄せてこないのは、ろくに城を守る兵もいないのであろう。我らを留めるための策よ」
「ならば直ちに攻めますか?」
「まあ待て、信春。この柵のみすぼらしさが怪しい。ぬしらの兵の、なるべく怖じ気づいている者を選抜し、白旗を持たせ、城に向かわせよ」
信玄から次々と細かな指示が下る。
「御屋形様、私は?」
昌信が今か今かと信玄からの命を待っている素振りを見せた。