事実、信玄は外交面での他国からの信頼度は低い。
同盟の約を交わしていても、何事もなかったように反故にされるといったことを進軍中に信忠や秀満から聞いていた。
道三はそれを節操のないと評したが、戦国の習いと言われればそれまであるし、道三自身も蝮や梟雄と呼ばれるほど狡猾で残虐な仕打ちをしてきたのだ。
それは信玄が外に、道三が内にしたことの違いでしかなく、端から見れば五十歩百歩であった。
老いたりとはいえ、道三の槍は的確に敵兵の急所を突いた。
「数で押せ」
信玄の命に次から次へと武田軍が襲いかかる。
さすがに槍の道三の異名はあれども徐々に後退せざるを得なくなり、遂には信忠の背後に到達した。
「道三殿、ご無事か?」
「うむ、しかしなかなか虎の勢いは削がれぬ」
「いっそ、武田を合流させるのはいかがか?その方が対処しやすい」
「であるな。ならば儂は武田の背後に回ろう。その間、信忠殿への攻撃が激しくなるが」
「心配無用。道三殿頼みましたぞ」
信忠と道三は簡単な打ち合わせをし、各々別れた。
信忠は信玄隊を引きつける役を買い、執拗に信玄への攻撃を繰り返す。
この信忠の行動は信玄を守ろうという使命感に当てられた兵を信忠隊の方へと集結させた。
道三は背後に回るべく、信玄隊の外周に沿って移動し、あるいは攻撃していったが信玄隊の多数が信忠に引かれていくため、それほど障害なく後方までたどり着く。
当の信玄ですら道三の行動を見過ごし、相手にしなかったため尚更である。
後方から道三が激しく攻めたて、信玄隊は信忠側へ逃れようとさらに信忠への攻撃が苛烈になっていった。
信忠は機を見て部隊を後退させ、さらに左右に分散する。
前方が開けた信玄は信忠を追わせず、味方の土屋昌次の騎馬隊と合流するよう指示を与えた。
「御屋形様が救援に来てくれたぞ!」
など、大将不在の部隊は一気に盛り上がり、許褚隊と互角に渡り合い始めた。
「敵総大将自らだと!?許褚様をお呼びしろ。急げ!」
大将の陣頭指揮により勢いを盛り返してきた信玄隊に危惧し、許褚隊副将が許褚を呼び戻す使者を送る。
ここまで攻め寄せられたということは、信忠隊もすでに敗れているだろうと副将は気が気でない。
だがそこは信忠がすかさず早馬を送り、作戦の意図を伝えたため、副将は冷静さを取り戻し、大将の到着までは守りきると己を鼓舞した。
「信忠殿の部隊が敵後方から攻めておる!今しばし耐えれば許褚様も参ろう。地の利は我らにあるぞ」
副将の叫びは許褚隊全体に響き渡り、将兵一丸となり信玄の攻撃に耐えた。
その頃。影武者率いる信玄本陣では目前に現れた鮮卑隊への対応に追われていた。
大将の信玄からは攻撃の合図もなければ撤退の合図もない。
兵長たちからは指示を出して欲しいと突き上げられ、また不満を持つ兵らからは罵声が飛ぶ。
それでも影武者は、何もせずとも良いと言う信玄の言葉に忠実に従っていた。
体躯を縮こめ、耳を塞ぎ、緊張と恐怖に震えながら信龍や昌豊の到着を待った。