アルデシール王国中央、ヘトニア地方を治めるゲリング子爵が拠点として在籍しているヨークの街にて、ルナティタスからの書状が早馬で届いた。
書状を携えた兵士が慌てた様子で、それを手渡してきたため、何をそんなに慌てているのか、と怪訝しながら読み上げていくゲリングは驚きのあまりに目を見開き、頬が緩んだ。
それは長年の夢が叶えられる喜びの顔だった。
彼は大役を任された。
ゲリングは急いで、衛兵隊長を呼び出し命じる。
「――――全ての関所、全ての城門を厳重にせよ!! 直ちにだ!!!」
ゲリングはそう告げたあと執務室の窓ふちに手を置き、窓から見えるヨークの街を眺めた。
ヨークの街を守備する兵士たちが詰めている兵舎からは警鐘が打ち鳴らされ、城壁にいる兵士たちがあわただしく、動いてるのが見えた。
それにゲリングはほくそ笑む。
ルナティタスは書状には、「オルタシアの首を持ってきたら、褒美を出す」と書かれていた。
さらには、王都ルアンに近い領土も譲るという待遇ぶりだ。
ゲリングは田舎領で牛糞の臭いや家畜の獣臭に嫌気が差していた。
子爵という爵位にもかかわらず、資金調達も微妙なもので、いつまで経っても自分の懐が肥えないことに不満があったのだ。
王都ルアンに近い領土となると、豪華な絹や鉱物が生産の主流になるため、喉から手が出るほど、欲しかった場所だった。
暇を持て余していたヨークの守備隊はゲリングの命令により、オルタシア捜索のために出撃となった。
城門が勢いよくあけられて、騎兵が次々に飛び出していく。
「オルタシアめ。必ず見つけ出してやる」
執務室で控えていた兵士の一人が疑問を投げかけた。
「ゲリング様? 兵士をすべてお出しになられるのですか?」
「当たり前だ! すべてだ。老人だろうが、ガキだろうが、兵士は全て、出せ!」
「しかし、それでは、街の守りが……」
「必要最低限でいい! ここは中央だぞ。誰が街を襲うというのだ。愚か者」
「は、はっ! 申し訳ございません」
珍しいものを載せた一台の荷馬車がヨークの街に入ろうとした。
門の警備を任されていた二人のフェレン聖騎士がそれを制止させる。
灰色髭のフェレン聖騎士が怪しむように男一人と女二人に視線を送ったあと、荷台に積んでいる大きな黒い箱のようなものを覗き込んだ。
「おい、これはなんだ?」
「見ての通り、棺桶ですが」
少年がそう答えた。
「……なぜ? このようなものを街の中へと運んでいる?」
「なぜ、と言われましても、このお方を故郷に帰すのが俺らの役目ですから」
「埋葬は現地でするように決まっているはずだ」
アルデシールでは、埋葬は原則、現地で葬ることが決まりである。
それは疫病などの病気を人口密集地へと運ばせないための対処方法だった。
少年司祭がうつむきながら答える。
「……その、手紙でどうしても帰りたいと……」
「手紙だと?」
灰色髭のフェレン聖騎士が眉をひそめた。
別の若いフェレン聖騎士と衛兵も疑うように集まる。
司祭の服を着る少年が彼らを見渡したあと、周りを気にするかのように小さな声でささやく。
「実は彼女、長年の付き合いだった夫に浮気をされまして、怒りと絶望のあまりに自ら油を被り、火をつけ自殺したのです」
「なッ???!」
「そ、それは異端行為だぞッ!!?」
自殺する行為は異端扱いされる。
神へ対しての冒涜につながるからだ。
さらに、焼身自殺となると話は別格。
魂は身体が朽ち果てたのち、天上の神が選定にかける。
〝天上裁判”と言われるものだ。
魂の持ち主が善を行ったか、悪を行ったかを見定め、聖なる場所に送るか地獄に落とすかを決める。
その魂を自ら焼き尽くすなど、聖騎士にとっては理解し難かった。
「我々も急いで、その場で埋葬しようとしたのですが……」
棺桶の方へ一瞥した少年司祭は息を呑み、深刻な顔をした。
「置手紙に、我が身を故郷に帰さなければ、災いと混沌をもたらす、と自分の血で書いていたのです」
「血の誓約か……?」
「はい。おそらくは……」
「……悪魔になる可能性があるな」
フェレン聖騎士なら人間が悪魔になることを知っている。
それは憎悪や怒り、復讐心といった強い怨念がそうさせるのである。
そのため、フェレン聖騎士は悪魔にならないように遺体を大切に扱い、埋葬をするようにしている。
「聖騎士様にはお分かりでしよう?」
灰色髭のフェレン聖騎士は仲間の男に視線を送る。その騎士も肩をすくめた。
「埋葬する場所はどこだ?」
「ヨークから北に少し行った小さな村です」
聖騎士は何かを考え込んだあと深く頷いて言った。
「なら早く、帰した方がいいな。悪魔になったら困る」
悪魔になった人間ほど手強いものはない。
強靭な肉体と魔の力は街を壊滅させるほど。
それに怒り狂った悪魔には動物が持つ死への恐怖がないため、浄化されるまで、殺戮を繰り返す。
そうなれば一大事だ。
「よし通れ」
フェレン聖騎士らは通るように促すが、ヨークの衛兵らは少年司祭の一団をまだ怪しいと思っていたのか、棺桶の中身を見せろ、と言ってきた。
「いや、それは、やめた方が……」
「おい、開けるのを手伝ってくれ」
壮年の衛兵がそう呼びかけると三人の衛兵が黒染めの棺桶に駆け寄る。
二人の女司祭の制止を振り解き、棺桶を開け中身を確認すると目を見張った。
衛兵らの目の前にあったのは、全身を包帯で覆った女性の遺体が納められていたのだ。
「んーむ。これでは顔がわからないな、お前、顔の部分の包帯を取れ」
「え? 私がですか……」
隊長格の衛兵がそう部下に命じるとその命じられた衛兵は顔が青ざめていた。
命令なので、仕方ないと震える手で、包帯を剥がそうとしたとき、少年司祭が言った。
「あぁ、それはやめた方がいいですよ。さっきも言いましたが焼け死んでいますので、顔の皮膚はタダレ、肉が焼け落ち、骨が見えています。形を整えるのに苦労しました」
衛兵はそれを聞いて頭の中で想像してしまい、気持ち悪くなった。
口を押さえる兵もいた。
「可哀想に。さぞ、悔しかったのでしよう」
隊長各の衛兵も諦めたのか、部下に棺桶を閉じさせ、進むように促す。
「も、もういい。通れ」
「ありがとうございます。貴方にも神のご加護があらんことを」
少年司祭と女司祭二人は祈りを捧げ丁寧な礼をしたあと、会釈しながら足早に門をくぐっていった。
その姿をフェレン聖騎士らが目で追うも、なにも違和感がないと判断したのか、他の者へ目を向けた。