―――――暗闇の中、一匹の獣が息を潜め、鋭い眼光で獲物を狙い、舌舐めつりしていた。
獣は久々の戦いに身を躍らせて、高揚感に包まれ、うずうずしている。
ヨークの領主であるゲリングはいくら探してもオルタシアが見つからないことに、焦燥感を抱いていた。
多くの兵士を出して、彼女を捜したが、まったく見つからない。
ただただ不安が募る一方だった。
自ら指揮を執るべきか、そこまで考えていた。
オルタシアはヨークの街周辺を通らず、そのままバーロンドに向かった可能性がある。
だからフェレン聖騎士団の大部隊がバーロンドの近くを捜索している。
捕捉されないはずがない。
一体、オルタシアはどこにいるのか……。
会議室でゲリングは声を唸らせ、ヨーク周辺の地図と睨めっこしていた。
悪魔よりも恐ろしい存在がすぐそこにいるという緊張感があった。
だが、その分の対価は大きい。
それにルナティタスからは王都に近い領土を貰えるとなると命をかけてもいい。
王都に近い場所はどこも豊かな土地であり、なにかと便利であるため、ゲリングはなんとしてもオルタシアを捕まえたかった。
「しかし、一体、どこにいるのだ……」
同席していた側近の禿頭の男が答える。
「現在、近くの森や隠れそうな洞窟などを捜索させていますが、まったく見つかりません。フェレン聖騎士からの話では相当の深手を負っているようです。もしかしたらどこかで力尽きているのではないでしょうか?」
それにゲリングは睨み上げ、眉を寄せる。
「あのオルタシアだぞ? 魔女と疑われるやつが、そう簡単に死ぬはずがない……」
♦♦♦♦♦
領主の館の外では正門を衛兵が守りについていた。
しかし、こんな夜更けに誰か来るわけではないし魔物なども現れるはずがない。
出てくるとしたら賊ぐらいだろう。そのため、少し気が抜けていた。
衛兵らは、大きなあくびをしながら地面に射している月を見上げる。
空では星が輝いていた。
雲がないからだ。
美しい夜空に酒でも一杯飲みたい気分になった。篝火の近くに集まった衛兵の二人が暇つぶしに会話する。
「なぁ噂ではオルタシアがこの街にいるって話なんだけど、本当なんだろかな?」
冗談混じりで話した。
口髭の衛兵は腕組をして両肩を上げる。苦笑いで答える。
「はぁ? まさか。そんなはずないだろ。街の警備まで減らして、外に兵をまわしてんだぞ」
大部分の兵士がオルタシアを捜すため、昼夜問わず捜索していた。
「それにあんな目立つ女が歩いてたら誰だって気がつくだろ?」
「確かに、そうだよな」
そんなとき、すこし強めの風が吹き、篝火の火を揺らした。
二人の衛兵の頬を擦り、彼らの横を通り過ぎ、生い茂っていた木々の間へと流れていく。
衛兵の二人はその方向に風を追うように視線を送った。
「なんだ今の?」
「わからん……」
口髭の男は目を細めた。凝視すると生い茂っている草むらから物音がした。
「だ、誰だ!」
二人の衛兵は剣の柄を持ち、警戒して問いかけたが、応えは返ってこない。
そればかりか暗闇に蠢き、近づいてくるのがわかった。
衛兵の大声に近くを警備していた衛兵が駆けつけ、同じく草むらに身体を向ける。
「敵か?」
「まさか、野良犬とかじゃないのか?」
「とりあえず、確かめるよう」
松明を持っていた衛兵が目で仲間に確かめに行くぞ、と合図を送る。
二人がそれに頷き、松明を持つ男の後ろへ続いていった。
物音がしていた場所まで警戒しながら歩み寄り、松明をその場に掲げた。
すると……女が立っていた。
それも怪しい笑みを浮かべながら。
「ひぃ」
「だ、誰だ貴様っ!!?」
歳老いた衛兵の一人が問う。女は首をかしげた。
「誰だって? わからないのか……。お前らの主にして、お前らの王女。それでわからんのか雑兵共?」
ようやく悟ったのかその場にいた者、全員が背筋に寒気がした。
後退りする者も。
腰が抜け、尻餅をつくものすらいた。
彼らは目の前にいる人物が誰なのかわかったのだ。
一人の若い衛兵が震える声で言った。
「お、オルタシア殿下……?」
名を呼ばれた彼女は嬉しそうに笑い、腰に提げていた細い剣を抜いた。
「そうだ。このオルタシアが貴様らの為に遊びにきたのだ……。丁重にもてなすのが貴様らの務めだろ。ほら、もてなしてみろ。私と真剣な殺し合いをしようじゃないか」
殺人鬼のような台詞を言ったオルタシアに戦慄が走った。
年老いた衛兵が震える手で剣を抜く。
「おおおおおオルタシア! 覚悟!!」
向かってくる老人に感心の声を漏らす。
「ほぉ。この私に剣を向けるか。いいぞ。楽しませてくれよ」
オルタシアは細剣を片手に持ち構えた。
年老いた衛兵は上から剣を振り下ろそうとしたが、オルタシアは身体を少し沈め、目にも止まらない速さで、腹部を斬り裂いてきた。
革の鎧だったため、簡単に裂けた。
勢いで後に続いた衛兵二人も一瞬にして首と胴体が切り離される。
彼らの首元から鮮血が噴水のように噴き上げ、オルタシアの頬に飛び散った。
それを彼女は嫌そうにするどころか嬉しそうにしている。深く息を吸う。
「あぁ久しぶりの血の臭いだ。身体がうずくぞ……フフフフ」
崩れ落ちる仲間を目の当たりにした衛兵らはオルタシアと戦う勇気はなかった。
一瞬の出来事で、頭が混乱している。
なんで、こんなところにオルタシアが?
そう疑問する者もいた。
誰もが身体が震えて、足が竦み動けなかった。
噂に聞いていたオルタシアはここまで狂人者だとは……。
顔を真っ青にした若い衛兵はオルタシアに踵を返し門へ駆け寄る。門を叩き、必死に開けてもらうように願った。
「助けてくれ!!! 殺される!!! 死にたくない!!!」
恐怖は伝染し他の者も武器を捨てて門を無理矢理、押し開けて逃げ込んだ。
「敵に背を向けるか、腑抜けている。どいつもこいつも。ま、仕方がないか……」
オルタシアは肩をすくめた。門の近くで腰が抜けて動けなくなった衛兵に気がつき、歩みよると膝を折り曲げて、かがんで、その男の顔を覗き込む。
「どうした? 怖いのか?」
あまりの恐ろしさにオルタシアに視線を合わされなかった。口も利けない。深いため息を吐いた彼女はその場に立ち上がり、迷うことなく細い剣を男の首筋に突き刺した。
「え?」
「この国に臆病者はいらん」
見下ろしているオルタシアは呆れた顔でそういった。
彼女の肩を背後からやってきたシンゲンが肩を叩く。
「さぁ行こう」
「シンゲン、私の邪魔だけはするなよ」
「あのさ、自分でまだ戦えない、とか言ってなかったか? 普通に戦ってんじゃん」
オルタシアに向かってきた年老いた衛兵をシンゲンは彼女を庇おうと間に入ろうとしたが、その前に切り伏せていた。
まるで邪魔されないように。他の衛兵も同じく、シンゲンが倒そうとするも彼女が片付けていたのだ。
「なんか、身体が勝手に動いてしまったんだ」
そう言って、腰に手を当てて悪びれる様子もない態度を取った。
シンゲンは頭を掻く。
それからポケットに入れていた布を取り出し、オルタシアの頬についた返り血を拭き取る。
「すまないな」
オルタシアはそうお礼の言葉を告げ、再び、領主の館の正門に身体を向けた。