――――――これは、オルタシア一行がヨークの街に着く前日の話である。
シンゲンがオルタシアにあることを提案した。
あろうことか、高潔で、しかも王女である彼女に「死体役」をして欲しい、と提案してきたのだ。
それに聞いていた者は自分の耳を疑った。
オルタシアは自分が王女であることに自覚もないし、その地位を利用したりする考えはない。
彼女は、自分がアルデシール軍の総指揮官という役職が性に合っていると思っている。
戦場を駆け、相手との命の奪い合いが快感だった。
他の王国では王女は戦場に出ることを拒み、また剣を持つことすら恐れる。
王宮で芸術に浸るか敵国と同盟を結ぶときの政略結婚に使われるのが王女の役目だ。
しかしアルデシールは違う。
女が国を治める。
だからアルデシール軍も女が指揮しなければならない、という考えがオルタシアには、あった。
軍に王女という身分はオルタシアにとっては邪魔。
例えば、難しい戦いを強いられたとき、彼女は、燃え上がるが、側近や武官らは、オルタシアの退路を常に考え、彼女が戦死しないために助太刀など、余計なことばかりする。
まるで、お客様扱いだ。
それに腹が立つオルタシアはもしも、敵との戦いに割って入るなら味方でも殺す、と告げている。
ただ、周りはそれでも彼女の身分を無視するわけにはいかない。
畏まり、愚かな発言や突拍子のない発言は控えるようにしていた。
そもそも変な発言をしたら、斬り刻まれるのは、目に見えている。
だが、シンゲンの大胆な発言には、毅然とした態度をとるオルタシアでも流石に驚かされた。
「わ、私に棺桶に入れと言うのか?」
変な声音を出しつつ、半ば冗談だと思っていたオルタシアは苦笑いで尋ねた。
が、言った本人は真剣な眼差しを送る。
冗談じゃないと察したオルタシアは視線を泳がせ、彼女らしからぬ落ち着きのない仕草で、何かを考え込んだ。
「そうだ、棺桶はどうするつもりだ? 棺桶がなければ、話にならないぞ」
遠回しで棺桶に入りたくない、という感情がこもった声音でオルタシアは問うも。
「俺は、木こりだぞ。そんくらい作れる」
マジか作れるのか、とオルタシアはつぶやいた。
「し、司祭服はどうする?」
あれこれ言って、別の策が思いつくまでの時間稼ぎをするつもりだったが、シンゲンは必要なものを用意する能力と人脈があったようだ。
「村の近くに神殿があるんだ。そこの司祭と知り合いだから頼めば、司祭服を貸してくれると思う。無理なら、また裁縫屋のばあちゃんにお願いする」
「ぐっ」
「だから問題ないな」
そして、オルタシアは翌日にヨークの街まで棺桶に入れられ、荷台に載せられて、運ばれたのであった。
道中、オルタシアを捜索していたフェレン聖騎士団の騎兵とすれ違ったが、彼らは焦りからか、偽装を見抜けず、そのまま通り過ぎていった。
シンゲンの案はまさに完璧だったのだ。
誰もまさか、あのオルタシアが棺桶に入っているとは思わない。
ヨークの街に入ると街の中は警備が手薄で、衛兵が少なかった。
小さな街でも巡回するには兵数が足りないほど。
それはシンゲンが言った通りの状態だった。
その理由を彼は灯台下暗し、という例え話を使って説明していた。
簡単に言えば、城壁の防備を固め、張り巡らせた敵中に入ることで、相手は意外にも外にばかり気を張っているので、内側には気が付かない、ということだ。
実際に入るとその通りで、してやったと感じたオルタシアは笑いが止まらない。
ランドルやマースの領地に行くまでの間の食糧や水、必需品を揃えなければならないので、街にいくことはどうしても必要だった。
それにちゃんとした寝床の確保はかなり重要で、疲労の回復度合いも違ってくる。
こうも、簡単に侵入で来たので、内側を警備強化しなかった無能な領主に感謝したいところだった。
♦♦♦♦♦
弱くなった小さな灯りが虚しくも消え、この空間を暗闇が支配する。
女王は寝室でオルタシアの死を聞くと骨と皮となった手で顔を伏せ泣いた。
数刻後には、女王の体調が急変し昏睡となると、そのまま、息を引き取った。
看病していた侍女らが慌てふためく。
女王が死んだ。
偉大なる王が死んだ。
その知らせはすぐに王宮内に広まり、死を待ち望んでいた大臣の一人が喜びの声をあげる。
両手を天井に掲げ、力を込めた。
「ついに、ついに死んだ!あの偉大なる女王は死んだ!!あははははは!!!!愉快愉快!!余の時代が来た!」
近衛兵が守る女王の間で、不謹慎な笑い声が響き渡る。
整然と並んでいた近衛兵の一人が怒りの眼差しで鉄仮面の中で小さく唸る。
手を拳にし震えていたが、なにもしなかった。
彼らは王宮を守ることが務めだ。
それ以外の行動は女王の命令がなければ動けない。
ルナティタスは広々とした大理石の床で華麗なステップを踏み、鼻歌を歌いながら小躍りする。
それほど、嬉しかった。
オルタシアが死んだ、という知らせが女王の心臓をえぐり、とどめを刺したのだ。
それがどれほど鋭利な刃物だったか。
まだオルタシアは死んでいないが、いずれは死ぬのだから細かいことは彼には関係ない。
遂に宰相の座につける、と思うと感動の涙まで出てしまう。
そんなとき、壁のすみで控えていた側近が目に入ったので、ルナティタスは指を鳴らし、近くに来させる。
「明後日、ユラン様の戴冠式を行なう。全ての諸侯に招待状を送るのだ」
「あ、明後日ですか?」
側近の男は驚愕した。
話か急過ぎる。
どう考えても遠方の貴族らが急いで王都へ向かっても一週間はかかる距離がある。
ルナティタスの命令は貴族らを無視することになる。
そもそも、早馬で招待を送っても戴冠式が終わった頃に着いてしまうのだ。
招待を送る自体、まったく、意味がない。
しかし側近はそれには触れず、国の決まりについて、恐る恐る告げた。
「ですが、その、女王陛下が亡くなられたのであれば、三十日間、喪に伏すことが慣わしで――――」
アルデシールでは女王が亡くなったあと、王都に黒い旗を掲げる。
それは、女王の死を悼み、三十日間女王に祈りを捧げることが慣わしだった。
そんな事はルナティタスも知っている。声音を強めで忠告した。
「余は二度は言わんぞ?」
ルナティタスがどんな男なのか、よくわかっている側近は急いで頭を下げた。
「……畏まりました。直ちに全ての諸侯に招待状を送ります」
それにルナティタスは深く頷く。
彼の狙いは反乱を起こさせること。
遠方の貴族らを信頼していないルナティタスは戴冠式に召喚しなかった彼らの反応が知りたかったのだ。
大抵は怒るだろうが兵を挙げてまではしない。
兵を挙げることは、つまり前から反乱を起こす予定だったということになる。
側近が下がったあと、フェレン聖騎士の団長のクティロを呼びつけた。
立派な赤い顎髭を持ち、細い目で背の高い。
女王の間を我がもの顔で歩み、ルナティタスには丁寧なお辞儀をした。
両足を整え、姿勢を正す。
「なんでしょうか閣下?」
「クティロ。軍を招集せよ!これより、魔女狩りを行なう」
その言葉に、クティロは満面の笑みを浮かべる。
待ちに待った命令だった。
「魔女が住む疑いのある街や村を全て焼き払え。それと匿った者は火炙りだ」
ほう、とクティロはルナティタスの徹底的なやり方に感心した声を漏らす。
クティロは人を殺すことには抵抗感があったが、フェレンせ騎士団の敵である魔女をとことん懲らしめられると聞くと話は別だ。
魔女は余計なことしかしない。
闇の魔法を使い、悪魔を使役する。
そんな奴らを野放しにしている現状が我慢ならなかった。
「星空教会の命により、フェレン聖騎士団五千を連れて行くことを許す」
今やアルデシールのフェレン聖騎士団は星空教会の傘下に入っている。クティロは嬉しそうな顔をした。
「承知いたしました。これで異端者、異教徒、それに異民族をこの国から一掃することができます」
「とくに魔女は実に鬱陶しい。力を持ち過ぎている。滅ぼさねば」
「自分も同意見です。やられる前にやらねばなりません」
「そうだ。国の力が弱まったとき、いつもやつらが反乱を起こす。今度はそんな考えを起こす前に皆殺しだ」